第2話 美女と野獣
醒めながら見る夢だ、俺は思った。
現実と幻、時間が交錯して断片的な情報がパッチワークを織りなす。揺れる緑の宝石、鈴のような女の声、冷たい水の感触、濡れた唇、肺に送られる空気の音、月の輪郭……。
俺はぼそぼそと目を開いた。体の芯から痛みが滲み出ている感じだ。……でもそれは生きている証拠でもあった。俺は胸を撫でおろす。飛び込みには成功したようだった。
耳にはまだ大河の轟きが反響している。近いけど、水の中に居るわけではない。岸辺に打ち上げられたのだろうか。
俺は片頬に触れる感触に気づく。河原にしては柔らかく、温かい。まるで毛布に包まれているような感じだ。ごわごわした肌触り。毛布と言うか、むしろ毛皮のような……?
……いや毛皮だ、これ。
俺はがばりと身を起こした。最悪の事態を想定する……。例えば、ここが野生動物のねぐらで、今まさにキング・コングみたいな野獣の膝の上にいる可能性だってある。川を流れている所を捕まったとか……。
とっさに目を閉じて自分に言い聞かせる。待て、落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。最善のパターンの想定……、そうだ、毛布を敷いた美少女が、膝枕で介抱してくれていたという展開もありえる。さっそくヒロイン登場というわけだ。異世界に飛ばされて早々、獣の懐に引きずり込まれてはたまらない……!
耳を澄ます。さあ、どっちだ?
「……! 目を覚ましたのね」
背後から甘い声が聞こえる。やけに力強いが、可愛らしい声だ。助かった! どうやら後者……、女の子の方らしい。少なくとも危険な獣に捕獲されたわけではないようだ。
「突然崖から落ちてきて驚いたわ。大変だったのよ? 水を吐かせて、打ち身の手当てをして、それから……」彼女は言い淀んだ。「その、息をさせる必要があったから……」
俺は事態を察し、二〇〇キロの握力(推定)でガッツポーズをした。声から妄想するに、彼女は恐らく……、大人しい赤髪に桃色の瞳をした、健気で儚げな美少女に違いない。きっとそうだ。多分に願望込みだが……!
俺は濡れた髪をかき上げて振り向く。水も滴る何とやらだ……。満を持してご対面。空から美少女が降ってくればと夢想していたが、よもやこんな形で叶うとは思わなかった。まあ降ってきたのは俺の方だけど……。
「…………?」
猿。
「……? ……?」
俺はたっぷり三秒かけて瞬きした。猿。毛深い腕でごしごしと目をこする。水滴で見間違えたのかもしれない。もう一度よく見よう。猿。
猿がぱかっと口を開ける。
「ぼんやりしてるわね。無理もないわ、あの高さから落ちたんだもの。……まだ私の膝で休んでいていいのよ」
目の前にいたのは、俺と同じ姿をした、いやむしろ二回りは大きい巨躯を抱えた、まごうことなき猿であった!
「嫌だぁああぁぁあっぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺の哀しい叫びは、崖から落下した時よりも遥かに遠くこだました。だってあんまりじゃないか! ヒロインがゴリラなのか? この世界は! 嘘だと言ってくれ!
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ!」
「うるせえ! 何が悲しくてゴリラをヒロインにお迎えしなくちゃならないんだっつーの!」
「は、はぁ?」
ゴリラは俺の理不尽な怒りに押されてたじろいた様子だったが、すぐに攻勢に出てきた。
「失礼ね、見かけこそ猿かもしれないけど、心は淑女のつもりよ! 大体命の恩人に向かってその態度は何?」
「む……」
俺は痛い所を突かれて言葉を詰まらせた。見てくれはアレだが……、確かに彼女は俺の身を救ってくれたに相違ないのだ。
「いや、たしかにその件は、あり……」
「こっちは人工呼吸までしてあげたっていうのに」
「があぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺は嗚咽を挙げながら、失われた純潔を悼んで哀しみのドラミングを始めた。
「頭の打ちどころが悪かったのかしら……」
「おめーに奪われた唇に捧げてんだよ!」
レクイエムは夜明けまで続いた。




