第17話 カンパイ
はっと気が付くと、リリの顔が覗き込んでいる。頭の裏に心地よい膝の感触がある。痩せてるからか少し固いけど、ゴリアテの膝とは雲泥の差だ。
「お目覚めですねー」
あたりはまだ猿で満ちている。感覚からしておそらく数分と経っていないはずだ。まさか神が破れるとは……。
「気分はどうだ?」
スペクトラが屈みこむ。
「あなたが寝ている間に話し合ったんだが、あなたは神ではないようだ」
本当に掌返すの早いな……。君たちが腱鞘炎にならないか心配だよ、俺は。
俺はリリの膝枕に後ろ髪を引かれる思いで起き上がる。
「聖典の解釈には、神と救世主を同一視しないものもある。救世主は神の遣い。天界から派遣された我々の同胞であるというわけだ」
「そうなると、俺はどういう扱い?」
「見たところ、あなたはまだ天上の力を使いこなせていないようだ。下界に降りてきたばかりだからだろう。だから俺達の特別な同胞として、あなたを保護することにした。あなたが一人前になるまで、力を飼い慣らす道を我々がつくり、食と住処を饗する。あなたは来るべき日に、その手を振るうだけ。どうだろうか?」
「十分だよ、それで」さっきとはえらい待遇の違いだが、贅沢は言っていられない。「だが一つ追加していいか?」
俺は隣に来たゴリアテを指で示した。
「こいつも一緒に匿ってくれ。言ってなかったけど、実は警備隊から追われているんだ」
かいつまんで事情を話す。この状況ならもう説明して大丈夫だろう。
思った通りスペクトラは快諾してくれた。
「かまわない。警備隊と悶着があるのはいつものことだ。だが、我々の仕事も手伝ってもらう。ただ飯を食らわせるだけの食い扶持は、無いからな」
集会も終わったらしい。がやがやと猿たちが解散していって、何人かの猿が好奇心に目を輝かせて残った。というか、ほとんどの猿の関心がもう冷めてる……。さっきまで胴上げしてたじゃないか!
「救世主様は魔法を使えるって聞いてたけど……、本当だったんだなー」
俺が席に座ると、猿たちが周りを取り囲む。残ってくれるやつが居るだけでもありがたい。俺は愛想よく答える。
「ああ、予知のことか」
あれも一種の魔法だろうか。信者たちはやはりという風に肯く。
「ヒト族ならいざ知らず、猿の身でやってのけるとはなぁ」
「猿族には出来ないのか?」
「そうさ。ヒト族はそれぞれ特殊な器官を備えているが、猿族にはそういうのがないじゃないか」
「それに、ヒトでもあんな能力にはお目にかかれませんよー」
リリと、少し離れてゴリアテがやってくる。周囲の猿たちも同調する。
「まったくだ。やつら十二民族の中でもあんな芸当が出来る奴はいない。予言なんてできるの、大陸の三賢者くらいなもんだぜ?」
彼らはひとしきり盛り上がると、ついでのようにゴリアテに話しかけた。
「なあ、あんたも何かできるのか? マシラの部下なんだろ?」
「部下じゃないわよ!」
ゴリアテが憤慨する。俺はひらひらと手を振る。
「そいつはただの連れでこの世界の住人だよ。一般猿だから期待しても何も出ないぜ」
「何よ、私だって能力くらいあるわ!」
ゴリアテは俺の首をがっしり締め上げる。それ物理攻撃だから!
「が……ま……」俺の意識は再びブラックアウトしかけた。
「どうよ。眠くなってきたでしょ」
ゴリアテは気絶寸前でぱっと手を離した。「どうよじゃねえ!」俺は目を剥く。
「まあ、一瞬で落とせるのはもはや能力だな……」猿の皆さんが微妙な顔で拍手する。ゴリアテがどや顔で応えた。
阿呆なやりとりを遠巻きに見ていたリリは、テーブルから果実の詰まった器を持ってきて、一房手渡してくれた。
「食べてください。気付けの効果がありますよー」
「おっ、さっきのシトの実か?」
「いえ、これはグレという果物です。シトの実はこっち。シトは皮が固すぎて生だと食べられないんですよー」
リリは柑橘類のような夕日色の実を持ち上げる。色々あるんだな。俺は濃い紫のグレの実を摘まみながら考えた。酸味が強いが、その奥にほのかな甘さが漂う。
「ゴリアテも食うか?」
「あんた、いい加減その呼び名やめなさいよね。皆に変な名前で覚えられるでしょうが」
ゴリアテは腕を組んで言った。俺は肩をすくめてシトの実を渡す。「これ食えたら考えてやるよ」
「やめる気ゼロじゃない……」グレの実も渡してやろうとすると、ゴリアテは押し戻した。
「私はそういう柔らかい実、駄目なのよ。この猿の体になってから細かい力の加減が難しくてね。すぐ潰しちゃうの」
「それはお前が怪力だからだろ」
「誰が怪力よぉぉぉお!!!!」
ゴリアテは硬さに定評のあるシトの実を片手で握りつぶし、雄叫びを上げて貪り始めた。「シトを、喰ってる……!」猿たちがドン引きする。
無残なシトの残骸を投げ捨てると、ゴリアテは手で口元を拭った。
「なんか知らんけど食えたわ……。アテネと呼びなさい」
俺はこくこくと肯いた。こいつには逆らわんでおこう。
パフォーマンスと受け取られたのか、皆の注意はアテネに向かってしまった。
「……天界から来たお方を見るのは初めてです」
椅子を引く気配を感じて顔を上げると、さっきセオと呼ばれていた人間の老人が、隣に座ったところだった。歳の割に背筋が伸びていて若々しい。だが、瞳は白く濁っている。
「ああ、目のことなら気にしないでください。眼病でしてね。若い時から目が弱いのです……。お陰で耳はよく聴こえますが」
「あなたはヒトなんだな。リリみたいに、何か仕事で出入りしているとか?」
リリを目で探したが、いつの間にか席を外している。
「いえ、私はれっきとした教徒でしてな」
「見たところ、ヒトはあなたしかいないようだけど」
俺は辺りを見渡したまま言った。アテネは他の固そうな果実を次々と手渡され、謎のチャレンジに突入している。
「ほとんどいませんねえ。ヒトと猿族の間の溝は深い。私も昔はヒトの神を信じていたものです」
「改宗したのか」
「ええ。元は宮廷付きの法律家だったのですがね。権力闘争に巻き込まれ……。身寄りも無くあちこちを放浪し、行き倒れていた所を先代の教祖が助けてくださったのです」
「それで、猿たちの社会に居場所を見つけたってわけか。案外宮廷よりはマシだったとか?」
老人は喉の奥で笑った。
「変わりませんでしたよ、ヒトも、猿も」
「えっ?」
「結局、知能を持つ動物はみな同じです。欺き、奪い、傷つける。私は猿族に『無垢』を期待していました。だがそんなものは幻だと分かった」
「じゃあ、なぜ教徒に?」
隙間風が吹き込んで、蝋燭の火が不安定に揺れた。オレンジ色の灯りが床にかかる老人の濃い陰影を震わせる。
「だからこそでしょうね、彼らの思想が真実だと思ったのです。猿は人である。人もまた猿である。どちらに居ても変わらないなら、せめて信頼のおける相手に付いていきたいと思った」
彼は朧な目にどこか諦観のようなものを滲ませた。こんな人もいるんだな……。俺は人生の酸いも甘いも味わいきったようなその老人に、なんとなく親しみを覚えた。
「しかし今日は目出度い日です」
彼はテーブルの酒瓶を持ち上げた。
「どうです、一杯やりませんか。飲める歳でしょう。メシアに年齢があるかは分かりませんが……」
「誰も時間からは逃れられないさ」
俺はありがたく頂戴する。
「あなたはいける口かい?」
「ええ。若衆と酌み交わす酒は心楽しいものです」
彼は目尻を下げる。酒瓶を受けとって、彼の盃に並々と注いだ。
「はは、それではちと溢れてしまいますな」
「サービスサービス」
俺は笑って酒瓶を置き、乾杯した。




