第3話 ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
日が昇り出して数時間、森を下ると人通りの多い街が開けてきた。煉瓦造りの家々の軒下に露店が並んでいたり、裏手に馬(に似た動物の)小屋があったりする。ゴリラの紹介によればこの辺りは城下町らしい。街路は人込みで賑わっている。「昨夜も鬼が出たとか……」「もう一声まけられないか?」「遺跡を見てみたいんだが……」そこかしこで人々が、値切りの交渉や噂話に興じている。この世界でちゃんと見た、初めての人間だ。何だか安心する。
それに、ゴリラというこの世界の格好の案内人を得たのだ。上手くいけば雨風をしのげる住処も見つかるかもしれない。
「ところであんた、どうして崖から落ちてたのよ。それもあんな森なんかで。世を儚むには早いんじゃないの?」
人波をかき分けながらゴリラが尋ねる。
「身投げじゃない……。事故だよ。経緯はあまり覚えていないんだが……、誰かに追いかけられて、焦って逃げてるうちに樹から滑り落ちたんだ。運悪くその下が崖だったというわけさ」
「? あの東の森にヒトが? あんなとこ国有の古びた遺跡しかないわよ」
「お前だっていたじゃないか」
「あー、私はなんていうか、家出中でね……。しばらく街を離れてたのよ」
彼女はどこか寂し気な口調で答えた。考えてみれば当たり前だが、猿(?)にも家族が居るのだ。それにこの口ぶりだと、別に森に定住しているわけでもないらしい。何か事情があるようだ。
俺はふと冷静になって考えた。
「しかし、ゴリラが喋ってるっておかしくないか?」
「ゴリラじゃなくて猿族よ。あんたと同じね。っていうかゴリラって何?」
彼女は間の抜けた面で問い返した。
「言っておくが俺は人間だ。わけあって猿の身体を間借りしているだけで」
俺は弁明する。ゴリラは興味深そうな顔をした。
「あら、あたしとおんなじね」
そう言ってショッキング・ピンクの目を輝かせる。すごい瞳してるな……。
「実はあたしも人間なのよ?」
「病院に行くといい。獣医に精神科があるかは分からんがな」
俺は親指で診療所らしき建物を指さした。彼女は赤い毛並みを逆立てた。
診療所の前には開院を待っているのか、数人の男女が座っている。遠巻きに数匹の猿がうずくまって、苦しそうな顔をしている。ぼんやりと眺めていると、正面から歩いてきた男と肩がぶつかった。暗い色のローブに身を包んだ、片眼鏡で雰囲気のある猿だ。こちらをちらりと見て、目礼し足早に立ち去る。
ゴリラの彼女は、足を止めた俺を振り返って続けた。
「私も元は旧家の令嬢だったのよ。でも悪い魔法使いに姿を変えられてしまったの……」
誇大妄想の猿か……。俺は同情の眼差しを送る。「可哀想なものを見る目で見つめないでよ」ゴリラは汗を浮かべた。
「ちゃんと苗字だってあるのよ! アテネ=カプリ=モンフォールというの。十二民族のうち最も高貴なカプリ人、その中でも由緒正しいモンフォール家の血筋よ」
贅沢な名だね! お前はどっちかって言うとゴリアテだよ!
「ファーストネームも素敵でしょ? どこかの国の神様の名前なんだって」
いやゴリアテ。お前はゴリアテ。今日からお前の名はゴリアテだよ……!
「ゴリアテはこの辺歩いてて目立たないのか?」
「誰がゴリアテよ!」
彼女は俺を睨み、咳払いして続けた。
「猿族は肩身が狭いけど、堂々としていれば問題ないわ。何人か見かけたと思うけど」ゴリアテは路地に並んだ八百屋に目を止めた。「そう言えばお腹空いたでしょ。何か買っていきましょ」
店先には沢山の木箱が並べられ、彩り豊かな果実や野菜の数々が並んでいる。弓なりになったバナナのような黄色い果物が目に飛び込んでくる。何だか最近あんな形のものを見たような気がする。崖を落ちる直前に……。俺は考える。誰かに追いかけられるような理由と結びつけると……。もしかして俺はこの周辺に転生して、朦朧とした意識の中で、空腹のあまりこの八百屋から、あの果実を盗んだのじゃないだろうか。それで怒った八百屋に追いかけられた……。ありえない話ではない。だとすれば八百屋の親父はずいぶん執念深く追いかけてきたことになるが。
ゴリアテはにこやかに店先に近づいていく。愛想よく接客していた亭主はゴリアテに目を止めると急に真顔になった。
「うちは猿公お断りだ。その辺の木の実でも咥えてな」
ゴリアテは露骨に肩を落として引き返して来た。堂々としてれば問題ないんじゃなかったのか……?
「なに不思議そうな顔してんのよ。知っての通り猿族の扱いなんてこんなもんよ」
「でも見た所、猿もここで生活してるんだろ? 森とかじゃなく、街で」
俺はさっきぶつかった猿や路地にうずくまっていた猿たちを思い出して言った。
「この城下町に家を構えてる猿は一握りよ。大体は路上生活か、街外れの西部スラムね。もしかしてあなた旅人か何か? さっきから妙なリアクションだけど」
「ああ。遠いところから来たんだ。この世界のことは何も知らない」
俺は言葉を濁す。
「遠いところ……大陸かしら。何のために来たの?」
「さあね。自分でも分からないけど、でも意味はあるような気がする」
意味……。俺がこの世界に転生した意味。俺はそれを知りたい。なぜここに生れたのか、俺の目的は何なのか……。
例えば、だ。俺はゴリアテと、それから路上の猿に視線を伸ばす。なんのかのと言って俺はこいつに命を救われたわけだ。こうして虐げられている猿族を人間から解放してやることが、俺に課された使命なんじゃないだろうか?
俺はひとり納得して笑みを浮かべる。目指すべきゴールが定まった感じだ。
一方ゴリアテは腑に落ちない顔で一人顎を撫でる。
「ところであんた、名前は何ていうの?」
「名前?」
「そう、私は名乗ったんだから答えなさいよ」
自分から勝手に教えたんだろうに。俺は少し考える。
「おっす! おら悟く……」
「?」
ゴリアテが食い気味に首を傾げる。俺はとりなすように言いなおす。
「いや……。モンキー・D・」
「? ……?」
「いえ……、マシラです。マシラと呼んでください」
もういいか……、実名で。俺は観念して答えた。
「異国風の響きね。モンキー……? よりずっと現実的だわ」
俺はまだ見ぬロマンが一つ潰えるのを感じた。




