第12話 鳴神
塀を抜けると、俺は空を仰いでのけ反り、両腕を広げた。雷雨だともっと雰囲気出るのだが……。
「何? そのポーズ」
「『ショーシャンクの空に』という映画があってだな……」
ゴリアテは冷めた目でこちらを見る。「よく分からないけど、緊張感に欠けてるってことだけは伝わったわ」
悪かったよ……。一回やってみたかったんだ。
俺たちは正面の森を突き切っていった。
「それで、これからどこへ向かうの?」
ゴリアテが樹々を渡りながら叫ぶ。まだ樹上移動に慣れない俺は、ひたすら地面を走る。弱っていはいるが、さすがにゴリアテの方が少し速い。
「このまま進めばいい! 森を抜ければ街だ」
俺はリリとのやりとりと収監される時の記憶で、監獄周辺の地理は大体分かっていた。
「この方角はたしかスラム街のはずだ。河が流れていて、それを挟んだところにある。一時身を隠すには丁度いいと思う」
「了解!」
ゴリアテは軽快に答えてみせる。しかし声には疲労が滲んでいた。当たり前だ、一ヶ月の特殊房生活に、一転塀を超え、森を駆け抜ける。いかにタフなゴリアテと言えど、こたえているはずだ。俺としても、責任を感じずにはいられない。
「おい、あまり飛ばし過ぎるなよ。ばてるぞ」
「悠長なこと言ってられないでしょ。そろそろ監獄付きの警備隊が動き出してる頃よ」
ゴリアテの姿が枝を縫って見え隠れする。鬱蒼としていて見通しが悪い。離されないように注意しなければ……。俺達は、黙々と森を突き進んだ。
河のせせらぎが聞こえてきた。森の端まで来たのだ。ここを抜ければ街。ひとまず安全圏。俺達は互いに目配せした。ゴリアテが速度を上げ、樹から飛び出した。
「! 見えたわ! 橋……」
一筋の閃光が瞬いた。
劈くような鳴動が轟き、彼女の言葉を覆った。
「ゴリアテ!」
俺はゴリアテと地面の間に滑り込み、彼女の身体を受け止めた。
「おい、無事か?」
ゴリアテの身体は熱を帯び、直撃したであろう部分からは微かに煙さえ上っていた。手首に指をあてる。脈は途切れていない。
「ふん……。令嬢の手を、軽々しく握らないで、くれる」
ゴリアテは呻いた。強がっているがダメージは大きい。
「今ので気絶しないとは、なかなか丈夫だな」
川下から声が近づいてきた。
「ゼニラタ!」
「やっぱりお前か……、マシラ。更生してくれたと思ってたんだがな」
ゼニラタは十分距離をとって橋の前から俺達を窺う。俺はゴリアテを抱えて後ずさった。
「馬鹿な……! 早すぎる」
「ああ、信じられない早さだ! 出獄と同時に罪を重ねるやつは初めてだよ。猿公の再犯率は高いが……、こいつは新記録だ」
「そうじゃない」俺は唸る。
「人間の足では、馬を使ってもまだ追いつかないはず……。それに、どうしてここが分かった?」
「なに、先回りしたまでよ。何年猿の尻を追いかけてると思ってる? ここは脱走犯の定番ルートだ。橋の前で張っていれば自分から姿を現す」
ゼニラタはすっと指を向けた。
「それより、その女から離れた方が良い。お前に向けた電撃の巻き添えを食うぞ。二発も喰らえば命の保証ができない」
「投降しろと?」
俺は舌打ちをして、ゴリアテを抱えたまま林の中に逃げ込んだ。追いかけるように、頭の上を電撃が飛んでいく。俺は首をすくめた。
「俺達より早く監獄を発っていたんだな?」壁際でもたついていた間だろう。「いつから疑っていた」
「疑っちゃいなかったぞ! だがお前が出獄の時、用を足しに行くと言って、ピンときた」
俺はじりじりと距離を離しながら聞いた。「何かヘマしたか?」
「お前は詰め所の厠を使わせてくれと頼んだ。ここに来て一週間のお前が、なぜあそこに厠のあることを知ってる?」
さすがに鋭いな。俺は掌ほどの大きさの石を拾い上げた。
「そこに至ってわしは気づいのだ、貴様が何か企んでるとな!」
電光が閃く。はずれだ。少し離れた樹木に直撃した。俺は石礫を握りしめ、ゼニラタめがけて投擲した。
「おっと」
ゼニラタは頭をかがめ、ひらりと躱した。さすが警備隊長を務めてるだけあって、反応も良い。不意打ちは厳しそうだ。
「……不審に思って追いかけたが、案の定お前は消えていた。そしてすぐに『火事だ!』という叫びが聞こえてきた」
「行けるか?」俺は無視してゴリアテを揺すった。ゴリアテは草陰に身を隠しながら膝を立てた。脚がまだ小刻みに痙攣している。ゼニラタが続ける。
「あれは詰めが甘かったな! 本当の火災で人は『火事だ!』とは騒がん。例えばこうだな……『逃げろ!』」
ゼニラタが両手から雷光を繰り出す。左右の木々が雷を受けて燃え出した。
俺は熱を感じて振り返る。後ろからも火が迫ってきている。さっきゼニラタが撃ち損じた当りである。いや、むしろ狙いはこれだったのだ! 初めから居場所の定かでない俺を狙撃するよりも、火と煙で炙り出すつもりだったようだ。
「意趣返しってわけか?」
「粋な演出だろうが。だがお前のと一緒にするなよ。俺はちゃんと消防班を手配してある」
俺は辺りを見渡した。既に四方を火に囲まれている。抜け出すにはゼニラタのいる河畔に飛び出すほかない。だが、それでは格好の的だ。
なら、この火を逆手に取るってのはどうだ!
俺は樹を上り、枝から枝へと飛び移って燃えた木の端を手折り集めた。木登りは苦手だがそうも言っていられない。
ぱちぱちと火の粉が舞い、顔に降りかかる。樹上は煙たいし熱気も大したものだ。俺は浅く呼吸して何とかやり過ごす。ゼニラタは俺達の影を探して岸辺をうろついている。まだ上方の俺には気づいていないようだ。
枝の火が爆ぜ、右手の毛皮に燃え移る。叫び出しそうになるのを堪え、俺は木切れを握りしめる。まだ離さない。ゼニラタが隙を見せるのを待つ……。
枝が焼け落ちたのか、突然、左手から派手な音が響いた。ゼニラタはぱっとそちらを睨む。今だ! 俺は持っていた松明たちをばらばらとゼニラタの頭上に放り投げた。この量ならさすがに躱し切れまい!
ぱちりと乾いた音がして、梢が飛んでいった。一本、二本、ゼニラタの身に降りかかった枝々は一つ残らず電気の網に弾かれ、辺りに転がった。ゼニラタは鼻を鳴らし、こちらに雷電を放った。俺の頭を掠めて樹にぶち当たる。狙いも正確だ。
木がまた発火し始めたので、俺は慌ててゴリアテのもとへ戻る。
「駄目だ、手の打ちようがない!」俺は小声で叫ぶ。「陽動くらいにはなるかと思ったが、目くらましにもならない。このままじゃジリ貧だ」
ゼニラタが声を張る。
「逃げるための工夫ではわしは抑えられんぞ! 降参しろ。恥じることは無い、相手はこの最強の血族! 世界を滅ぼす力! ライブラ人の末裔なのだからな!
」
豪快な高笑いが広がる。警備隊が世界を滅ぼしてどうする! どう考えても「盛ってる」が、この状況では薄っすら真実味さえ感じる。それくらい圧倒的な実力差だ。
煤煙で息もそろそろ苦しい。俺は溜息をつく。
「俺がやつを惹きつける。その隙にお前は逃げろ」
ゴリアテは荒い息をしながらこちらを見る。
「それは無理な相談ね……。この脚じゃ追いつかれる。それにあんたじゃ瞬殺でしょ。時間稼ぎにならないわ」
彼女は挑戦的な笑みを浮かべる。「私が行けばいい」
「それこそ無理な相談だな。お前ひとり残していくわけにはいかないんだ。猿を守ることにしたんだよ俺は」
ゼニラタは腕を組んで足踏みをしている。もう降伏まで秒読みといった体勢だ。だが油断なく周囲を窺っている。
「二手に別れて……、いや、それも難しいな。さっき同時に二方向へ攻撃してたし……」
どうする? もう火の手はそこまで迫ってきている!
「だったら、闘うのよ、マシラ」
ゴリアテが俺の肩に手をやる。
「逃げる方法じゃなく、倒す方法を考えるの」
倒す方法?
俺は目をしばたたかせた。考えてもみなかった。力量差は目に見えてる……。でも、活路は、死地にこそあるのかもしれない。
あたりが煙で薄暗くなってくる。俺は腕で口と鼻をふさぐ。身振りでゴリアテにも促す。あの電膜が問題だ、物理攻撃は届かない。かすり傷ひとつ負わせることすら……。
ゼニラタが汗を拭く、火影が堀の深い顔に陰影を作っている。待てよ? 俺は獄中でのやりとりを思い出す。ゴリアテを収監する時に出来たと言って、あいつは傷を見せたじゃないか。
俺は危険を顧みず身を乗り出し、ゼニラタの顎に視線を注ぐ。やはり、あった! そこにはかなり薄れてはいるものの、しっかりと傷が刻まれていた。
考えてもみれば、やつはさっき俺の石礫も躱していた。あれもおかしな話だ。攻撃が通らないなら、なぜわざわざ避ける必要がある?
……だが、鍵は何だ。素材か、何か条件が?
「おい、ゴリアテ」「アテネよ!」
「お前が収監される時、手ひどく暴れたって聞いたんだ。その時ゼニラタに攻撃を当ててる。何で殴った?」
「何って……、覚えてないわ、無我夢中だったから。でも特に武器なんて使ってないはずよ。ゼニラタの電流を食らいそうになって、慌てて殴ったんだったかしら」
「躱したのか? 雷撃を」
「たぶん違うわ、私は看守に囲まれてたし、威嚇射撃でしょうね」
ゴリアテがごほごほと咳き込み、しゃがみ込む。もう限界も近い。火の熱と木の剥がれる音が間近に迫っている。俺は汗を拭った。できるか? あの攻撃の波をかい潜りながら、ゼニラタに一発喰らわせてやることが。音よりも早い攻撃だ。知覚してから反応してたんじゃ間に合わない。
……いや。
俺は思考を立ち止まらせる。おかしい。何かが引っかかる。……そうだ、俺は一度あの電撃をかわしてるじゃないか! 初めてやつに出会って、路地裏を逃げた時だ。あれは運が良かっただけと思っていたけれど……。でも、あの時確かに「聴こえた」。電光よりも先に、音が届いていた。
ということは、ゼニラタの電気は実際の雷ほど速くないってことか? ……いや、そうじゃない。あの時の〈音〉はもっと手前のタイミングで鳴っていた。それだけじゃない、よくよく思い出してみれば、雷鳴は俺には二回聴こえていた。しかも最初の〈音〉は脳に直接響く感じだった……。
俺の中で事実の断片が繋がり、像を結んでいく。最初に崖から落ちた時にも感じた。確証は無い。だが、猿が喋り、人が雷を発ち、たちまちに傷を癒す魔法の世界だ。俺が「そう」じゃないと断ずる理由は無い……!
「アテネ」
俺は静かに呼びかけた。彼女が首を回す。
「一度だけ言っとくがな、感謝してるぜ、これまでのこと」
「……? 何よ、こんな時に」
「こんな時だからこそだ。俺は最悪次の突撃で終わるかもしれない。だから言葉にしておく。最初に川から救ってくれた時も、街を案内してくれたことも、悪態ばかりついてたが、俺はずっと恩を感じてはいたんだ。それなのにお前は俺のせいで牢に繋がれて、おまけに俺はそれに一ヶ月も気づかずにいたっていうんだからな……。本当にすまなかった」
彼女は黙って俺の言葉に耳を傾けていた。緑の宝石の耳飾りが微かに振れる。
「この策が失敗したら……、俺のことはかまうな、迷わず河に飛び込め。しがみついてでも奴を足止めしてやる。流れが強ければ、そのまま下流まで逃げられるかもしれない」
「それなら、二人でかかれば……」
「いや、お前は動ける状態じゃない。川まで走りきるのが精一杯だろう」
「……」「良いんだ」
俺は遮った。
「どうせお前に拾われた命で、俺の招いた禍だ。お前が気に病む必要はない。それに……」
俺は炎の揺らめくアテネの瞳を見つめた。
「君は高潔だ。ここはずいぶんいい加減で酷い世界かもしれないけど、お前はそれでも強く、気高くあろうとしている。俺はお前を解放して、自分に課した使命を全うしたい」
アテネは唇を引き結び、しかと俺の目を見返して、それから肯いた。
「やぶれかぶれじゃないわよね?」
「ああ」
俺は笑ってみせる。やぶれかぶれとはちょっと違う。
「一か八かさ」
煙の切れ間から灯りが漏れ出してくる。俺は葉叢を突き抜け、川端に躍り出た。
すかさずゼニラタが振り向き、指を突き出す。少し遠いが、瞬きの間に仕留めらる距離だ。だが、俺が向かってこないのを見てにやりと笑った。
「根競べはお終いか。黒焦げになっているかと冷や汗をかいたわ」額を拭う。「投降……、懸命な判断だ。死んだら全て終わりだからな」
「生まれ変わってやり直せるかもしれないぜ」
「ありもしない希望に縋るな。人生に二回目はない。今を真っ当に生きろ」
ゼニラタは苦々しく突っぱねる。
俺は姿勢を落とした。
「期待に沿えなくて申し訳ないが、降伏はしない」
俺は新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。目を閉じ、全神経を耳に、脳に傾ける。
「そうか、名誉ある敗北を選ぶか。そういうのは嫌いじゃない」
一瞬の沈黙。あたりをただ木々の爆ぜる音と川の囁きだけが包む。『それを引き裂くように、稲妻が叫ぶ!』
俺は聴こえると同時に踏み切った。「華々しく散れ!」ゼニラタの声を掻き消して稲光が荒ぶ。電撃は俺の頬を掠めて通り過ぎた。
「なん……」ゼニラタの目が大きく見開かれる。
「退きも降りもしないぞ、ゼニラタ!」
俺は飛び出した勢いのまま駆け抜ける。ゼニラタの雷は攻防一体だ! 電磁膜は雷撃を放つための帯電を盾として利用したもの……。俺の見立てが間違っていなければ、電撃直後は充電切れ、わずかに無防備な時間がある!
ゼニラタがまた指を立てる。まだ距離はある。次が来る!
『脳内に、雷鳴が続けざまに劈く』。数秒先の未来、その音が! 連射……。分かっていれば関係ない、俺は斜め前方に三度飛びのく。霹靂が空気を震わせる。だが雷爪は虚空を掻いた。「馬鹿な!」
間合いだ!
俺の拳は虚を突かれたゼニラタの胸を打ち抜いた。
入った……!
喜びも束の間、俺の顎にゼニラタの靴がめり込む。
「一撃入れた程度で余韻に浸るな!」
俺は大きくのけ反る。そうだ、まだ気は抜けない! 再び脳内の静寂に耳を澄ませる。俺はがむしゃらに拳を打ち込む。猿の筋力だ、闇雲に殴りつけていくだけでもそれなりに効くはずだ。ゼニラタは唸りながら打撃をいなす。
「図に乗るなよ!」
全身から放電する。が、音を察知した俺は既に退いている。
「諦めろゼニラタ、お前の技はもう見切った! 俺たちは罪のない一般人だ。もう放っておいてくれ!」
「ほざけ無法者が! 掟が全て、法が正義だとなぜ分からん? 皆が己の言い分を通せば秩序は破滅するしかない。認められた者だけが力を使役し、社会を守るしかなかろうが!」
ゼニラタが吠える。俺は腕を固め、彼の肘鉄を受け止める。「だったら俺の答えは一つだ」
「ほう、聞かせてもらおうか!」
ゼニラタが距離をとりなおす。俺は右手を全力で握りしめ、突撃する。閃光に目が眩む。今までで一番強烈だ。だがもはや当たらない! 筋肉が滾る。右腕が燃えるように打ち震えた。
「拳に聞きやがれ!」
渾身の一撃が、彼の顎から脳天に突き抜ける!
骨が軋み、ゼニラタの足が地を離れる。雷は空白の中に走り去る。打ち抜いた腕から、全身を微振動が駆けていった。ゼニラタの身体がきりもみのように宙を舞う。
たまには味わってみるんだな……。藁にも縋る気持ちってやつを。
俺は腕をぶらりと下げ、踵を返した。見るまでもない。数秒後に派手な水音の上がることを、知っているからだ。




