情報収集 【ハンク】
馬車の支度に、と早々にジョゼが逃げていく後姿を見送って、俺はため息をついた。ブラッドが友人のために厳選しただけあって、さりげなく隙のない身ごなしと目立たない容姿をした男は、隠密の護衛任務にはうってつけの条件を備えていた。自分の部下にいないタイプなのが悔やまれる。
「惜しいですね」
「ああ。こんなところに置いて腐らせるには惜しいさ。諦めろ、ハンク」
ソフィアが友人の顔で肩をすくめる。
「それにしても軍なんて熊牧場みたいなものだと思ってたんだが、ああやって馬が混じってるんだな。
訓練に参加して大丈夫なのか、不安になるよ」
エイダさんが吹き出した。あまりな言い草だとは思うが、完全に否定はできないこちらは苦笑いだ。笑いを残したまま、女性2人は商人に会いに行ってしまった。俺は2人が消えた扉の前に剣を抱えて待機する。壁の一部に細工がしてあって、応接室の声は書斎に筒抜けにできるのだ。
「あのいかさま師が逃げていく様には、同業として溜飲が下がった思いでございました。
もし騙されるようであれば、僭越ながらご助言差し上げなければと思っておりましたが、
なんのなんの。私などの出る幕はございませんでしたな」
商人の声が愉しそうだ。エイダさんがフン、と鼻を鳴らす。
「他にも何人かお帰りのようでしたが、ああいった愚かな輩が多い土地柄なのかしら」
「何分にも領主さまのお膝元を遠く離れた土地ですので、なかなか目が届かないのでしょう。
心ある商人は眉をひそめておりますよ」
「こちらも移ってきたばかりで何かと物入りなので、信頼できる方をご紹介頂きたいわ」
2人は商人からあれこれと土地の情報を仕入れている。あの店の砂糖は白い砂を混ぜて嵩増ししてあるとか、こちらの店は少し値段が高いが、岩塩と海塩を両方扱っていて産地ごとの違いが判って面白いとか。西国風の丸い段通を選ぶ頃には、いつの間にかルース嬢も加わって世間話をしている。
「いくつか大きな荷物を取り寄せたいのだけれど、どうすればいいのでしょう」
「水路を使うといいですよ。この町では、気の利いた家なら自分の舟を持っているくらいですから。
最寄りの船着き場に降ろさせれば楽に運べましょう。水路の地図は役所でもらえます」
「今日は指物商の方から見事な東国の螺鈿細工を買い取ったものですから、
お方さまの私室を東国風に設えようかと思い立ちまして。港町によい店があるのですよ」
「…ほう。それはそれは」
「何か気になることでもおありかな?」
ソフィアが来客に口を開いたのは今日初めてだ。ほんの微かに、意識して聴かなければ判らない程度のアクセントが付いていて、どことなく異国風に聞こえる。芸の細かさに感心する。
「何かとは?」
「わたしは真実の目を持つ者と呼ばれている。そのわたしは其方の声に懸念の影を見た。
何を気にしておられる?」
「お方さまの慧眼には恐れ入ります。本日、待合に居た者の中で東国の指物を持ってきたのなら、
東通りのジェフでしょう。何か証があることではないので、詳しくは申し上げません。
ただ亡父も私も、あの店に積極的に関わろうとは思いませなんだ」
「ふむ…ご意見の一つとして心に留め置くことにしよう」
その後はまた近隣の情報収集に戻ったようで、ソフィアが話に加わらなくなった。自前の舟の手に入れ方から季節に合わせた庭の整え方まで、土地の情報を吐き出して、商人は帰っていった。
出かける支度をする、とエイダさんは退室したが、ソフィアはまだ考え込んでいるようだ。
「何か気になることでも?」
「あぁ、さっきの話がちょっとね」
そう生返事した後は、また思索の中に戻ってしまった。こうなってはしばらく現実に戻ってこない。仕方がない。俺は護衛の役目を物騒な忍び返しを持って到着した部下に任せ、入れ替わりに帰っていく部下に持たせる報告書を書くことにした。ここに到着してたった2日だというのに、報告書の厚みはかなりのものになりそうだった。