第21話 成長
「肝臓損傷、肋骨粉砕、前歯は全て折れ頭蓋骨に亀裂、右鼓膜破裂、他全身打撲、裂傷四十か所……」
「そんなに手ひどくやってないぞ」
俺は五人の赤毛の猿を転がして抗議する。反教会派の残党で、闇討ちを仕掛けてきた連中だ。スペクトラは紙の束から目を上げる。
「そいつじゃない、あなたのカルテを見ていた。この間のな」
「こないだって、もう四ヶ月も前だろ」
緑衣の鬼の襲撃を受けた夜、俺たちは集まってきた近隣住人に担ぎ込まれ、本部で応急措置を施された。虫の息だったが急所の傷は浅く、翌朝リリが駆け付けるまで、なんとか持ちこたえたのだった。
「よもやあの傷を完治させるとはな。あれもやはり魔法……、神の恩寵だ。ああいう特別な人間は時々現れる」
スペクトラは感慨深そうに呟く。
「傷跡は残ってるとこもあるけどな。でも後遺症もない。名医だよ」俺は床に寝ている猿たちを指さした「で、こいつらは返してきて良いかな?」
「せっかく捉えたんだろう」
「襲って来たから無力化しただけだよ。さすがに懲りただろ」
俺は赤毛を担ぎ上げる。
「反教会の動きは活発だ……。いくつかのグループとは話を付けたけど、まだそこら中に火種がくすぶってる」
「速やかに解決している方だ。協力に感謝する」
緑衣の鬼襲来後、スラムの治安はかなりの混迷に陥った。猿の味方として密かに支持を集めていた鬼の実在が確認され、それが猿の一団を無差別に、しかも一方的に半殺しにしてしまったのだ。都合の悪いことに、その被害者にはやっと現れた救世主(つまり、俺のことなのだが)も含まれていた。住民の不安は計り知れず、教会の権威で危うく成り立っていた貧民街の均衡は、大いに傾いた。
本部に反感を抱く者や、今まで鳴りを潜めていた他宗派の連中が決起し、各所で暴動が起った。犯罪も今まで以上に横行し、その原因は全て鬼の名に押し付けられた。あの事件のずっと前から、鬼は出没していた、という噂も実しやかに囁かれた。
「あんたがやってればもっと早かった」
俺は咎める。スペクトラは暴動の鎮圧に消極的だった。これは意外なことだった。外部からの抑圧や暴力に対して、彼は拍子抜けするほど無抵抗だった。教会内部での小さなごたごたには対処するが、外から大きな力が加わると、彼は極端にあっさりと諦め、それを受け入れようとするのだった。服従までは至らなかったが、かといって敵対勢力を潰そうともしなかった。
「諍いは無意味だ」彼は無表情に言った。「制裁では何も解決しない。我々は選ばれた民。苦難に堪える者がひとり神の祝福を受ける」
「あんたのやり方は尊重したよ」
俺は答える。俺もなるべく平和的に収めたかった。だがこの状況を手をこまねいて見ているわけにもいかなかった。罪の無い住人たちが巻き込まれていたからだ。
俺は怪我が回復すると、すぐに他宗派の連中と接触を試みた。救世主という触れ込みを利用して、不死鳥のように蘇ったことを主張し、どうにか話し合いをこぎつけた。もちろん一筋縄にはいかなくて、結局いくつも修羅場をくぐることになったけれど、最終的にいくつかの集団とは停戦に持ち込むことに成功した。いや、本当に骨が折れた(物理的にも何度か折られた)。
それでも実践経験を積みまくったことで、俺は着実に力を付けていた。
「それで、何で俺のカルテなんか見てる? 調査の一環か」
俺は尋ねた。スペクトラは鬼の捜索の指揮を担当していた。というより、俺が依頼したのだ。聞き込みには人脈がいるし、本部のメンバーを動かせるのはスペクトラくらいだ。それに、スペクトラを遊ばせておいたのでは彼の沽券に関わる。
「いや、基本資料をもう一度洗っているだけだ。条件は絞れているが、不確定要素が大きすぎる」
彼はカルテを叩いた。
「まずこの異常な膂力だが、猿族なら大型種、ヒト族ならレオン人などが当てはまる。しかし大型種は全員アリバイの裏がとれたし、レオン人はこのスラムに住んでいない」
レオン人……。いつか見た宿屋の亭主がそうだったな。筋肉を自在に増やしていた。
「外部から入り込んだ可能性は?」
「もちろんあり得るが、見慣れない顔の奴なら必ず情報が入ってくる。今回はそれが無い」
彼は腕を組んだ。
「そもそも目撃情報が少なすぎる。緑の服を着た奴なら見かけたという声もあったが、長身……つまり人違い、あるいは例の模倣犯だった。実質ゼロに近い。それに鬼の逃走経路も巧妙で、ある程度土地勘があるとしか思えない」
あの、偽鬼の誘拐集団か。俺はやつらの顔を思い浮かべる。
「あいつらは無事なのか? 片目えぐられてたし、指も切りとられてたぞ」
「大丈夫だ。あなたを診た時に、ついでにドクターが治していった」
「もはや再生だな……」
俺はしみじみと呟く。
「あなたの供述通りなら、鬼の身丈はあなたよりも小さい……、つまり俺とそう変わらない。体つきも細身のはずだ」
「ああ。誘拐集団に子供が混じってたけど、あの子供より一回り大きいくらい。だから年齢も不詳だ」
「そこが謎なんだ。そんな体躯でこれだけの使い手なら、王都にすらそういない筈だ。だが目ぼしい人物はいなかった」
「小身で怪力、スラムの身内で外部の人間。ヒト攫いで猿を襲う」俺は指折り数える。「矛盾……とまではいかないが、どっちつかずだ」
「だから結局、同じ結論に落ち着く」
スペクトラは片眼鏡を上げた。「神の力だ」
「それは答えになってない」
俺は溜息をつく。
「神通力だか黒魔術だかモンキー・マジックだか知らないが……、そうほいほい神様のせいにしていいのか?」
まあ、神の遣いとか持ち上げられてる俺が言うのもなんだけど。
「しかし、現にあなたも見ただろう。セオの姿を」
スペクトラは眉をひそめる。俺もあの痛ましい光景を思い出して口をつぐむ。
「あんな芸当はヒト族にも出来ない。もちろん、特殊器官を持たない猿族もだ。あれは魔法、奇跡と考えるのが当然だろう」
「奇跡ってのは起こらないから奇跡なんだぜ。魔法使いってのはそうごろごろ居るもんなのか?」
スペクトラはカルテを机の上に投げ出した。粟粒のような埃が舞う。
「歴史の中に時折、出現する。俺も古くは旅をして回ったものだが……、あちこちで噂は耳にした。ただ、ヒトを猿に変えた例は聞いたことが無い」
「まだ見ぬ魔法使いってわけか……。いるとすれば、力を隠していたか、力に目覚めたか」
「あるいは」スペクトラはこちらを見つめる。「あなただ」
「俺?」
彼は肯く。
「あなたのような稀人……、異境から迷い込んだ者だ」




