書斎にて 【ジョゼ】
東の集落から戻って1週間が経った。それまでの日々に比べると、驚くほどこともなく過ぎている。
ルースさんはあれから約束通りもう一度屋敷にやってきた東通りのジェフの店に、早くも情報提供者を確保したようだ。それ以外の店にも着々と人脈を拡げている。使用人同士の噂話というのはなかなか侮れない情報源らしく、近々料理人を決められそうで安堵する。
ハンク小隊長たちは庭に穴を掘り続け、順調に抜け道の一つを発見した。館の内側は控えの間の階段の下に入口があり、出口は最寄りの堀に程近い小さな教会の礼拝室だった。教会は船着場を持っていたので、逃走にはもってこいだ。お方さまの発案で出入口は敢えてそのままに、教会側から館に向かおうとすれば、曲がり角にあって見えない位置に大きな落とし穴を掘っていた。しかもロープなしには上がれないほど深い。何を落とすつもりなのか。
階段下の仕掛けをじっくり観察していたお方さまは、屋敷内にもう一つ別の入口を見つけ出した。書斎の書棚の一番下の段の底板に仕掛けがあって、別の方角の堀向こうまで続く抜け道があったのだ。出口は枯れ井戸に偽装されていた。なぜ気付いたのかと問うてみると、
「あちらの抜け道が整いすぎていたからね。あれはおとりだと思ったんだ。
反乱を企てるほど捻じ曲がった奴は、自分だけが助かるための逃げ道を別に作る」
と答えが返ってきた。俺では気付けそうにない。ちなみに、こちらの穴は書斎に続く縦穴の真下を深い落とし穴にしていた。堀向こうから延々とここまでやってきて穴に落とされるとは、なかなかひどい仕打ちだ。
抜け穴問題が解決され、池も完成したので、小隊長たちは数日中に領都に報告に戻るらしい。そうなればいよいよ俺独りでの護衛が始まることになる。これからは一層気を引き締めねばならない。一昨日から、1日の終わりは戸締りの確認に廻ることにした。
今日も倉庫、厨房、配膳室、サロンと時計回りに一つずつ部屋を巡っていけば、書斎から灯りが漏れているのに気が付く。女性陣はもう寝室に上がったはずだと思いつつ、念の為にノックしてみると、意外なことに返事があった。
「入れ」
「失礼します」
お方さまはこの部屋で独り、調べ物をしながら酒を傾けていたらしい。
「こんな時間にどうされたんです?」
「眠れなくてね。戸締りをさっさと終わらせて、一緒にどうだ?」
その後の作業が速かったのは、決して酒に釣られた訳ではない…と、思いたい。
書斎に戻ると、お方さまが俺の分のグラスを用意して待っていた。そこになみなみと注がれたのは白ワインだ。ランプの頼りない明かりでも判る金色がかった色合いに、果実のように豊かな香り。口に含むまでもなく過去最高の酒だと判ったそれは、例えようもなく旨かった。
「ところで、先日来何か訊きたいことがあるようだな?」
いきなり切り込まれて、折角の酒を吹きそうになった。アタフタしている俺を見て、お方さまが微かに笑った。
「図星か。ここで待っていて正解だったようだね」
カマをかけられたらしい。簡単に引っかかった自分にガッカリだ。それ以上に、俺の為にわざわざ時間を取ってくれたらしいことが驚きだった。お方さまの目が真っ直ぐ俺を向いた。
「それで、何を訊きたい?」
「俺は何に備えたらいいのですか?」
その言葉は、思っていたよりスルリと口からこぼれ出た。




