第13話 路上の霊長
灰色に染まった街は、獣とすえた塵の臭いで煮詰まっていた。寂れた石壁の住居が所狭しと立ち並び、その陰に猿たちがうずくまってこちらを生気の無い目で睨む。酒に酔ったような陰気な叫び声が数軒先から聞こえてくる他は、森閑として空気が重く濁っている。
「もう少しまともな抱え方はないわけ?」
ゴリアテは俺の背中を叩きながら言った。俺は動けない彼女を、背負うでもなく抱き上げるでもなく、左肩に担ぎ上げる形で運んでいる。
「しょうがないだろ、急いで運んで来たんだから。ゼニラタは追い払ったけど、応援が来るような口ぶりだった。もたもたしてる暇はなかったんだ」
「なら、せめておぶりなさいよね!」
「いや、さっきので右腕がいっちゃってるから、この体勢じゃないと無理。あの時はやけに力が湧いたんだが……、火事場の馬鹿力ってやつか?」
「知らないわよ! とにかくこれじゃ人目につくわ。なんとかしなさいよ」
仕方ないな、俺はその辺に落ちている茣蓙を拾い上げた。
「ちょっと、あんた何で隠そうとしてんの?」
「いいだろー、簀巻きみたいで」
「良くないわよ! うわっ、何か湧いてるじゃない!」
ゴリアテが悲鳴を上げる。
「おい、あたしの寝床をどこに持ってく気だ!」
人相の悪い瘦せぎすの猿が声を荒げた。これ、居住スペースだったのか! これは悪いことをした。
「すみません、悪気はなかったもので……」
俺は平謝りする。彼女は敷物を雑に奪い返すと、俺の肩でぐったりしているゴリアテに訝し気な視線を寄せた。「ははは……、では先を急ぐので」俺はそそくさとその場を後にする。
「そういえばゴリアテ、お前数秒先の音を拾ったりできるか?」
俺は人目を気にしながら尋ねた。
「数秒先の音?」
「つまり未来の音」
「? なにわけ分かんない事言ってんの。そんなこと出来るやつ見たことないわ……。いたら魔法使いか何かよ」
「魔法使い……。ゼニラタの電撃は魔法じゃないんだよな」リリの言葉を思い出す。「ドクターならできるかな? 予知みたいなこと」
「ドクター?」
「ドクター・リリだよ。治癒魔法みたいなのが使えるんだろ?」
ああ、合点が言ったように、肩越しに答えが返ってくる。
「治癒魔法なんて言葉は無いけど……、あの人の医療技術はまるで魔法よね。傷も病気もすぐに治しちゃうとか。私はほとんど会ったことないけど……」
なんとかは風邪ひかないって言うもんな。俺は無言で納得する。
「医者は他にもいるんだろ?」
「いるけど、レベルが違うわよ。薬草を飲ませたり包帯を当てたり、そういう地道な処置が精一杯だわ。大陸の医者なら話は別かもしれないけど」
「難しいな……」
この世界の魔法の基準が、よく分からん。一概に魔法使いと言っても、あらゆる力を使えるというわけじゃなさそうだ。むしろ特殊スペックみたいな感じか?
「でもどうしてそんなこと訊くの? 数秒先がどうとか……」
「ああ、やって見せた方が早いか……」
俺は脳に意識を集中させる。第六感みたいな、頭に何かそういう器官でもある感じだ。
『そこの手前、待ちやがれ!』
がさつな男の声音。未来の声が聴こえてくる。
「何か揉めてる感じだな、今から男が飛び出してくる」
俺は暢気に解説する。次の言葉まで分かる。
『見かけねえ顔だな。面貸してもらおうか』
「可哀想に、誰か脅されてるみたいだ」
「?」ゴリアテが怪訝そうな顔でこちらを窺う。俺は肩をすくめる。「まあ見てなって」
「そこの手前、待ちやがれ!」通りから頭に手拭いを巻いた大柄な猿が姿を現した。俺は得意げに手拭いを指さす。「ほらな?」
奥の建物から、脇道から、わらわらと猿が集まってくる。俺はアテネに耳打ちする。「見てろ、誰かがあいつに絡まれるぞ」
傍観していると手拭いがずいと顔を突き出し、俺の肩を掴んだ。
「見かけねえ顔だな。面貸してもらおうか」
あ……僕でしたか! 俺は回れ右してもと来た道を引き返そうとした。だが、後ろも既に囲まれている。
「金なら持ってないぞ!」
俺はぴょんぴょん飛び跳ねてみせる。肩に背負うゴリアテの上体が勢いよく飛び跳ねる。
「何遊んでやがる。お前、鬼だろ」
背面の女が低く問い質す。左側に腕輪を付けている。
「いや、見ての通り猿だが……」
「とぼけるんじゃねえ!」腕輪が吠える。「緑衣の鬼だ! しばらく前から王都一帯を荒らしまわってる、人攫いの!」
俺は心外だという風に抗議する。
「失礼だな、俺のどこが誘拐魔に見える!」
「自分の左肩見てみろや!」
おっと、こいつのせいか。俺はゴリアテを地面に落とす。ゴリアテは潰れた蛙のような悲鳴を挙げる。
「見ろ……。人を物のように扱いやがる」
「そういえば人相書きであいつの顔を見たぞ。間違いねえ」
ゴリアテも下から湿度の高い目でこちらを睨む。本当に人攫い扱いしかねない視線だ。悪かったって……。
「待ってくれ、誤解だ。俺はこいつの仲間で、怪我してるこいつを抱えて逃げてる途中だったんだ。かくいう俺も右腕を負傷してる」
俺は右腕を指して見せる。と言っても外目には分からないが……。多分筋を違えてるのだ。手拭いは胡散臭そうに俺の腕を一瞥する。
「さっきその女が悲鳴を上げてるのを聞いた。それに角の住人の寝床を剝ぎ取ろうとしたらしいな」
「いや、事実だけども!」
まずい、警備隊に追われているこの状態で騒ぎを起こしたくはない。なんとか穏便にすませる手は無いか?
手拭いの猿が大げさに肩を振り回す。
「ここのルールってもんを教えてやる……」
いや、けっこうです……。だが猿はお構いなしに突き進んでくる。
「〈疑わしきは罰する〉だ! 全裸で市中引き回したらあ!」
「待て待て! 俺にも人の尊厳があるから!」
手拭いの猿の拳がぴたりと止まる。あれっ。
「今、なんて言った?」
「全裸で市中引き回しに……」
「それは俺の台詞だろ! ……人の尊厳とか言ったよな」
「ああ……」
たしかに、そんなことを口走ったような気もする。手拭いは俺の顔を睨む。
「お前は、自分のことを〈人〉だと思うか?」
「ああ、思うよ。実は」実は人間で、猿の身体に転生したんだ。
「じゃあ、こいつは〈人間〉か?」
俺の言葉に割り込んで、手拭いはゴリアテを示す。そういえば、猿に変身させられたって妄想を抱いてたよな……。
「まあ、人間かな、一応」
手拭いが背面の腕輪の方を確認する。周りの猿たちが肯く。
「悪い奴じゃなさそうだが」
「同胞とあっちゃ仕方ねえよな?」
よく分からないが、心なしか警戒の色が薄れている。手拭いの猿は腕組をして唸る。「どうする?」女が尋ねる。
「教祖様の指示を仰ごう。どのみち新参者のようだしな」
「教祖……?」俺は眉をひそめる。手拭いが口角を上げた。
「ああ。我ら〈霊長教会〉が教祖、スペクトラ様だ」




