在りし日 〜その1【オーウェン】
「オーウェン所長、この書類はおかしいと思います!」
紙の束を抱えて少女がやってきたのは、彼女が私の元に配属されて間もなく1ヶ月いう頃だった。領城から優秀な文官を入れると聞かされていたのに、正規の見習いでもない10才の子どもが送られてきた時には腹が立ったものだが、実際彼女は優秀で、すぐさま全ての書式を覚え、過去の書類の山まで整理して、執務室は今までにないほど綺麗に片付いている。
だから彼女の進言を子どもの戯言として聞き流すことは出来なかった。
「どこがおかしい?書式も正しいし、計算も間違ってないが」
「単価です」
キッパリと言い切った彼女は、幾つかのメモを出してきた。
「最初は領都の物価が高いせいかとも思いまして、念のため休みの日に市を見てきました」
これがじゃがいも、これがとうもろこし、豚肉、鶏肉…と沢山のメモを並べる。
「1件だけでは判りませんから、それぞれの品目を10店舗ずつ調べています。
最高値を赤枠、最安値を黒枠、最後の欄には平均値。下段の数字は配送料です」
騎士さま方は野菜の値段なんてご存知ないでしょうけど、と示された数字を隊の資料と見比べれば一目瞭然だった。市場価格と比べれば、異常なほど高い価格で仕入れている。
「品質が高いと言うことは…」
「あれで?」
ぐうの音も出ない。訓練所の食事は不味いことで有名だ。食べ盛りの上に厳しい訓練で更に腹を空かせた子ども達に食べさせるのだから、質より量になるのは仕方がないと、そう思い込んでいた。
「不味いだけでは証拠になりませんので、一応調べて参りました。
私はこの通り女の子ですので、厨房に『お手伝い』と称して入り込むのは容易でしたよ。
じゃがいもの皮剥きなどをしながらつぶさに見て参りましたが、
あれは高品質どころか廃棄寸前の品物です。おそらく量も誤魔化していますね」
料理人達が自宅用に持って帰って行くのも見ましたし、と肩をすくめる少女に唖然とする。行動力がありすぎる。本当に10才なんだろうか。この子は。
「それで、いったいいつからなのかと、過去の帳簿を洗い出してみたところ、
11年前に今の料理長が厨房に就いた頃から少しずつ始まったようです。
料理長に就任した7年前には1つの業者から全ての食材を仕入れるようになっています」
「1つの業者?規程では3つ以上入れることになってるし、実際そうなってるぞ」
「表向きは、です。この2社は一番大きなこちらの仕入先の商会の子飼いです。
実質同じ業者なんですよ。領城の納税記録で調べました」
子どもが送り込まれたことに抗議に来た俺に対し、法務次官補が不適な笑みを見せて言った言葉が不意に脳裏に蘇る。
「あの子は特別だ。領宰なれる器と見てる。試しに3ヶ月使ってみろ。俺の言葉の意味が判る」
ああ、もう充分実感したよ。だから、本当は次の言葉は聴きたくない。
「関与者の範囲ですが、仕入先と料理長、厨房の料理人達は勿論ですが、
出入業者の選定の際は調査が入るはずです。その調査担当者の関与も疑いありません」
「…ああ、そうだな」
「領城から調査人を入れても?」
どこか心配そうにこちらを伺う子どもの姿に、苦い笑いが浮かぶ。10才の子どもに気を遣わせてどうする、俺よ。
「勿論だ。ありがとう、よく報せてくれた。手配を頼む」
握り潰したりしないという意味を込めて告げた。安心したように初めて年相応の笑顔を見せた少女の頭に手を置いて、その視線から自分の表情を隠す。
「この短期間で、ここまでよく調べたな。ソフィア」
本当に彼女の働きは素晴らしかった。最後に見せた笑顔は、この話を俺に告げたのが彼女の賭けだと判るものだったから。それも本当に命懸けのものだと解るから、俺は彼女の信頼を裏切れない。それと引き換えに、親友でいたつもりの副官を断罪することになっても。




