第26話 開戦の火蓋
日が落ちてまた昇り、もう一度傾きかける頃には、スラムの中央街道にかつてない人混みが出来上がっていた。ゆうに三桁は超えている。各勢力の有志の者が集い、ざわめき、静かな熱気をくゆらせている。
空は燃えるように赤い。夕映えに染められた貧困街の住人たちは、いつもより血を騒がせているように見えた。それぞれに支給された馬も荒く息を吹き出している。
「すごい猿の群れね」
路の外れで義勇軍を眺めていると、アテネがやってきた。「お前も参加するのか……!」俺は馬から飛び降りた。
「大丈夫なのか?」
「人手は多い方が良いでしょ。皆の生活もかかってる。これも高貴な人間の務めよ」
リリは後ろからついてきたナダたち、元ヒトの人猿たちを示す。
「正直、鬼と直接対峙する気はないわ。でも包囲とか後方支援くらいなら役に立てると思うの」
「俺も、ドクターを捜す手伝いならできます」
ナダが手を挙げる。「それに、鬼には確かめたいことが……」目を泳がせて呟く。
「皆、ありがとう」
俺は顔をほころばせる。「私を忘れてもらっては困りますな」アテネの背後から、青い眼が覗く。
「もう動いて平気なのか? セオ」
俺は彼を気遣って尋ねる。アテネの催眠を手を変え品を変え試し続けた結果、彼はやっと意識を取り戻すに至っていた。まだほんの数日前のことだ。だがセオは快活に笑い、力こぶを作ってみせる。
「むしろ力が有り余っているくらいですよ。久しい感覚だ……。目もよく見えますしね。猿族の体も、存外悪くない」
俺は少し安心する。老体に変わりは無いが、思ったより元気そうだ。
「にしてもよくこんなに集まったわね」
アテネは周囲の喧噪を見渡しながら、感心したように独り言ちる。大スラムのほとんどの戦力が結集しているのだ。
「どの勢力も予め志願者を募っていたみたいだよ。既にそれぞれで、鬼捜索の準備を進めていたらしい」
「にしても一人相手に連合軍まで組むとはよ、ずいぶんと大がかりだよなぁ」
蹄の音が近づいてくる。乗馬した手拭いの猿がぼやいている。なんか、久しぶりだな。
「敵の実態は分からない。兵を構えてる可能性だってある。それに実質、部隊の大半は捜索隊だよ。喧嘩慣れしてる住民ばかりじゃないからな」
「それに、古代都市はそれなりの広さと数の遺構ですからな。これだけの兵が居れば包囲網を作るのにも都合がいい。この一戦で確実にドクターを助け出し、鬼を捕えられます」
セオが訳知り顔に答えた。やけに詳しそうだ。
「古代遺跡の事情には明るいのか?」
「かつては王宮の顧問法律家でしたからね。色々と。東の森を抜けた先にある古代都市は、はるか昔我々の祖先が住んでいた都市とその遺構群で、魔法とも言える未知の加工技術によっていくらか腐食を免れているのです。特に都市の象徴たる巨大な鉄塔は最も念入りに保護されており、在りし日の姿をほとんど留めていると評されています。保全と調査のため、公領として一般の立ち入りは禁じられていますがね」
「手つかずの文化財か……。アジトにするには都合良さそうだな。鬼は集団で待ち伏せてる可能性もある」
「へっ、鬼くらい俺一人で十分だぜ」
手拭いは馬からひらりと着地した。
「にしてもお前ら、馬を渡されていないところを見るに、マシラ以外は後発隊みたいだな」
手拭いはアテネたちを見渡して言う。馬の数の関係と、目立つことを考慮して、出陣は三段階に分かれて行われる。先発の第一隊。これは既に出発していて、徒歩で先行してひっそり遺跡群の裏に回る。第二隊の騎馬隊は前面の包囲と突撃に別れ、鬼の確保を狙う。戦闘の要だ。遅れて到着する徒歩の後発隊が包囲を完成させつつ、リリの捜索に当たるという算段だ。
「俺はもちろん騎馬隊……。自分の馬に乗っていくぜぇ。よそから支給された馬じゃ力が出し切れねえからな!」
「頼もしいな。で、その馬はどこにいるんだ?」
「あん? ここに居るだろうがよ」
手拭いが伸ばした手は空を切る。彼が慌てて振り返ると、人波に興奮した彼の馬は既に逃げ出した後だった。「俺の愛馬が!!!!」
こんなレースは初めてだと言わんばかりに、彼は愛馬の背中を追いかけていった。あいつも後発隊だな……。
「ところでマシラ、こないだ思い出したことがあるの」
アテネが唐突に声を挙げた。
「昔おばあ様から教わったことなんだけどね。あんたの予知、量……」
彼女は何か言いかけたが、その言葉は演説の声にかき消され、宙に霧散した。俺たちは群衆の真ん中に視線を寄せる。
「諸君、お集まりいただき感謝する」
中央の禿げた木の上に立ち、スペクトラが声を張り上げた。ざわついていた辺りの猿たちも口を閉ざし、彼を見上げた。
「突然の招集にこれだけの人数が集まってくれたこと、そして勢力の垣根を越えて合同作戦を執行できることを誇りに思う」
彼は自分の声が届いていることを確認して、厳かに言った。それから指を二本、紅の空に掲げる。
「今回の作戦の目的は二つ。第一はドクター・リリパットの捜索及び救出、第二は緑衣の鬼の捕縛! 変身を解除する方法を聞き出すため、生け捕りが望ましい」
その後は俺たちの領分だ……。勤行派の猿たちが拳を鳴らす。
「危険を伴う任務だ。しかし、ここに暮らす全ての住人のために、我々は行動を起こさなくてはならない」
太陽が山間に隠れる。逃げ遅れた幾筋かの斜陽を残して、夕闇が広がっていく。
「この数世紀、猿たちは人間の圧政に敷かれてきた」
広間の猿たちが肯く気配がした。
「痩せ乾いた大地に押しやられ、互いの血を流し合い、いつしか苦難に堪えることが闘いになっていた」
スペクトラは手を握り固める。夕間暮れの中で表情は分からないが、その声はいつになく情感を伝えていた。
「そして今! 新たな外敵が、俺たちのささやかな生活すら脅かそうとしている! この闘いは反撃の狼煙だ。我々がただ一方的になぶられるだけの存在ではないことを、外の連中に知らしめる。諸君! 我々は神に選ばれた一族だ! 万物の霊長たる真の人間だ! 我々には救世主がついている。一人の悪鬼など恐るるに足らぬ!」
彼は天高く拳を突き上げた。
「鬼退治だ!」
群衆から地鳴りのような勝鬨が上がり、辺り一面茜色の空気を揺るがした。スペクトラは木から滑り降りると馬にまたがり、勢いよく駆けだした。「続け!」
騎馬隊が後を追って、スラムの外門に雪崩れ込む。
戦いの火蓋は切って落とされたのだ。俺は騎乗して馬に鞭をくれると、彼らの群れに勢いよく飛び込んだ。




