第25話 会議の円卓
会合が開かれるまで、そう時間はかからなかった。
円卓は重々しい雰囲気に包まれていた。椅子についた長五人と、その後ろに一人ずつ寄り添い立つもう五人の間には、煙のような不透明な沈黙と、張り詰めた空気が充満し、抜け目のない視線が交わされていた。俺の前に座って手を組んでいたスペクトラが、いかめしい口調で口火を切った。
「こうしてスラム五派の長が顔を揃えるのは久しい」
葦毛の長が重々しく口を開く。一同の中で最高齢だ。豊かな白い髭が上下する。
「先代以来ですな。代替わりしてから、本部は他派と交わりを持たなくなった」
「左様」
鹿毛の長が同意する。かなりの年寄で杖を握りしめている。
「本部はここ十年近く随分と閉鎖的で、抑圧的だった。先代は無茶をする人だったが、抗争が締結した際は、話し合いを重ねたものだよ。火種を収めるためにね」
「そこな救世主様のように」
栗毛の長が同調し、乾いた瞳で俺を見上げる。
「私は救世主など信じないがね」
導師が挑発的に言ってのける。スペクトラによれば、勤行派は聖典の教義ではなく、精神における神との合一のみを重視する教派であるらしい。したがって聖典に書かれてある預言には懐疑的であり、外圧に対して非常に過激・実行的なのだ。
「宗教論争をしに来たのではない」
杖を震わせて、鹿毛の猿が諫める。
「私のグループには本部寄りの穏健派も、勤行派も無神論者もいる。ただ本部の自治方針に不満のある者が寄り集まっているだけだ。信仰ではなく政治的単位で成り立っている」
葦毛も賛同するように首肯する。この議場を提供した葦毛のグループは、少数の無神論者で構成されていた。
「分かったよ。私もそこに拘るつもりはない。今日はあくまで、貧民街の一角を収める主として来ているからな」
導師は比較的すんなりと手を引いた。スペクトラはテーブルの落ち着いたこと確認すると、円卓の上に羊皮紙を広げた。「では、本題に入ろう」くすんだ紙の上に、スラムの地図らしき模様が書き込まれている。
「農耕地及び水路の共同運用案だ……。現在この五地域に分断されているスラムだが、先代が無理に区画を調整したために、不都合が蔓延している」
スペクトラは地図の一部を指さす。
「例えばここの水田だが、隣接する川が勤行派の領域に含まれるため、農耕用の水を引くのにかなりの迂回を強いられている」
「我々の土地の場合、二十年前の山火事で大部分の果樹園を失った……。現在は外部で日雇いの仕事を受けて生活している住人がほとんどだ」
鹿毛の猿が付け加える。
「そもそも先々代の時代には自然部分は共同管理の取り決めであった。住人の増加から居住区を整理する必要が生じ、そこから領地の問題が生じてきたわけだが……」
議論は次第に熱を帯び始め、円卓の上を長たちの主張が飛び交った。各々背負う所があり、積年の摩擦があり、容易には進まなかったが、足並みを合わせていこうという方向性はほのかに感じられた。それは停滞し行き詰まりを見せていた各エリアの生活と、加熱しかけていた抗争に対する危機感、降って湧いた共通の脅威である鬼を前にして、協調の必要性に迫られていたこと、そして曲がりなりにも協議という場が開かれたことによって、暴力による一方的な押し付けではなく、対話の土壌が出来ていたためでもあった。
「あんたの存在も大きい」
勤行派の護衛が耳打ちした。よく見るとあの時の偽鬼の一員……、緑半纏の猿だ。
「会議より前にここ数ヶ月、あんたが奔走してたからな。ある程度停戦の状態は作られてた。しかもそのいざこざで、あんたの力を味わってる。猿人戦争の敗戦からこっち、諦めムードだった猿に、やっと希望が見えてきたんだ」
彼は目配せする。この間「去ねやぁぁぁああ!!!」とか言われたことは水に流そう。
「俺たちは教義上救世主の救済や稀人の到来っていうのは信じていない。でもあんたに魔法があって、俺たち猿の味方っていうのは確かだ。だから俺はあんたにかけてもいいと思ってる」
「責任重大だな」
俺は少し緊張して答える。
「導師もあんたにを認めてるみたいだ」
彼はひっそりと教える。先日のやりとりでか? 俺は今一つ呑み込めない。あの時の駆け引きは彼女の方が一枚上手だった。
「あんたのことを色々調べたが……、短期間牢獄に繋がれていたんだろ」
「一応、留置だけど」
「その時に頬に十字傷のある猿と親しくなったはずだ。あれは導師の弟なんだよ」
「なんと……」
脱獄の手助けをしてくれたあいつか……。たしかに姉がいるとは聞いていたが、思わぬ巡り合わせだ。思えば、十字傷の彼には、貧民街の怪物に気を付けろと釘を刺されもした。勤行派の一員だったと考えれば合点がいく。
「……では、一次草案としてはこれで行きましょう」
長い議論の末、仮の運営プランが決定した。一同の間にわずかだが安堵の空気が流れる。護衛たちはふうと息を吐いた。
導師は眉間に皺をよせ、腕を組んだ。
「まだ議題は残っている」
低い声で告げる。一同の目が集まる。俺とスペクトラも肯く。
「緑衣の鬼だ」
弛緩しかけた場の空気が、再び張り詰める。導師は深刻な表情で続ける。
「事前に伝えたが、ドクター・リリパットが緑衣の鬼に拐かされている。目撃証言からして、古代都市周辺が鬼の根城、ドクターもそこに幽閉されていると見ていい」
「あそこは手つかずとはいえ王族の所有地……。裏の人間でもめったに出入りしませんからな。身を隠すには持って来いというわけだ」
「彼女の失踪から一週間……。早くもスラムの一画では疫病の兆しがある。ドクターの……、アリエスタ人の加護が途絶えたためだ。傷病人の介抱もままならない。由々しき事態よ」
リリの不在による混乱……。この劣悪な衛生下では必然的だ。むしろ今まで生活が成り立っていたのが不思議なくらいである。
導師も同意して続ける。
「ドクターが今もそこにいるかは分からないが、恐らく生きてはいる。鬼のこれまでの傾向から考えて、殺しに手は染めてないはずだ。生かしたまま苦しめるのがお好みらしいからな。ヒトを猿に改造する、とか」
一同は苦々しく、自嘲的に笑う。
「だがドクターが猿の身になっているにせよ、ヒトのままにせよ、まだ虜になっているのは確かだ。もし逃げていれば本部に身を寄せてるだろう」
だが本部には何の連絡もない。スペクトラは後を引き継ぐ。
「実は独自に調査隊を派遣した。距離からして既に戻っていてもおかしくないが、結果帰ってきたのは馬だけだった」
「勤行派もだ。少数精鋭で二度遣いをやったが、帰ってこなかった。返り討ちにあったと見て間違いないだろう」
ミイラ盗りがミイラになる、か。俺は古代遺跡を想像して考えた。今頃仲間の猿たちも、リリと一緒に囚われているのだろうか。リリは無事なのか? 鬼は異常者だ。何をされているとも分からない。傷は治せても心は癒せないのだ。
「しかし、不意を突いての探査にしては、向こうの首尾が良すぎますな」
葦毛が疑問を口にする。
「鬼の話です。突然の襲来、一人くらい帰還者が現れそうなものなのに、全員あちらの手籠めにされている。まるで偵察を送るのが分かっていたみたいだ」
「我らの中に内通者が居ると?」
鹿毛が杖を付き、睨みを利かせる。葦毛は髭を揺らしてゆっくりと手を振る。
「そうではない。これは罠ではないかということです。そもそもこれまで暗躍に徹しその存在すら不確かだった鬼が、一転堂々とスラムに出没し、ドクターのそれと分かる白衣を持って本拠地まで晒しているわけです。敵の思惑としか思えない」
「鬼さんこちら、というわけか……。追いかけるより追いかけさせた方が効率が良い。網に獲物がかかるのを待つだけだからな」
俺は怒りを押し殺して言う。小賢しい奴だ。次闘う時は前回のようにはいかない。そのために力を磨いてきた。
「となると、敵の意表を突く必要がありますな」
栗毛が腕を組む。
「こういうのは如何でしょう、こちらの戦力を結集しての総攻撃。いかに剛腕の鬼と言えど、この人数でかかれば仕留められぬはずはない」
「リスクが大きすぎる」
スペクトラが渋る。
「敵がどんな策を講じているかも分からない。もう少し調査団を増やして様子を……」
「悠長に構えてる時間はない!」
俺は机をたたいた。
「敵はあの鬼だ。拷問まがいの責め苦を与えられてるかもしれない。既に一週間も経ってるんだ、これ以上待たせたくない……!」
俺は拳を握りしめる。本当は俺も調査隊に加わりたかった。すぐにでも探しに行きたい。だがスペクトラがそれを許さなかった。会議を言い出したのは俺で、それに、救世主として俺はこのスラムの成り行きを見守る責任がある。それがスペクトラの言い分だった。
だから俺はこの会議に賭けることにした。この会議を成功させ、皆の協力を得て確実にリリを救出するのだ。遠回りでも着実な方法で。
「総動員の案は賛成だよ。俺も皆の力を借りたいと思っていた。戦力は多い方が良い」
「民草を危険にさらすことになりますぞ。それは救世主としての判断ですかな、それとも、個人としての感情か?」
「……このスラムを守る者としての判断だ」
俺は神妙に頭を下げる。「情報でも足でも良い。力を貸してくれないか。それが結果として住人のためになる。あの子は俺にとっても、この街にとっても必要な人間だ」
答えは返ってこない。数秒間の沈黙……。俺は目を閉じ床に面を向けたまま、じっと返事を待った。導師が手を上げる気配がした。
「私は参加するよ。そのための会合だ。うちは血の気の多い連中で溢れてるしね」
「右に同じですな。そもそも連合軍は私の発案ですから」
勇むような栗毛の声がした。間をおいて、葦毛と鹿毛もそれに倣う。
「大胆だが、それ故に予測できますまい。独りを相手にスラム全体でかかるなどと。まして貧民街の連合軍だ。私でも想像しない」
「敵の罠がどんなものであっても、この数の前には無意味でしょうしな。戦力は盤石だ。馬は我々が揃えましょう」
「……ありがとう、皆」
俺は頭を上げる。周囲の視線が、スペクトラに集まる。スペクトラは難しい顔をしている。だが、何か思う所があったのか、やがて組んでいた腕を解いた。
「機を窺うつもりだったが……。今が時なのかもしれないな」振り向いて、俺の目を見据える。「あなたの決断を信じよう」
護衛たちに歓喜の声が上がる。長たちは即座に頭を突き合わせる。
「動くなら早い方が良い。敵に情報が漏れるとも限らん。明日にでも行動に移そう」
「急いで住人に知らせろ! 動けるものを回せ!」鹿毛が護衛に指示を出す。
「こちらは独自に動く予定で兵を整えていた……。既に志願者は揃っている。馬の手配を急ごう」
「これだけの大隊となると相当目立つが……」
「半日程度の行程だ。夜に紛れ、明け方に向こうに着けばちょうどいい。幸い今は濃霧期……」
場内は再び熱を持ち始めた。半纏の猿が俺の肩に手を載せる。俺は遠く東の彼方に目を向けた。もう間もなくだ……。リリの姿が目に浮かぶ。すぐに会いに行くぞ。




