第一話 並行世界からこんばんは!⑥
◆◇◆
くあ、と大きな欠伸が漏れる。
すると、それに気付いたらしい男――三榊 迅太郎が声を掛けて来た。
「何だ若、寝不足かい?」
「まあね。昨日は色々と忙しくて」
窓から差し込まれる様に入って来る朝日の光が室内を明るく照らし、鼻腔一杯を焼きたての食パンの匂いが満たす。
今日も今日とて我らが百鬼組の居間、と言うか食堂は厳つい者が男女問わず朝飯を食らい、談笑している。
その光景を見ながら俺はサラダをもしゃもしゃと食べ、まだまだ眠気に負けそうな目を軽く擦っていた。
今日もこれから学校――その事実に何とも言えない気怠さを覚えながら、ボーっとした頭で宿題のやり残しが無いかを確認する。
そんな事をしていると、不意に新たな人の気配がしてそちらへ目を向けてみれば、そこにはニヤニヤとした笑みを貼り付けた複数の男の姿が。
中でもリーダー格と思しき比較的歳の近い男性に注意を向け、俺は問うた。
「……何だ、金さん? 俺に用でも?」
「用も何も、聞いたぜ。若、昨日俺らが外で街を見回ってる間に、女の子を攫って来たんだって?」
「――っ!?」
その瞬間、喉にパンが詰まった。
間を置かず咳き込み、それから牛乳を流し込んで事無きを得るが、状態が落ち着いたらすぐに彼――金 実政を咎めるように見遣っていたのだった。
「ど、どこからそんな話を……!?」
「どこからも何も、隠居が朝から事情を知らねえ連中に言いふらしてるぜ。って言うか、若にそんな趣味があったとは」
「ないないないない! そんな趣味無い! 爺さんが勝手に言ってるだけだよ。勘弁してくれ」
後であのクソ爺――祖父を〆なくてはならないと決意しながら食事を再開するが、そこで居間の襖が開かれる。
誰が入って来たのかと思って目を向ければ、そこに居たのはいつもの見知った顔――ではなく、ヴィオレット・オーバンだった。
寝ぐせのつきまくった長い灰色の髪を気にするでも、整えるでもなく、寝ぼけた顔でのそのそと入って来るのである。
「へえ、この娘が噂の……」
「話にゃ聞いてたが確かに別嬪だな。将来はきっとモテモテだろうさ」
居間にいた誰もが彼女へ視線を向けるのも無理はない。確かに彼女の見た目は注意を惹くのだ。
何せ、その異国情緒ある顔立ちは田舎の地方都市では珍しいし、その上で端整だ。純粋にその姿を前にして誰もが大なり小なり視線を向けずにはいられないのである。
「おはよう、マモル。私の朝飯は?」
「そこの台所行け。今日の当番がよそってくれるから」
「分かった、ありがとう」
眠気のせいかフラフラとした足取りで襖の向こうへ姿を消した少女は、果たしてそう時間を置かずに盆を持って戻って来た。それから躊躇なく俺の横の座布団に座り、大きな欠伸を一つ。
危うくその欠伸が伝染しかけて噛み殺すと、俺は彼女に問うていた。
「なあ、何で俺の横なんだ?」
「決まってるだろう、マモル以外に私の知り合いはこの場にいないのだ。それに、何かずっと見られてるし」
「そりゃあ……昨日の夜いきなり姿を現した謎の奴だからな。おまけに何か変な噂も立ってるし、誰だって注目するさ」
「噂か、随分と回って来るのが早いものだ。昨日の今日だぞ」
確かにその通りだけれど、ここは百鬼組。
この建物では男女合わせ二十人ほどが共同生活を送っていて、その殆どが寮のような形で割り当てられた部屋を持っている。
つまり、共同生活している者同士であるから、話が回って来るのも早い訳だ。因みに、ここで飯を食べているからと言って誰もがここで生活している訳では無く、例を挙げれば迅太郎さんは既に家庭を持って近くに一軒家を借りている。
「あ、そう言えば迅太郎さん、最近は朝だけでなく昼晩の飯を全部ここで食べてるって聞いたけど」
「ああ、ちょっと奥さん怒らしちゃってさ。ほとぼりが冷めるまでな」
「アンタ何やったんだ……」
どうせ碌でもない喧嘩理由なのはもう誰もが知っている。しばらくすれば夫婦喧嘩も収まり、元通り暑苦しいカップルとなる事だろう。
具体的に言うと彼には子供が合計で五人居る。一番上が双子の兄妹で十歳、一番下が三女で二歳。少子化が問題視され、その原因が数多く指摘される昨今、そんなものを気にせずよくもここまで頑張ったものだ。
「まだお子さんも幼いんですから、ちゃんと奥さんと二人で全員育ててくれよ?」
「んなこと言われ無くたって分かってるよ。今は飯が用意されないだけで、それ以外の事は分担してやってるんだから」
何かそれ奴隷みたいだな。
と思わなくもないけれど、言わないで置く。何となく三榊家のパワーバランスを察しながら、俺は箸を進めるのだった。
その間にも朝飯を完食したらしい迅太郎さんは立ち上がると、食器を台所へ運んで片付けてから自宅へ戻っていった。子育てパパは大変らしい。
忙しなく動き、出ていく構成員たちの背中を見奥ながら牛乳を飲んだ俺は、ふと横に座るオーバンへ問うていた。
「お前、今日はどうするんだ?」
「どうも何も、この世界の事についても碌に分からないのに、何か出来る訳も無いだろう。逆にマモルは私にどうして欲しい?」
その問いかけに、思わず渋面を作る。
何故なら昨夜は冗談抜きで大変だったのだ。いざ寝ようと思って部屋を開けたらオーバンが部屋を散らかし、説教ついでに彼女を思い切って問い詰めてみれば「並行世界が」「魔法が」と言い出す始末。
部屋と思考の整理をするのに大忙しで、結局布団に入れたのは日付が変わって三時間ほど経った後だった。
当時を思い出してげんなりとした俺は、若干投げ遣りながら言うのだ。
「別に、余計な仕事を増やしてくれなければ何でも好きな事をしてくれ。あと、軽々しく他の奴に異なる世界が~とか言うなよ。精神病院にぶち込まれかねない」
「ああ、分かっているさ。しかしまさか、本当に魔力すら幻想上の存在とは、信じられなくて目が回りそうだ」
「そりゃ俺の台詞だ。お前みたいな奴が俺のすぐ横で飯食ってるなんて誰が想像出来るよ。まず間違いなく漫画とかアニメとか映画の見過ぎだって言われるね」
昨夜……というか日付も跨いだので今朝の事は、まだまだ記憶に新しい。取り分け「魔法」とか「魔力」だとかについては、自分が揶揄われているのではないかと思ったくらいである。
「まあ、もう時間が時間だし、魔法とかについてはまた帰って来てから詳しく聞かせて貰うよ。それまで、割り当てられた部屋で大人しくしてるんだぞ?」
「分かった。火事とか、余程の事でもない限り外には出ないさ。これで良いのだろう?」
「そう言う事だ。じゃ、俺も準備整えて学校行って来る。俺の部屋、もう絶対散らかすなよ。それが守れるなら本も好きに読んでいい」
「分かっている、もう二度とやらんさ」
何となく、不安がない訳では無いけれど、こればかりはもうどうしようもない。
一応、この家に留まる者にも彼女について注意するよう告げて、俺は学校へと向かうのだった。
◆◇◆
夏休みが終わったと言うのに、まだまだしぶとく夏はその主張を続ける。
結果、扇風機も冷房もその性能をいかんなく発揮し、最大稼働で教室内を冷やし続けるのだ。
だが、どれだけ室内が冷えようともむさ苦しさは消えてくれない。それもその筈で、俺の通うこの松ヶ崎高校は男子校なのだから。
この場に暑苦しい学ランを羽織った者など誰一人としておらず、誰もがワイシャツ姿で机に突っ伏すなり、会話に興じていた。
正直、滅茶苦茶に漢臭い。匂いが、ではない。絵面がだ。朝練がある野球部などは特にである。因みに教室内には汗拭きシートの強い匂いが充満していて、きつい香水でもかがされている気分だった。
とは言え、毎朝嗅いでいる匂いなだけあって鼻もいい加減慣れ、大して気になるものではなくなっていた。
何にせよマジでむさ苦しいなーなどと思いながら、俺はぼーっと朝のホームルームが始まるのを待っていた時だった。
「てか聞いた? また不審火があったって。しかも今回はそこの抜鉾神社と近くの植え込みだってよ! マジあぶねーよな」
「あ、それ俺も部活帰りに見た。何かもう警察が集まっててヤバかったぜ。色々訊かれてビビったわ。百鬼は何か知らねえ?」
「いや俺は……」
いつも通り、普段良く喋るクラスメイトが机に集まって来て、話しかけてくる。その問いかけに思わず自然な流れで答えかけて、途中で言葉を切った。
――そう言えばあれ、「魔法」みたいだったなと。
昨日の夕方に見た男は、神社の境内に生えた木を何の前触れもなく燃やし、火球のようなものまで飛ばして来たのだ。あれこそ魔法と言わず何と言うのか。
昨晩、オーバンによって見せられたあの魔法と比べても、あの火は遜色がない様に思えて――そこまで考えて俺は答えた。
「……悪いな、折角聞いてくれたところ悪いけど、俺も何も知らないんだ」
「マジかー。時刻的にはお前が帰った辺りだったと思うんだけど。ってか抜鉾神社って五百蔵の家だし、後でアイツから直接訊くしかねえか」
「だな。何も面白い話なくてごめんな。多分、俺が帰った後に起きたんだと思う」
嘘である。バリバリ目の前で起きていた。それどころか「放火だ」と周囲に知らせたのも俺である。
だけどそれを彼らに、いや誰にも言う訳にはいかない。百鬼組の連中にこの事を知られただけでも確実に面倒な事になるのだ。ここからクラスメイト、そして警察に知られたらもっと面倒臭い事になるのは火を見るよりも明らかだった。
加えて、我が家には今現在身元不明の少女がいる。もしも下手を打って自称異世界人を名乗る彼女の存在が警察に知れたら、誘拐犯扱いを受けないとも限らなかった。
警察や市民の中には、百鬼組を暴力団と変わらない組織と見做す人だっているのだから、そんな事になれば忽ち法的に叩き潰され兼ねなかった。
「護、お前嘘とか吐いてねえよな? 本当なんだな?」
「ああ、本当だ。俺は何も知らない」
例えば俺は、犯人の正体とかは知らない。皆目見当もつかない。
冗談交じりに疑いの目を向けて来る友人――土喰 真成の質問に、俺は明言を避けてそう言って肯定した。すると、元々彼もそこまで強く俺を疑っていなかったらしい。すぐに彼からの視線が外れていた。
だが、話題が代わったかと言えばそうでも無く。
「あの不審火っていうか放火、どうやら通報もあったらしいじゃん。そのお陰で被害も最小限で済んだって」
「それな。マジでファインプレーだと思うわ」
「あー、まあそうだな。てかこんな近くで放火があったのに、休校にならないのは勘弁してほしいよな」
土喰の言葉に合槌を打つもう一人の友人――江出 亮一郎に続き、俺も適当に頷いて置く。
何となく胃が痛くなりそうだと思いながら、素知らぬ顔で彼らの話に合わせていると、そこで漸く待ち侘びた予鈴が鳴る。
それと一拍遅れて担任教師が入って来て、生徒は自分の席へと戻り着席するのだった。全員が席に着いたのを確認してから担任は名簿から出欠確認に入り、今日の連絡事項を伝える。
普段ならそれは取りとめもないことで、聞き流していた事だったが。
「あー、それと警察から連絡があって、昨日の夕方にあった不審火について、何か知っている人は情報提供して欲しいそうだ。ま、強制では無いし、悪戯とかに使うんじゃねえぞー」
へーい、と気怠そうな返事がされたのを確認して、教師は新たな話に入る。
だがそれを右から左へと聞き流しながら、俺は昨日の夕方の事について考えを巡らせずにはいられなかった。
今日もまた、学校はその役目を恙なく終え、校舎は夕日に照らされる。
昨日がそうであったようにまた割り当てられた掃除個所を清掃し、後は帰途に着くだけ――と思った時だった。
何やら、どこかが騒がしい。
不審に思って声のする方へと足を向けてみれば、十人ほどの男子生徒が群がって中庭に目を向けていた。
どうした事だろう――と彼らを掻き分けてみるまでもなく俺の高い身長が、その先に見える原因を提示してくれていたのだった。
だが、それを目にした途端、俺は顔を引き攣らせる。
「何で……」
何でコイツがここに居る?
どうやってここまで入りこんだのかは知らないが、学校の中庭に居る灰色の髪をした少女は、興味深そうにとある教室を窓越しに覗いていた。
小柄な彼女がそれをやっていると、まるで子供が熱心に外の世界を眺めている様で――いや、問題はそこでは無かった。
「オーバン、お前っ! 何してんだこんな所で!?」
「おお、マモル! こんな所で会うとは奇遇だな!」
「何も奇遇じゃねえよ! 何でここに居るんだと訊いてんだ!」
慌てて人の波を掻き分け、呑気な少女の胸倉を掴み上げる。勿論、服が伸び切ってしまったり、苦しくならないように程良く加減はしているのだが。
それはさておき、いま特に気にすべきは何故この少女がここに居るのかという事である。こんな事態にならない様にと俺は彼女に釘を刺し、家に居た組員にも注意を促して置いた。
にもかかわらず、彼女は家を抜け出してこんな所に居て、何を思ったかうちの高校に侵入して中庭から学校の一室を覗いている。
「俺言ったよな! 部屋でじっとしてろって!」
「じっとして居られるならじっとして居たさ。だが事態はそうも言ってられな……」
「何だ、そんなところで言葉を切るな」
「いや、だって……」
何となく怯えた表情を見せるオーバンが指差すのは、俺――いや、その背後。
何があるのかと思って怪訝な顔をしてそちらを振り向けば、そこには不機嫌そうな顔をした我が校の教頭が立っていた。
「君は確か……百鬼 護くんだったかな?」
「あ、ども……」
後頭部を撫で、引き攣った愛想笑いを浮かべながら思い至るのは、今居る場所が何処であるのかだった。
ここが学校の中庭なのは勿論知っているけれど、何よりも早く気付くべきだったのはオーバンが覗き込んでいた部屋のこと――つまりそこが、職員室であるという事なのだ。
「その子は、君の知り合いかね?」
「え、あ、まぁそんなところです……!」
現役時代は相当な敏腕教師だったのだろう。強面などは見慣れた俺からしても、教頭の纏う雰囲気は十分なもので、何より今は状況が悪過ぎる。
オーバンの身元についてより深く調べられたら、最悪誘拐犯扱いを受けないとも限らないのだから。
「すんません、すぐに連れて帰りますんで……」
「ああ、そうしてくれ。それと、このような事は二度とないように言い含めてくれよ。仮に入って来るにしても、来賓用の入り口だってあるのだからね」
「分かりました、以後気を付けます……」
幸いにも、それ以上深く追及される事は無さそうで安堵する。だけど、問題はそれで解決とはいかない。
何せ、ここは校舎の中庭。当然あちこちに窓はあるし、そこに部外者の女の子――それも割と可愛いのが居るのだ。
ほぼ男しかいないこの学校内では、尚更目を引いてしまう存在だった。
明日は質問責め決定だな――。
全方位から無数の視線が注がれるのを感じながら、俺はオーバンの手を引っ張りそそくさと学校を後にするのだった。
「……で、言い訳を聞こうか」
「何だ、怒っているのか? 大してあの人から怒られた訳でもないし、良かったではないか」
「良くねーよ! お前のせいで明日学校行くのだってめんどくさくなってきたところなんだぞ!?」
自転車を手で押し、オーバンと並んで歩きながら怒鳴る。勿論、通学路上にある住宅には充分配慮しているので、そこまで大きな声量ではないのだが。
「良いから早く言え! 何であんな所に居た!? どうして俺の言いつけを破った!?」
「落ち着け、順を追って話そう。言った筈だ、じっとして居られる事態でも無かったと」
「……何だ?」
そう言えば職員室前でそんな事も言いかけていたなと思いながら先を促せば、オーバンは澱みなく答えてくれた。
「ああ、私以外の誰かの魔力を感知したんだ。この、魔法が存在しないと言う世界で、だぞ?」
「魔力を? じゃあ、やっぱり……」
あの放火魔の事だろうかと、昨日の夕方に遭遇した男の姿を思い浮かべる。やはりあれはそういう事なのかと考えている間にも、彼女の話は続く。
「私が感知したのは魔力の残滓……そう量も多くないから追跡するのにも苦労してな。途切れ途切れになったそれを辿っていたらあそこに着いたという訳だ」
「待ってくれ、それじゃああの中に……教師の中に放火犯が居るって!?」
「放火? ああ、もしやここに来る途中で見たあの焦げた木か。確かに魔力の残滓があったが……この世界には魔力を分析する機器も無いし、微量過ぎて誰が犯人かは特定できんな」
そんな会話をしていると、昨日も通った抜鉾神社の辺りに差し掛かる。案の定そこの一部は燃えた後があり、規制線が張られている。放火があったせいか人気は一層少なく、近寄りがたさを強調していた。
「って言うか、魔力とかどういう事だよ? この世界に存在しない筈のものが、どうしてこんなに……」
「確かな事は言えんが、私がこうやって転送されてきたように、どこかでも違う世界と繋がってしまっているのかもしれないな。そこから魔力とかが漏れだして……或いは、私の様な人間が既にこの世界に紛れ込んでいるか」
「そりゃ穏やかじゃねえな。警察が中々尻尾を掴めない訳だ。魔法なんて常識の埒外にあるもん使われたらどうしようもねえ」
魔法に関する知識など、警察が持ち合わせている筈がない。いや、大多数の人が持ち合わせてなどいないだろう。
今時それに似たものとして挙げられるのは自称霊能力者とか、呪術師とか、そんな類しかいない。しかもそれが魔法に関係するのかも分からない。
だから結局のところ、この世界そのものが魔法に関する知識など何一つとして持ち合わせていないと言えるかも知れなかった。
「何はともあれ、帰ってからより深く色々と聞かせて貰うぞ」
「ああ、仕方ない。それについては異論もないさ。マモルにも迷惑を掛けてしまった訳だしな」
そう言って頷くオーバンの表情はいつになく真剣なもので、自然と俺の心も引き締めずにはいられないものだった。
◆◇◆
松ヶ崎警察署。
その中にある部屋の一角で、壮年の警部――吉門 海斗は頭を抱えていた。
「結局、捜査は硬直したままか」
「ですね。目撃証言を得ようにも、大したものは集まりませんでした」
「学校の方はどうだ? 情報提供を呼び掛けた筈だが」
「似た様な物です。しっかし、本当に第一発見者と思われる若い男があの高校の生徒なんでしょうかね? 自分は余り自信を持てませんが」
そう語るのは、栗花落 絢斗。まだ年若い彼は眉間に皺を寄せていた。
「通報は第一発見者の男では無く、その声を聞いた近隣住民。当然、その男の安否確認も出来ないし、当時の状況を聞く事も出来ないと来た。これまでと同じ様に、手詰まりですよ」
「折角の手掛かりをみすみす逃すとはな」
「せめて発見者直々に通報してくれれば、折り返しの電話とかできたんですけどね」
そこまで言われても吉門としては、己の読みが外れているとは思っていなかった。むしろ、よりよく探せば何かしら分かると睨んでいたのだ。
だが、流石に松ヶ崎高校の生徒などに片端から質問して行くわけにもいかない。仮に部活をしていない者に限定したとしても、その一人一人を調べるのは手間と時間が掛かり過ぎる。
それに、もしも犯人が紛れ込んでいたらより一層警戒されてしまう。それでは逆効果だし、もはやここでの捜査もまた慎重にならざるを得なかったのだ。
「今のところ死人は出ていないが、手を拱いても居られないというのに……!」
「焦っても仕方ありませんて。もう一遍、最初の事件から洗い直してみましょうか」
「……ああ、そうだな」
何としてでも、これを解決・沈静化させなくてはいけない。このまま野放しにしては、市内の治安が悪化しないとも限らないのだから。
「そう言えば最近、百鬼組の動きが活発になって来てるみたいですね。放火事件を警戒した夜回り活動とか言って」
「あそこも古くからある自警組織だ。俺が知る限りではああいった悪事は働かなねえ連中だよ。むしろ少しくらい頼りにした方がいい」
「本当ですか? あんなヤクザみたいな連中が」
「人は見かけによらないとはよく言ったものだ。俺も過去、あの組織と協力して犯罪者を捕らえた事だってあるんだぞ」
あの時は大変だったとしみじみ回想する吉門だったが、すぐにそんな事をしている場合ではないと思い直して席を立つ。
何としても、この放火事件に終止符を打つために。
◆◇◆
彼は、自分が嫌いだった。家族が嫌いだった。人が嫌いだった。世界が嫌いだった。何もかもが、大嫌いだった。
屈折しているのは自分でも分かっている。だけど、それがもうどうしようもないところまで来てしまっていて、後へ退く事も出来ない。
止める事も出来なくて、心の底から溢れ出る感情の奔流をそのまま吐き出して、発露させていた。
「…………」
昏い、どこまでも昏く沈んでいくような目が映すのは、燃え盛る炎。
不思議だ。こんな力が、いつの間に備わったというのだろう。もしかしたらこれは自分があらゆるものへ復讐をする為に、何もかもをぶち壊す為に得た力なのかもしれない。
そう思うと自分が特別な存在になれた気がして、笑いが止まらず、高揚感が心を満たす。そしてそれに反応した様に、燃え盛る炎はより一層勢いを増すのだ。
「良いぞ……燃えろ。全部灰になってしまえば」
そろそろ、日も沈む。
程良く薄暗くなってきた住宅街の中で、炎に照らされながら彼は深く嗤っていた。深く深く、どこまでも愉快そうに笑い、そして踵を返すと夕闇の中へと消えて行ったのだ。
後に残ったのはただ、徐々に大きくなっていく炎だけで――。
【幕間】
母「そう言えば、ヴィオレットちゃんって頭にタンコブ作って気絶してたけど、結局何があったの?」
オ「ああ、実は私も良く分からないのだが、いきなり何か堅いものが頭に当たってな。その後の記憶が無いから、恐らくそれで気絶したのだろう」
護「…………」
母「なるほどー。じゃあ護、最初にヴィオレットちゃんと遭遇したんなら、何か知ってる事ない?」
護「ぅえ? し、知らない! 何も知らない!」
母「血のついた風呂桶持ってたくせに?」
護「だから知らねえよ! 俺は偶々持ってただけだ。なあ、オーバンだって俺に殴られた訳じゃないだろ!?」
オ「ん? まぁそうだな。少なくともあの時の私は誰かに殴られるような状況には無かった。だが恐らく、原因は投擲物だと推察できる」
護「(……多分、それ俺のせいだ) ほら、だってさ! 俺は無罪だ! 風呂桶でオーバンを殴ったりなんてしてない!」
母「そう言うのなら違うんだろうけど、でも何か怪しい」
護「…………」(汗だらだら)
母「ねえ、本当に知らないの? 何も心当たりない?」
護「しっ、知らない、知らないよ! 俺は絶対に何も知らないっ!」
母「あ、こら逃げるな!」
オ「……麦茶、美味しい」
後日、浴場の風呂桶が二つ紛失していることが判明し、その件で犯人と断定された護はこってり絞られる事になる。