第11話 プリズン・ブレイク
監獄のセキュリティは現代ほど厳密なものではなかったが、さすがに手錠をはめられた状態で逃げるのは難しい。それにこの世界の人間にどんな能力があるかは、未知数だ。特殊器官がどうとか、魔法がどうとか……。リリからもっと詳しく聞いておけば良かったが、悔やんでも仕方がない。俺の刑期はごく形式的であっという間だから、それを待った方が早い。
だが外から中に潜入するのも、それはそれで骨が折れる。収監される時に見た感じ、外の見張りは堅そうだった。だから出所の日を決行の時とすることにした。
その日はすぐにやってきた。
「短い間だったが、楽しかったよ」
鉄格子の隙間から、湿った空気が入り込んでくる。十字傷の猿は少ししんみりした口調で別れの言葉を述べた。
「俺は今から刑務作業がある。見送ってやれなくてすまないな」
「気にするな。君は良い同室だったよ。それと……」
俺は言葉を途切らせた。十字傷が目で尋ねる。
「いや……。元気でな」
彼は不思議そうな顔をしたが、俺が何も続けないので、そのまま刑吏に連れられて房を後にした。
「別れの挨拶は済んだか?」
ゼニラタが陰から現れた。後ろには二人刑吏を連れている。片方が鍵を取り出して言った。
「時間だ。出ろ」
檻から出口までの経路は入った時と同じだった。ひとまずは計画通りである。場内の地図は十字傷から聞いて頭に叩き込んである。正門の近くに守衛の詰め所があって、看守塔に通じる通路がある。上の見張りに見つからずに特殊房まで行くには、その道しかない。
「これに懲りたら、真っ当な道を歩むんだぞ!」
ゼニラタは快活に笑った。
「どうもお世話になりました」
俺は大人しく返事をする。正門にさしかかった。俺は切羽詰まった調子で口を開く。
「こんなタイミングでなんだが、ちょっと用を足してきていいか?」
「なんだ、済ませていなかったのか」
「一週間ぶりの娑婆の空気だと思うと緊張しちゃってね。そこのトイレを借りていいか?」
俺は詰め所を指さした。ゼニラタが渋るように腕を組む。
「頼むよ、ここで盛大にぶちかましても掃除が大変なだけだぜ」
「分かった、分かった! だがすぐに戻ってこいよ。おい、付いていってやれ」
ゼニラタは後ろの警備隊に合図した。
「一人で大丈夫だよ。もう囚人じゃないんだぜ? 監視を付けられるいわれはないだろ」
「ふむ……」
ゼニラタは逡巡した。
「よし、さっさと行ってこい」
俺は心の中でほくそ笑んだ。ゼニラタは規範に厳しい男だ。それは逆に、扱いやすい面でもある。
詰め所に入ると、もちろん厠はスルーして看守塔に向かう。看守塔に通じる通路は暗くて、昼でも松明が灯されている。これも十字傷の彼から仕入れた情報だ。収容歴が長いだけあって、場内の情報には詳しい。
俺はこの間の清掃作業で集めた令嬢の髪の毛を松明にくべ、煙を起こした。辺りは石造りだから、そう燃え広がることもないだろう。俺はほどよく煙が上がってきたのを確認し、上に向かって叫んだ。
「あぁぁぁ火事だぁぁぁぁぁあ!!!!」
猿の声量の大きさは経験済みである。上の見張りに声が届き、ざわつく気配を感じた。俺はもう一押しする。
「火・事・だぁぁぁあ! 看守塔に広がってくぞ!」
上からどやどやと監視係たちが降りてきた。看守塔に階段は一つしかないから、火にまかれたら逃げ場がない。全員進んで避難してくるはずである。
俺は煙に紛れて彼らをやり過ごし、天井を這って看守たちの頭上を通り抜けた。
「なんだ、ボヤじゃないか……」
「いいからすぐに水を持ってこい!」
監視室を探すと、案の定鍵束が置いてけぼりである。正直これは賭けだったが、上手くいった。急ごしらえの脱獄計画にしては上首尾である。最悪、火に気をとられている刑務官を殴り倒すか、扉を蹴破るつもりだった。
俺は鍵を掴んでさらに上階へと駆け上った。重い鉄の扉が見える。これは破壊するのは無理そうだ。
俺は戸をノックする。
「……あなたね?」
令嬢の落ち着かない声がする。どこか懐かしさを感じる声だ。
「ああ、俺だ。鍵もある。もう少しの辛抱だ」
俺はいくつかの鍵を試した末、特殊房の鍵に辿り着いた。
錆びついた音を立てて、重い鉄扉が開く。深窓の令嬢とのご対面だ! 長い赤毛の髪をなびかせ、彼女が振り向いた……。
猿。
そこには見覚えのある猿の顔があった。
「……? あら、マシラ? 何してるのよこんな所で」
それははっきりと聞き覚えのある声だった。俺を川から引きあげ、ゼニラタから共に逃げた女ゴリラの声である。
「いや、お前かぁぁぁぁあい!!!!!」
「はぁ~? 何なのその反応は! 助けに来たんじゃないわけ?」
「いや、助けには来たがお前かよ! っていうか捕まってたのかよ! お前なら鉄格子引きちぎってでも抜け出せただろうが!」
俺はまくしたてるが、ゴリアテも負けじと言い返す。
「試したわよ! でも窓が小さすぎて諦めたの!」
試したのかよ! なんかひしゃげてると思ってたけど!
やいやい言い合っていると、階下から守衛たちの声が響いてきて我に返る。もうあまり時間はない。俺はゴリアテの手錠に鍵を当てながら言った。
「細かいことはどうでもいい! とにかくここを出よう。付いてくるんだ!」
かちりと音がして、ゴリアテの錠が外れる。
「待って、髪を切り離して。邪魔になるわ」
ゴリアテは自分の長い髪を見せる
。
「猿ってそんなに髪伸びたか?」
「知らないわよ! なんだかこの体になってから異常に伸びるのよね。看守たちへの嫌がらせで切らないでいたけど……。爪を出して!」
そんな理由で伸ばしてたのか……。俺は爪を立てる。ゴリアテは爪に髪をあてがい、勢いよく引き裂いた。たわわな髪が窓を通り抜けて地面に落ちていく。
「ふう、せいせいしたわ」
俺達は階段を駆け下り、監視室の窓から外壁を伝って降りた。幸いぼや騒ぎで誰の目にも止まらない。幸先が良い。
「正門に回るの?」
「いや! 俺達は猿だ、門は必要ない。このまま塀を超える! 正門にはゼニラタたちが待機しているからな」
まだ警備には見つかっていない。逃走時間は十分に稼げるはずだ。
俺達は人の目をくぐりながら、なんとか塀に辿り着いた。ビルの三階くらいまではある高い石壁がそりたっている。
「この壁なら監視の目から死角だ。監視塔に人が戻る前に上ろう」
「ちょっと待って……! 思い出したわ。塀からは無理よ!」
「どうして?」俺は立ち止まった。
「登れない壁じゃないだろう」
「下からは見えないけど……、特殊房から見下ろしてたから分かる。この監獄、塀の上に針みたいなのが巻き付いてるのよ」
「針? ……有刺鉄線か!」
映画の刑務所なんかでよく見るやつだ。
「どうするの? やっぱり他の出口を探して……」
「駄目だ、探している間に見つかる。俺が鉄線の隙間を広げるから、お前は俺ごと乗り越えて進むんだ」
「でも……」
「迷っている暇はない。多少の手傷は平気だ、任せてくれ」
俺は石塀の細かな傷に指を掛けた。これなら問題なく登れそうだ。唯一問題があるとすれば、血の跡から辿られてしまう恐れがあるということだ。だがこれ以外に方法はない……。
「……? マシラか?」
名前を呼ばれ、俺はぎくりとして手を放した。振り返ると、囚人服の山を抱えた十字傷の猿がこちらを注視している。
「何でこんなとこに居る? ……それに、その女はたしか……」
彼は俺とゴリアテを交互に眺める。「アテネよ。アテネ=モンフォール」ゴリアテが答える。そういえばそんな名前だったな……。
遠くから警鐘が鳴り響く。彼は俺達の状況を察したようだった。
「やけに監獄の設備を知りたがると思っていた」
「看守に突き出すか?」
「冗談はよせ……。どうやってそいつを連れ出した?」
十字傷はゴリアテを目で指す。
「ちょっと煙を焚いただけだ。……それより、すぐにここを離れた方が良い。俺達と一緒にいたら、君まで疑われるぜ」
「……ああ」
彼は踵を返しかけたが、二の足を踏んだ。
「何してる、早く行くんだ!」
「だが……、すぐに行かなくちゃいけないのは、お前たちの方だ。そうしないのには何か事情がある。……そうだろ?」
察しが良いいのも困りものだ。俺は頭を掻いた。
「棘があるのよ」ゴリアテが口を挟んだ。
「塀の上に棘があるの。通り抜けられても、それなりの怪我をするのは目に見えてる」
「そういうことだ。俺はともかくこいつは疲弊してる。塀を超えるのがやっとだろう。これ以上負傷して逃げ回れる状態じゃない」
私は大丈夫よ! ゴリアテが主張するが無視する。
「だが気にするな。俺が手で除ければ済む話だ。猿の毛皮があるし、大した負傷にならないだろ」
俺は再び壁に向かいなおる。「待てよ」背中にごわごわとした生地の感触がした。
「使ってくれ。それで針を包めばいい。だいぶマシになるんじゃないか」
俺は肩にかかった囚人服を摘まんだ。たしかに、何枚か重ねて巻きつければ、有刺鉄線を掴むことが出来そうだった。
「だけど、囚人服が無くなったら問題になるだろ。お前に迷惑がかかる」
「他人の心配してる場合か? 俺は気にするな。それより血痕や匂いで逃げ道がばれたら、まずいだろ。傷の手当をする場所も無い。逃げ足が鈍るのは避けたいんじゃないか?」
それは俺の懸念していたところでもあった。リリを頼ろうにも、診療所までかなり距離がある。しかし……。
俺がなお躊躇うのを見てかゴリアテが提案した。
「じゃあ、あなたは洗濯物を盗まれたことにすればいいわ。そして今から看守のところに行って、ここから逃げたのを見たって申告すればいいの。そうしたら私たちの味方とは思われないでしょ」
「……そうだな。そう上手く運ぶかは分からないが、妥当だろう。……外で俺の姉貴に会ったら、よろしく言っといてくれ」十字傷は洗濯籠をこちらに放る。「健闘を祈る」
「すまないな」
俺は残りの服を拾い上げ、黄ばんだ白い生地をじっと見つめた。そこには年季の入った油染みと、哀愁とが、薄い石鹸から逃れしがみついているようだった。
「なあ」
俺は遠ざかる十字傷の背中に声をかけた。官舎へと戻りかけていた彼が、振り返る。
「お前も来ないか」
十字傷は驚いたような顔をした。そんなことは考えもしなかったというような、そんな表情だ。彼は一瞬壁に目を向けたが、皮肉っぽく笑った。
「俺は、ここに残る」
応えに迷いの色は無かった。きっぱりと首を振る。
「外に出ても行く当てが無い。仕事も、ねぐらも……。ここの生活の方が、いくらかマシだ」
俺は何も答えることが出来なかった。彼は肩をすくめ、再び踵を返すと、獄舎に向かって歩いていった。
俺は塀を上りながら何度か十字傷の後姿を見やったが、彼は二度と振り返らなかった。雲が過ぎて強い日差しが降りかかる。塀から落ちる暗い陰が、彼の後を追いかけるように伸びていた。




