第23話 教戒
霊長教会の本部が鬼の被害者を保護しているという触れ込みは、瞬く間に王都全域へ広がった。しばらくは暇だったが、やがて元ヒトを名乗る猿たちが次々と門戸を叩くようになった。
「こんなに押しかけられちゃ面倒見切れないわよ。ここは貧困街だってこと忘れたのかしら?」
面倒みられてるのはお前もだろ。しかし、不平を言いながらもアテネの声は弾んでいた。
集まった「人猿」の面々はその証として、各々の能力を見せた。ヒトの特殊器官を受け継いでいる証左だ。ある者は植物を生やし、ある者は自在に筋肉を生み出す。西の宿屋の主人と同じ、レオン人だ。また静電気レベルだが、ゼニラタのように雷を発生させる者もいた。
「俺は物を柔らかくさせることが出来ます」
ナダは床板を重たいスライムのように半液状化させていった。おお、と一同から声が上がる。「ここまでの使い手はなかなかいないぞ」
「本気を出せばこの辺一帯は沈められます。と言っても一時的だし、土と木材に限りますけどね」
ナダは照れくさそうに自慢した。
「待てよ、人猿の皆がヒトの力を受け継いでるってことは……」俺はアテネが警備隊や猿を気絶させた数々の場面を思い出して言った。「お前のあの絞め技、あれも本当は能力なのか?」
「最初からそう言ってるじゃない。カプリ人の催眠器官よ」
アテネは傲然と言い放つ。あれ、力業で落としてるんじゃなかったのか……。
「眠らせるだけじゃなくて、眠ってる相手を歩かせるとか、眠りから目覚めさせることもできるのよ。かなり訓練したもの。まあ力を使いこなすのも高貴な家柄の務めよね」
アテネは胸を張る。そうか、そんなご大層な能力だったとは……。
そうだ。俺は閃いた。アテネに耳打ちする。「その能力、あいつに使ってやれば……」
戸を開いて、リリがひっそりと入って来た。こちらを見てちょっとうろうろしていたが、遠慮したのか、離れたところに着いて遠巻きにこちらを眺めている。
俺は輪を抜けてリリの隣に座った。
「最近元気そうですね、アテネさん」
リリは後から来た猿たちに先輩面をするアテネを見て、微笑んだ。子を見る親のような顔だ。
「まあ、あいつも似たような境遇の仲間が増えて喜んでるんだろ。しばらく落ち込んでたけど、このところ調子良さそうだ」
静かで良かったんだけどな! と俺は肩をすくめた。
「またそんな憎まれ口きいて」
リリはくすくすと笑う。
「でも、寂しかったんですよ、彼女も」
俺はリリの顔を見る。リリの表情は明るかったが、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
彼女の眼は水晶のようだった。でもそれは霞のかかる曇った水晶で、いくら覗き込んでも何かが浮かんでくることはないのだ。その目はいつも届かない何かを求めているようで、俺はそんな彼女の視線を捕まえたいと思った。
リリの目が不意にこちらを向いた。視線がぶつかる。俺はなんだかくすぐったくなって、咳払いした。
「こういうの、なんて言うんだっけ。マーなんとか……、境界人だったかな?」
「まーじなるまん?」リリが首を傾げる。
「二つの領域に属していて、そのどちらにもなりきれない人、みたいな。あいつらってそんな感じだろ。人と猿の境界にいて、居場所を探してる」
「ああ……」リリは肯いた。「なんだか、わかります」
「人っていうのは、束ねられたい生き物なのかもな」
俺は独りごちった。
「俺たちは何かに括られるのが嫌で、自由になりたくて、その一方で何かに属することで規定される所がある。唯一人の自分になりたいと思いつつ、誰かに繋ぎ止めてほしいとも、どこかで願っている」
俺は右の掌で左の拳をゆっくりと包む。なんだか、偉そうなことを言ってしまったが……。
リリが肩を寄せる。二つの肩が触れ合った。
「マシラ君が頑張ってるのも、そのため?」
「え?」
「あなたはいつも、余計なことに首をつっこむ。頼まれてもいないのに助けようとします」
「なんだか迷惑がられてるみたいだな……」
俺は苦笑いする。リリの表情は見えない。近すぎるから、見えないのだ。
「世の中が許せないとか、見過ごせないとかいろんな建前を並べている。でも本当は帰る場所が欲しいだけ……」
帰る場所? 俺は……孤独だったのだろうか。見知らぬ世界に一人飛ばされ、迫害される種族に生を受けて……。
「……それは、君の願望かもしれない」
俺はぱっと身を離した。リリは唇を尖らせて俺の背中をぐりぐりとつついた。痛いな……。
「俺はただ、この世界に生まれなおした意味を探してるんだ。それが何かは分からないけど……、でも、生まれ変わったことにはきっと理由があると思うんだ」
「それだけ?」
「それだけ」
リリは手を放して、またあちらを向いた。透き通るような淡雪の前髪が額にかかる。
「それに、君だって俺を助けた」
「医者ですからねー」リリは誤魔化すように明るく言い繕った。
まあ、あれは寧ろ捕まえたというべきだけど……。死体との同居生活を思い出して、俺は冷や汗を浮かべた。
「またうちで暮らしても良いんですよ?」リリは悪戯っぽく微笑む。
「次は霊暗室以外で頼むぜ。あんな死体の横で何年も寝起きしてたら、人格が歪んじまう」
俺が大げさに溜息をついて言うと、リリの目は一瞬宙を移ろった。「リリ?」
「いえ……、実はですね」
彼女は俺に耳打ちする。「『人猿』の皆さんが居住できる場所を確保してるところなんです。まだ誰にも言ってませんけど」
不言実行というか……、ひっそりとそんな計画を進めていたのか。君は聖人か何かか?
「俺なんかよりもよっぽど救世主の肩書に相応しいな」
「気に入ってるくせに」
茶化される。たしかに、期待されて悪い気はしていない……。それに見合うような自分になりたいとも思う。ここに居ると、自分は特別な何かに成れるんじゃないかとか、俺が世界を救えるんじゃないかという気分にさせられる。
「私はあくまで個人的にやってるだけです」
彼女は穏やかに否む。
「今度見に来てくださいよ。次会った時案内してあげます」
「悪くないね。次回はいつ来るんだ?」
「そうですねー、明日にでも」
リリは即答した。
そんなに大した約束ではなかった。あくまでも口約束だ。
明くる日、俺はまんじりともせず彼女を待ち続けた。太陽が昇り、照り、山間に沈むまでのんびりと待ちぼうけた。だが日が没しても彼女はやってこなかった。
二日たち、三日たってもリリは現れなかった。四日目。城下町から帰ってきた猿たちに尋ねてみたが、誰も彼女の姿を見た者はいなかった。




