第29話 スペクター/雷神と怪物
「空まで飛べるのか?」
俺はナダを抱き起こしながらゼニラタに問いかけた。幸い電流はナダの爪先を掠めただけだ。痺れているが、すぐに気が付くだろう。
「いいや、レオン人の兵に投げ飛ばさせた。二度とごめんだがな」
ゼニラタは腰骨を反らしてごきりと鳴らしながら立ち上がった。俺は毛を逆立てて威嚇する。横から手が伸びてきて、俺を遮る。スペクトラが俺たちの間に割って入った。
「ここは任せておけ……。奴に土を付けられたことは無い。あなたはナダを頼む」
「負け無しとは良いように言ってくれるな! 隙をついて逃げ回ってただけだろ」
ゼニラタは指を突き出してにじり寄った。臨戦態勢だ。スペクトラはゼニラタと睨み合いながら円を描くように横へ逸れた。俺たちを稲妻の直線状に置かないためだ。
「思えばお前と最後までやりあったことは無い」
スペクトラは両手を床に付け、スパイクのように爪を突き立てた。
「ああ……。決着を付けようか!」
ゼニラタの指先から電光が迸る! スペクトラは既に飛びのいている。四つ足で猛烈な勢いで距離を縮める。まっすぐ心臓狙いに突き出した爪は虚空を掴んだ。が、後方へ退いたゼニラタをさらに拳の雨で攻め立てる。
「ゼニラタ、話を聞け。俺たちはドクターを助け出しに来ただけだ。緑衣の鬼に捕えられてる」
「鬼だぁ? おとぎ話に付き合う気は無いな。そんなものは誘拐や失踪に怯えた市民の風説にすぎん」
ゼニラタは驚異的な敏捷さで拳を躱し続けながらも、じりじりと屋上の端に追いやられていった。背中がフェンスにぶつかり、がしゃりと音を立てる。逃げ場はない、好機だ! スペクトラの右脚が襲い掛かる。
ゼニラタの頬を前に攻撃がぴたりと止まる。床に残した軸足をバネに、スペクトラは斜めに飛び退いた。雷が駆け抜ける。凄まじい応酬だ。下手に加われば足手まといになる。
「勘が良いな! さすがは貧民街の怪物……。帯電のタイミングはお見通しか?」
ゼニラタは不適に笑い、また身構える。俺は叫ぶ。
「待て、ゼニラタ! 証拠も無く俺たちを拘束できるのか? 法の番人がそんなことしないよな。一体俺たちが何の罪を犯したって言うんだ」
「王庭侵入罪の現行犯だ! 皇族の私有地に無断で入り込んでいる。そもそも貴様は脱獄幇助と刑務執行妨害で追われてる身だろうが!」
「ぐうの音も出ねえ……」
俺は膝を着く。「全治三か月だったわ……。まったく」ゼニラタは苦い顔をして顎を撫でさする。すぐさま膝を落とし、スペクトラの無言の拳をかいくぐる。
「そもそも貴様らには叛逆罪の疑いがかかっている! 現場を押さえ次第捕縛せよとの帝の勅命が出た。ここ一週間スラムの入り口には監視が付き、いつでも出動できるよう各州の警備隊がこの場所で待機しとったのよ。案の定貴様らは、まんまと姿を現しよった! まさかスラムの諸勢力が揃い踏みとは思わなかったが、手間が省けたわ」
「情報の出所はどこだ?」
スペクトラは攻撃の手を休めずに問うた。ゼニラタも瞠目するような回避能力を見せる。
「しゃあしゃあと……。一週間前、庁舎に遣いを寄越しただろ。無言で手紙を置いて立ち去っていった……。封を開けると、複数の猿公と、人間の女の指が入っている。それも一本や二本ではない! 惨い脅迫だ。王都の象徴たる文化財、古代都市に軍勢を引き連れ火の海にする、ドクターも巻き添えになる、とご丁寧に但書まで添えてな。立派な犯行声明文だ!」
再度雷撃がよぎるが、スペクトラは先を読んで躱している。
「何年の付き合いだと思ってる。お前の攻撃の筋は読めてる」
スペクトラの足蹴を捌きながら、ゼニラタは答える。
「互いにな!」
終始スペクトラが攻勢だが、ゼニラタの能力なら一撃で形成は逆転しうる。
「すぐにここへ偵察を送り、数日前ついに猿の小隊の出入りを確認した。だが陣を構えるのが遅すぎたな!」
ゼニラタは屈みこんで鉤爪を避けるとぱっと砂粒を投げ上げた。目潰しだ。
「先回りして迎え撃ってやったわ!」
スペクトラは砂埃を払った手でそのまま裏拳を放つ。ゼニラタもそれをぎりぎりでいなす。
「お前たちが見た小隊は鬼の偵察に派遣しただけだ! その手紙を置いていったやつはどんな形だった。猿族だったのか?」
「分からんが、教会の者だろう? 緑のローブで顔は隠してたがな」
馬鹿者! そいつが鬼だ!
ゼニラタの手が光る。スペクトラは同時に退き、フェンスに飛び乗った。だが稲妻は放たれない。フェイントだ! ゼニラタの手がフェンスを掴む。電流が瞬時に伝い、フェンスの上を這いまわる。スペクトラは電撃こそ食らわなかったが、咄嗟に足を離し、柵の外側に跳んでしまった。彼の体が虚空を流れ、視界から消えていく……。
「勝負あったな」
ゼニラタが廃墟を見下ろしながら言う。
「落ちたのか!?」
俺は叫ぶ。ナダが呻き、目を覚ます。
「大丈夫だ!」
スペクトラの声が飛んでくる。どうやら屋上の縁にぶら下がっているらしい。
「その体勢からじゃ反撃もできないだろ。次の放電で詰みだ。信者たちに投降を命じろ」
ゼニラタはフェンスから身を乗り出して、手を差し伸べた。あちこちの遺構から激しく揉みあう音が聞こえてくる。階下からは夥しい絶叫が続いている。この建物内の戦闘が一番激しいようだ。
スペクトラは凄まじい怨嗟の声で唸る。
「施しを受けろというのか。俺に手を差し伸べていいのは天上の神だけだ!」
「ここで落雷を受ければ痺れて落下する。手をとれ! 意地のために死ぬつもりか?」
「殉教は聖職者の本望だ!」
スペクトラの叫びが響き渡る。「強情者が……!」ゼニラタの体が雷をまとう。「ならば帯電したまま貴様の手を掴む! 貴様が衝撃で手を離せばそれまでだぞ。命は約束できない! 投降しろ!」
「スペクトラ!」
俺は駆けだす。彼は本当に拒みかねなかった。「来るな!」スペクトラは叫ぶ。「あなたも巻き添えを食う!」
その時、一陣の風が吹いた。
何かが頭上にはためく。俺たちの視線は数瞬の間、一点に釘付けになった。
それはひらひらと屋上に着地した。息が止まる。血に染まった白衣だった。




