エピローグ
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
一応これにて第一章は終わりでございます。
もしも気になる点、読みづらいなどの点がございましたら遠慮なく指摘してくださいませ。
我らが百鬼組の誇る、旅館顔負けの浴場。
流石にサウナは付いていないが、初めて入った者はここが旅館でも何でもない一般住宅の物と知れば、間違い無く驚く事だろう。
そんな場所にあって、俺は苛立ちを滲ませながら呟く。
「あああああっ、落ちねえ……」
「大変そうだな、若」
「迅太郎さん、アンタのせいでもあるんだぞ。オーバンに油性ペンなんて渡すから」
ごしごしと、肌がすりむけるのではないかと思うくらいに、俺は顔を擦る。
擦って擦って擦りまくる――が、油性はしぶとい。
ちら、と視線を上げて鏡を見遣れば、そこには黒の油性ペンで所狭しと落書きされた俺の顔があった。
文言はどれも酷いもので、「バカ」「禿」「う〇ち」「強面」「唐変木」などなど惨憺たる有様だ。っていうか俺は禿げてない。ただ生まれつきデコが広いだけだ。
父も祖父も禿げてない。だから禿じゃない。絶対に。
「綾音にオーバンに金さん……絶対許さねえからな」
「本当に手酷くやられて、耳なし芳一みたいだぞ」
「耳のタブまでみっちり書かれてるけどねっ!」
汚れを落とさなければならないところが多過ぎる。顔だけじゃない。首も胸も背中も足も、流石に下着の中へ手を突っ込んで書かれる事は無かったが、それ以外は本当に酷い。
今日一日で落とせる気がしなかった。
「それにしても、若……」
「何だよ。俺は体の汚れを落とすのに忙しいんだけど?」
「いや、さっきから気になってたんだが眉毛の色変わって来てねえか?」
「眉毛?」
ごしごしと擦る手を止めて、再度鏡に映る自分の顔と睨めっこをする。すると、確かに彼の指摘通り一部眉毛が赤葡萄酒色に変色しつつあった。
さっきまで気になっていたのが体にされた落書きだけだったので、迅太郎さんから指摘されるまで全く気付かなかったのだ。
「うわ、マジだ……」
「今度からは頭髪だけじゃなくて、そっちも染めないといけないな」
「嫌だぁー染めたくねえ。めんどくせえ」
「なら、どうにかそれが地毛だってことを認めてもらうしかねえだろうよ。御堅い学校組織がそれを認めるかは別だが」
湯気の立ち込める浴場の天井を仰ぎ、思わず溜息が漏れる。それを見て、湯船に浸かっていた迅太郎さんは何が面白いのか笑っていた。
どこが面白いのかと小一時間問い詰めてやりたいところだが、生憎今の俺はそれよりも優先して体の汚れを落とさなければならない。
「精々頑張って落とせよ、落書き。せめて顔面とか腕とか首筋はな。そんな恰好で登校したら間違い無く人気者になれるぜ」
「分かってるよ。今日中に意地でも落としてやる!」
「そうか。そんじゃ俺はお先に失礼」
それだけ言うと、迅太郎さんは鼻歌交じりに浴室から出ていく。後に残るのは俺一人だ。最初、俺がここに来たときはもっと居たのだが、汚れを落とすのに時間が掛かり過ぎて気付けば俺が最後の一人となって居た。
「もう良いや……ゆっくり洗おう」
話し相手はこれですっかり居なくなってしまった。
残されたのは俺一人なのだ、後は黙々と洗うだけである。
ごしごし、と根気強く擦っていれば流石の油性でも段々と落ちてくるしそれを見ているとほんの少しだが楽しくもなって来る。
「…………」
思えば、ここ一か月足らずの間にとんでもなく濃い事ばかりが起きていた。下校中いきなり放火魔に遭遇して火球を撃ち込まれたかと思えば、その後に家でオーバンと遭遇。
しかも彼女は並行世界の人間で、魔法を使う事が可能。挙句、それは俺も同様である事が発覚して、これもまた色々と大変だった。
最終的にはどういう訳か放火犯も同類だと判明して、百鬼組は追着の確保に動き、苦労して捕まえて、そしたら俺は単独行動が原因で怒られて。
散々な罰を受けて、今はこうして耳なし芳一の刑の後始末をしている訳だ。
普通の高校生なら、いや普通の人間ならまず間違い無く送る事のない日々を過ごしていた。
だけどそれを、俺は充実しているとは思わない。出来れば、何と言う事のない日常を、幸せを噛み締めて過ごしていたいのだ。
人並みの幸せを掴むと言う高い理想を実現したいのに、現状はそれから著しく逸脱していたのである。
「どこかで修正掛けないとなぁ」
どうすれば修正できるのかは知らないが、やるしかない。ようやく人目に付く部分の落書きを洗い落とし終わって、それを確認して俺は湯船に浸かる。
出来れば背中なども落としたいが、こちらは見えないし、時間経過と共に落ちてくれる事を祈るばかりだ。
何にしろ、今は諸々についてが収束した事を喜ぼう――と、鼻歌を歌っていたからだろうか、俺は気付くのが遅れた。
浴場の一角、その空間が不自然に歪んでいるという事実を、即座に認識することが出来なかったのだ。
「……あれ?」
一体いつから、それはあったのだろう。
まるで、歪んだレンズ越しに眺めて居るように、その空間は歪で、揺らいでいて、得体が知れなかった。
だけどそれは、俺にとって見覚えのあるものでもあって。
「…………」
まさか、まさか、まさか、まさか。
嫌な予感が俺の背中を撫で、風呂に浸かっているのに寒気で一瞬体が震えた。
誰か、人を呼ぶべきだろうか――。
そう考えて、脱衣所の更に向こうへと叫ぼうとした時だった。
「――ッ!」
ずるりと、その歪から一人の人間が姿を現す。
甲高い金属の音を響かせながら浴場の床に倒れたその男は、しかし意識があるのだろう。よろめきながらも握っていた日本刀を床に突き立てて立ち上がる。
髷を結ったその男は体に甲冑を纏い、煤塗れな上に返り血も浴びているらしい。血走った眼が、入浴中の俺の姿を捉えていた。
「…………」
年の頃は四十代程だろうか。他人の血を浴びて興奮しているせいか呼吸も荒い。
その余りにも衝撃的な光景を前に、俺は口を半開きにしたまま身動ぎ一つも出来ない。だって、日本刀を握って返り血らしきものを浴びている男が目の前にいるのだ。
これで驚愕しない方がおかしいし、丸腰の俺からすれば日本刀とか言う凶器を持った男を下手に刺激しないに越した事は無い筈である。
「…………」
「…………」
両者、無言で見つめ合ってどれだけの時間が過ぎたか。恐らく十秒もない僅かなものだっただろうが、そこで痺れを切らしたように、血と煤に塗れた武者は言った。
「誰だ、お主?」
「いやお前が誰だよ!?」
オーバンに引き続き、呼んでもいない客人は我が家の風呂場から入って来るのが礼儀と思っているのかもしれない。迷惑千万である。
そして、どう見ても面倒臭い予感しかしなかった。また、新たな問題が出て来てしまったような――。
人並みの、平穏な生活と幸せが味わえればそれでよかったのに、それがまたより一層遠退いて行くような、そんな気がした。
だから俺は、叫ぶ。
「もう勘弁してくれよぉぉぉぉぉお!?」
脱力して湯船の縁に寄り掛かりながら、心の悲鳴を発露させていたのである――。
<続く>
八月はここで一旦更新を停止します。
次章は9月1日から投稿する様に予約してあるのでご安心下さい。
また、ここまでついて来て下さった方々にはお礼申し上げます。ブックマーク、それに評価までして頂けるとは思っていなかっただけに、非常に嬉しかったです。
絶対に完結させますので、どうか最後までお付き合い宜しくお願いいたします。




