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令和・仙石学園の変

作者: 三葉倫太郎

 とても嫌な雰囲気、まさに一触即発というやつだ。

 尾田先輩の貧乏ゆすりがどんどん加速していく、小刻みに動く膝が机に当たった音で俺は小動物のように震え上がった。

 しかし、そんな俺とは裏腹に向かいに座る武智先輩は凛とした表情を崩さない。だが、武智先輩の語気からすると心中穏やかではないことがよくわかる。


 「ノブ、お前の言いたいことはわかる。そして正しいのもきっとお前だ。だけど生徒一人がいくら吼えたところで学校の伝統は曲げられねえ、特にウチの学校はな」


 武智先輩の言葉には尾田先輩への苛立ち以上に、どこか悔しさを感じさせるものがあった。


 俺達が通う『私立仙石(せんごく)学園』は理事長の安土氏と桃山校長が家族代々運営してきた歴史ある有名校だ。この学校の名前を知らない人はまずいないだろう。それに、ここに通っておいて言うのもなんだが、中学までの同級生にはここに入れたことをかなり自慢できるほどの名門だ。

 

 しかし、なまじ歴史が深い分、その中で形成されていった伝統というものは俺たち学生にとっては目の上のたんこぶでしかない。特に、文化祭での伝統に関しては…。


 「ミッツよぉ…じゃあ何か!? おめえはあんな眠いだけの文化祭で満足できるってのか? 頭でっかちの老害共の自己満足に今年も付き合うつもりか!?」


 老害の自己満足、まったくその通りだ。他所の学校が当たり前にやっているような出店や出し物というものはウチには存在しない。やることといえば主に文化部が作る作品の展覧会と国際交流の成果などを披露する留学生のスピーチ等、はっきり言って眠くなる内容ばかりだ。桃山校長だけが毎年段取りを企画して、どっかのお偉いさんや理事長にだけ自分の手柄のようにひけらかす様子から、俺達学生の間では『桃山文化祭』などと揶揄されて呼ばれている。


 「俺だって嫌に決まってるだろ! だけどなあノブ、何遍も言うがウチの学校は他所とは違う。校長と理事長の独裁みたいなもんだ。お前がどれだけ正しいことを言おうと、あんな弱腰の教師達じゃまず上に話はいかねえ」


 「だったら直談判でもなんでも直接話しつけりゃいいじゃねえか! お前が言ってるのは腰抜けの先公共と何も変わりゃしねえ!」


 「何だと!」


 「んだよやるかぁ!?」


 「ちょっ!落ち着いてください!」


 たまらず俺は二人を仲裁するが、特に尾田先輩の苛立ちは収まりそうにない。


 「お前も見てえだろうが! 植杉のメイド服!!」


 その言葉を聞いた武智先輩は怒っていた自分を恥じるように呆れ、頭を抱えた。

 何を隠そうこの尾田信孝(おだのぶたか)という男、学園一の美男子とされる植杉慧信(うえすぎきいしん)が実は女だと信じて聞かない。そこで白黒つけるために植杉先輩に可愛い格好をさせて他の生徒達に自分の見る目の正しさを証明させるため、公にそういう格好ができるメイド喫茶を文化祭でやれるようにしようという、誠に身勝手極まりない動機で吼えていたのである。


 しかし、俺は正直乗り気だった。メイド喫茶の是非はともかくとして、伝統が覆される場面に立ち会えそうなワクワクを感じていたからだ。尾田先輩と話をしていく中で期待に胸を膨らませてはいたが、尾田先輩と付き合いの長い武智英光(たけちひでみつ)という男は現実を見ていた。


 「見たいっちゃ見たいですけど…やっぱ武智先輩の言う通り、実現には無理があるような…」


 「おいおい…お前ら無理無理って言うけど今まで誰かやってみたことあんのかよ? できないことをやってのけるのがロマンってやつじゃねえのかよ」


 「だからノブ、現実を見ろよ」


 「お前はいつもそうやって!」


 冷たく言ってのけた武智先輩の胸倉を尾田先輩がつかみかかった。

 たまらず武智先輩もつかみ返す。


 「おめえは席外せ、ついでに飲みもん買ってこい二人分な」


 こうなったら止められない…尾田先輩に言われるがままに小銭を持って自販機までコーヒーを二つ買いに行き、10分ほど時間を潰してから教室に戻ると、案の定散らかった机や椅子と、見事にKOされた武智先輩の姿だけがあった。


 「今回もやられましたね…尾田先輩はどこ行ったんです?」


 「知るかあんな奴…明日校長に直談判してやるって言って帰ったよ」


 尾田先輩は相変わらずの破天荒っぷりだ。勉強もスポーツも完璧にこなせるのにこういう性格にだけは難があった。そこが尾田先輩の無二の魅力でもあり、欠点だったように思う。


 翌日、結果は案の定却下。挙句の果てに尾田先輩は校長に対して暴力事件を起こしそうになったという。


 「こんの大馬鹿野郎が!!」


 珍しく武智先輩が尾田先輩に対して声を荒げた。それもそうだろう、あの場で感情に身を任せた行動を取っていれば間違いなく退学処分だった。

 そんな暴れん坊を止めたのが、彼だ。


 「マーマー先輩も反省してマスから」


真っ黒な肌と俺達日本人とはかけ離れた恵体を持つ彼は何故だか尾田先輩にえらく気に入られ、『ヤス』という愛称で親しまれていた。


 「こいつが反省なんかするか!」


 「いいや、俺は反省した」


 武智先輩の指摘はもっともではあったが、尾田先輩からは意外な言葉が飛んできた。


 曰く、確かに武智先輩の言う通り、一人で声を上げたところで伝統を捻じ曲げるのは無理があるということ。そして、おそらく全校生徒で声を上げたとしてもあの頭でっかちの老害どもは絶対に考えを曲げないだろうということを先程の直談判で確信したそうだ。

 俺達はそれを聞き、何も言えなかった。何せあの尾田先輩が自分から折れる場面なんて初めて見るのだから。ヤス君は目を丸くしたまま呆然と立ち尽くし、あれだけ尾田先輩を止めようとしていた武智先輩もどこかばつが悪そうだ。

 

 武智先輩が慰めるように言葉を紡ごうとした瞬間、俺達は尾田先輩から信じられない言葉を聞いた。


 「だから実力を行使することにした」


 ヤス君だけでなく、その場にいた俺と武智先輩も同様に目を丸くした。いやもう目が飛び出そうな程に。


 「お前何も反省してねえじゃねえか!」


 「そうですヨ先輩! 暴力はいけまセン!」


 「ほ、ほんとですよ!」


 たまらず俺も声を上げるが、尾田先輩は激昂するわけでもなく、ただただ落ち着いていた。


 「そうだ、俺が先公を全員殴ったとしても俺が退学食らうだけで何も変わらねえ。だけどよ、全員が先公を殴ったらどうなると思う? 全員を退学にするか? そんなわけないよな?」


 尾田先輩の目は本気だった。


 「それこそ馬鹿かお前! そんなふざけた作戦に乗る奴なんているわけ」


 「お前ら悔しくないのか?」


 武智先輩の言葉を遮り、尾田先輩は続ける。


 「この際メイド喫茶云々はどうでもいい。だがジジイのエゴで俺達の貴重な学園生活を出汁にされてるわけだろ? 俺達を売り物みたいに扱ってそれをアイツらは自分の手柄のように周りへひけらかして楽しんでんだろ? そんなの、納得いくか?」


 「そんな子供じみた言い分が通るわけ…」


 「子供じみてて結構! 俺はとにかくあの老害共が気に入らねえ!」


 尾田先輩は机を蹴り倒し、放課後の静かになった校舎に尾田先輩の魂の叫びがこだまする。

 倫理や社会的に正しいかどうかはともかく、尾田先輩の言うことは理解できる。俺も同じ気持ちではあるが、だからといって俺達は所詮無力なガキだ。悔しいが、尾田先輩の理想を実現させるには現実的に問題がありすぎる。


 だが、意外にも尾田先輩の流れに乗ったのは武智先輩だった。


 「だったら尚更、ちゃんとどうにかなる方法を考えろ。殴って解決するしか発想がないのかよ」


 「殴るってのは言葉のアヤだ。いくらムカつくからって全員巻き込んで戦争みたいにはできねえ」


 「じゃあ一体どうするってんだ?」


 「理事長の前で校長の面子を潰してやればいい」


 尾田先輩の計画はこうだ。

 二週間後に理事長が来校する全校集会をグラウンドで行う予定だ。その時に全校生徒、もしくは半数以上の人数で改めて文化祭に異を唱える。安土家と桃山家の力関係は安土家の方が圧倒的に上であるため、とにかく人数を集めて理事長の前でアピールすることに効果があるはずだと述べた。


 十分に思い切った行動のはずだが、尾田先輩にしては随分と穏便なやり方のように聞こえた。


 「ミッツ、クラス委員のお前からも呼びかけを頼む。俺は生徒会のツテを辿って、できるだけ全学年に話が行くように根回しをする。ヤスとお前にも重要な仕事を頼みたい、いいよな?」


 断る理由はなかった。ただの直談判ではなく、理事長の前で行うということに相当の効果が期待できそうだ。

 俺とヤス君は迷わず首を縦に振る。


 「ノブ…お前そこまで」


 「ミッツ、方法さえしっかりしてりゃいいんだろ? それにお前だってあんな文化祭嫌だってずっと言ってたじゃねえか」


 「…ああ、わかったよ! こうなったらやぶれかぶれだ、やるだけやってみよう!」


 こうして、全校集会までの二週間、俺達は悪しき伝統を打ち破るために奔走することとなった。そして、俺とヤス君に言い渡された仕事は案の定、いや、遥かに常軌を逸したものであり、尾田先輩が穏便な方法で丸く収めようとするわけがないのだと疑うべきだったと強く思い知らされるのだった。


 そうして、二週間はあっという間に過ぎ去り、勝負の日がやってきた。おかげさまで昨夜は一睡もできなかったが、そんな俺とは打って変わってヤス君は爽やかに「楽しみデスね!」と一転の曇りもない眼差しで言うのであった。


 集会のプログラムが終わりに差し掛かる頃、遂に尾田先輩が動き出す。

 全校生徒の声を代弁する生徒代表のスピーチである。何でも、生徒会長ではなく直接尾田先輩をあの場に立たせる為には相当な苦労をしたらしい。それもそうだろう、成績は良くても尾田先輩は問題児として教師、生徒問わず知れ渡っている有名人だ。


 尾田先輩には不似合いな丁寧な言葉遣いで文化祭への思いがマイクを通して伝えられる。スピーチの原稿を考えてきたのは武智先輩だ。それを尾田先輩は丸暗記して喋っている。俺達の二週間の頑張りが形になって表れているようで正直グッと来た。

 しかし、そんな思いに反して自分の心拍数の上昇を全身で感じる。脇から嫌な汗もかいている。本当にやるのだろうか、ふと隣に並ぶヤス君を見てみると、彼も同じく居ても立ってもいられないという様子だった。それに、そんな様子なのは実は俺とヤス君だけではない。尾田先輩の舎弟の中の舎弟である森君と茶道部の理休君に目を遣る。汗だくの理休君と親指を立てて微笑む森君、準備は万端みたいだ。


 そうして、尾田先輩の魂を込めたスピーチが終わり、先輩はそのまま文化祭の計画書を桃山校長と理事長に提出した。そして、校長がひと言。


 「君達の意見は受け入れられん。我が校の伝統を侮辱している」


 「侮辱するつもりはありません。文化部が行う展覧会などはこれまで通り行えばいい。ただ、もっと生徒一同で楽しめる場が…」


 「それはさっきも聞いた。とにかく却下だ! 理事長の前で恥ずかしい、君達は歴史ある仙石学園の学生である自覚が足りていない!」


 「…そうですか、よくわかりました」


 尾田先輩の反論は空しく、話し合いでの解決は失敗に終わった。悔しそうに拳を握る武智先輩の姿が目に入った。

 しかし、尾田先輩は突如狂ったような笑い声を上げ、ついに号令が下される。


 「焼き討ちだ!!」


 綺麗に整列していた生徒達の列が一斉に乱れ、各々がポケットに忍ばせていた薪や新聞紙を校庭の中央にそそくさと集め、ヤス君が雄叫びを上げてそこに火を放った。

 白昼堂々と行われるキャンプファイヤーを前に、慌てふためく生徒が7割、そして、俺とヤス君で根回しをしていた3割の生徒が持ってきた教科書を火にくべ始めた。

 俺とヤス君に任された仕事は、交渉が決裂した際に生徒全員で授業のボイコットをさせるよう、仲間を増やしておくことで、そのボイコットの内容がこれだ。尾田先輩の人脈があってこそ成せる業だ、考え付いても普通はやらない。


 「コレが日本の祭りデスね!! 楽しいデース!! Yeah!!」


 ヤス君は最後まで趣旨を理解していないようだったが、おかげで留学生はほぼ全員教科書を投げ込んでいる、イエズヌ部とかいう怪しい部活に属するザビ君に至っては机や制服まで火にくべている始末だ。


 「ごめん、良かったらコレ使って」


 俺は二週間で集めに集めた古本を残りの7割の生徒達に配り、教科書の代わりに火の中へ投げ入れてもらうように頼んで回っていた。一度騒ぎになれば投げ入れる物は漫画だろうとエロ本だろうとわかりはしない。これも俺に任された仕事だった。


 自分達で起こしておいてアレだが、地獄絵図とはこのことだった。気付けば校長のやり方に反発する教師たちもお祭り騒ぎだった。尾田先輩は全員巻き込んで戦争みたいにはできないと語っていたが、まだみんなで殴りかかる方が絵面は綺麗だったようにさえ思える。

 

 「燃やせ! もっと燃やせ!! 遠慮なくどんどん燃やしちまえ!!」


 マイクを通して尾田先輩が叫ぶ。「何やってんだお前!」と叫ぶ武智先輩の声も聞こえたような気がしたが、暴れ回るみんなの声ですぐにかき消された。


 後にこの一件は、伝説の焼き討ち事件として末永く学園の歴史に刻まれることになるのはまた別のお話。


 そして、例の焼き討ち事件から数ヵ月後、俺達は遂に念願の文化祭を迎えることになった。

 さすがの校長も目の前であんな馬鹿騒ぎを、ましてや理事長の目の前でやられたせいで面子は見事に丸潰れになり、文化祭は全生徒の望む形で開催することを許可せざるを得なくなった。


 「伝統という肩書きに胡坐をかいて甘い汁をすする害を排除し、誰もが自由に商売やら出し物が出来る文化祭…正門の関所も取っ払って部外者の入場まで許可するとは…まるで革命だな」


 武智先輩は少し呆れたように、でもどこか満足気に語る。


 「俺も一時はどうなるかと思いましたけど、学園もあんな事件を外に知られたくはないでしょうからね、ここまで本当に丸く収まるとは思いませんでした。尾田先輩はここまで見越してたんですかね?」


 「いや、絶対にそれはないな…学園中を巻き込んだ腹いせがたまたま上手く収集ついただけだろう」


 そう言って二人で笑った。

 武智先輩も結局ヤケになってあの野蛮なキャンプファイヤーに参加していたらしい。俺も夢中だったからそこまで観察する余裕はなかったが、とても見てみたい光景だった。


 「そういえば、文化祭が終われば次は会長選挙が始まりますけど、やっぱり尾田先輩がぶっちぎりで人気みたいですよ」


 それもそのはずだ、誰もが口には出していなかったものの、従来の文化祭に良い印象を抱いていた奴なんていない。それを尾田先輩はたった一日ですべてひっくり返してしまったのだから、更なる期待を抱かれるのも当然だろう。

 しかし、武智先輩は表情を曇らせる。


 「そうだな、でも、ノブがやりたがるかどうか…」


 「オダ先輩、そう落ち込まないでくだサイ…」


 ふと、尾田先輩がうなだれた様子でヤス君とやってきた。


 「落ち込まないわけないだろ…俺があれだけ手を焼いてやったってのに植杉の奴普通にタコ焼き屋やるってどういうこった! メイドはどうした!?」


 尾田先輩はあの事件の後、ケロッとした様子でいつもの調子に戻っていた。学園中からまさに英雄だと称えられることも増えていたが、尾田先輩はそんな名声には余り興味がなさそうだった。

 

 俺は尾田先輩に会長選挙のことを聞いてみた。

 会長に立候補するつもりはあるのかと聞くと、当然だと言わんばかりに更なる思いを語った。

 

 この学園にはまだまだ悪しき伝統やら気に入らないルールが蔓延っていること。それを全部変えて学園を自分色に染め上げてやると豪語した。


 「ノブ、流石にそこまでやる必要はあるのか?前の事件でも、誰にも迷惑がかからなかったわけじゃない。それに、お前の代だけで何もかも変えるのは無理があるぞ。お前はもう十分に学園に変革をもたらしたじゃないか」


 「甘いぜミッツ、むしろこれから始まるんだよ。俺は今回の件で権力とさえ呼べる程の発言力を手に入れたんだ。わかるか? この学園はそこらの学校とは訳が違う、俺達ガキには想像できないような利権が裏では絡み合ってる。今の内からその辺との繋がりを持てたら…きっと将来は面白いことになるぜ?」


 驚いた、尾田先輩はここまでスケールの大きい話を本気でしていた。そして、最初の目的だった学園の変革は、最早ついでの話のように聞こえた。


 嬉々として語る尾田先輩の様子を「それでこそオダ先輩デース!」と持て囃すヤス君とは裏腹に、俺と武智先輩は嫌な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。


 文化祭は無事に大成功を納め、感動を分かち合うのも束の間、次期生徒会長選挙の準備が始まった。

 候補者にはどれも一度は聞いたことのある名前が揃っている。言わずもがな学園中の有名人である尾田先輩と、学年一のイケメンと名高い伊藤正宗いとうまさとし、夏に大阪で開催された剣道の団体戦で好成績を残した花田幸村はなださちむら、学園中の生徒から兄貴と呼び慕われる竹田玄信たけだげんしん。その他錚々たる顔ぶれだ。


 誰もが尾田先輩の当選を確信している中、突如として尾田先輩が退学したという知らせは学園中に新たな騒動を巻き起こすことになった。


 俺が初めてその知らせを聞く頃には既に学園中はパニックだった。教師達の横暴だと、不当に退学させられたんだと誰もが信じて疑わなかった。

 かく言う俺もその一人だった。教頭が発したあの言葉を聞くまでは。


 「君達の言いたいことはわかる。だけど尾田君の退学理由に集会での事件は関係ない。尾田君にはいじめや窃盗など、この学園の生徒として相応しくない行動が多々報告されたんだ」


 ショックを受け呆然とする生徒もいれば、でっち上げだと声高に叫ぶ者もいた。ハッキリ言ってまるで収集が付かないどころか、更に騒動はヒートアップしている。

 そんな中、突如人混みを掻き分けて教頭に掴みかかろうとする男が現れた。

 真っ黒の肌に一際目立つ恵体、ヤス君だった。

 

 しかし、彼が教頭に触れることは叶わず、先生達数人がかりで取り押さえられていた。

 その先生達の中には、武智先輩もいた。


 連れていかれるヤス君を尻目に俺は武智先輩に詰め寄り、ここでは話がしにくいため、俺達がいつも集まっていた教室まで場所を移した。


 「武智先輩、教えてください。どうして尾田先輩は…」


 「天狗になりすぎていたんだよ、ノブは」


 絞り出す様に言葉を紡ぐ武智先輩はとても悔しそうに見えた。


 「教頭が言ってただろ、いじめや窃盗にその他諸々、多少盛った部分はあるが、全部本当さ」


 「盛ったって…え、まさかそれを告発したのって」


 「俺さ」


 その瞬間、俺が感じたものは尾田先輩への強い落胆と武智先輩を殴りたいという衝動だったのか、ごちゃごちゃしてよく覚えてはいない。

 ただ、努めて冷静に、何故そんなことをしたのか問い正した


 「集会での事件から、あいつは自分の思い通りにならないものは全部正せると思うようになっていたんだ。まあ、今に始まったことじゃなかったが、最近のはとても比べられるようなものじゃなかった」


 聞けば本当にひどい話だった。尾田先輩は生徒会に自分が次期生徒会長になるのだから言うことを早くも意見を無理に通そうとしたり、気に入らない教師には自分を慕う生徒を使って暴行を働くなど、最早未成年の悪戯では済まない域まで暴走していた。


 極めつけは学校の金を盗もうとして夜な夜な舎弟と一緒に校舎に忍び込み、金庫を破壊しようとするなどしていたらしい。


 「聞いててバカみたいだろ? あいつは自分にはそれが許されるだけの力があると完全に勘違いしてたんだ…だから、俺が正してやった」


 「正すって…それが尾田先輩を退学に追い込むことだったんですか?」


 「…他に何とかする方法があるか? この学園にいる限り、あいつは勘違いしたままだったはずだよ」


 それに加えて、尾田先輩の人気っぷりは最早宗教めいていた。仮に尾田先輩が更生したとして、周りがそれを許さなかったことだろうと、武智先輩は語った。


 「でもそんなの…結局は先輩の想像でしかないんじゃ」


 「俺は」


 俺の言葉を遮り、武智先輩は強い口調で言う。


 「俺はあいつのようになりたかった」


 武智先輩の目には涙が浮かんでいた。声を震わせながら、それでも力強くゆっくりと続ける。


 「ずっとあいつの行動力や豪胆さが羨ましかった。考えばかりが先行して何もできない俺と違って、あいつはいつだって周りを引っ張ってきた」


 武智先輩の告白に、俺は息を飲んだ。


 「集会の時だってそうさ、騒ぎが始まった時…俺に何も伝えずにあんなことをしたあいつを殴ってやろうと思った。だけどそれ以上にすげえと思ったんだよ…本当に学園中を巻き込みやがった、やってのけやがった…やっぱりすげえって」


 俺も武智先輩とは同じことを思っていた。尾田先輩の大胆な行動力は、いつだって尊敬していた。


 「でもそれが行き過ぎたんだ! 今のあいつは力量を誤った馬鹿だ! そんなの、俺がなりたかったあいつじゃない!!」


 武智先輩は握りしめた拳を机に思い切り叩きつけ、声を上げて泣いていた。ここまで感情を露にする武智先輩を見るのは初めてで、見ている俺自身も心が痛かった。

 そんな武智先輩にロクに声もかけられないまま、ただ時間だけが過ぎていった。


 そうして、早いもので会長選挙当日の演説。俺は今、親友の石田に応援演説を任せ、候補者として舞台に立っている。


 あの日、武智先輩はひとしきり泣いた後、俺に非情な決断を迫った。


 「皆さんも知っての通り、数ヶ月前に尾田信孝というこの学園に大きな変革をもたらした先輩がいました」


 白々しさを自分で感じながら、俺は何度も練習した言葉を並べる。


 「しかし、彼は武智英光という親友だった先輩に裏切られ、志半ばで学園を去ることになりました。私は、尾田先輩がこの学園で成せなかった大義を完遂するために、ここに立っています」


 俺が新たな英雄となって騒動を収め、学園中に残った尾田先輩の英雄像を塗り替えていくこと。

 その為に武智先輩は、進んで嫌われ者になることを望んだ。


 「武智は自分が尾田先輩に成り代わろうとした、しかし、そんな卑劣な輩にこの学園を纏めることは愚か、尾田先輩の大義を正しく引き継げるはずがありません」


 同じく候補者として横に並ぶ武智先輩に対し、ありとあらゆる罵声が浴びせられた。

 だが、こんなもの詭弁だ、尾田先輩だって結局は自分の為にしか動いてはいなかった。卑劣な輩は俺の方だ。だけど、今はこれでいい。


 「お願いします、私、豊戸秀吉とよとひできちに力を貸してください、どうか皆様の清き一票を!」


 武智先輩、俺には過ぎた役割かもしれないけど、あなたが目指した尾田先輩に近付けるよう、やれるところまで頑張ってみます。

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