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CORRECTORS ~生きた異物~  作者: 新楽岡高
第一章 憎しみの焔
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第一話 並行世界からこんばんは!②

誤字脱字、誤用などがありましたら教えて下さい。修正します。



 夕焼け空に、烏が舞う。

「…………」

 どうにか、逃げ切った。

 荒い呼吸で自転車を漕ぎ、時に道行く人からの奇異の視線に晒されつつ、九死に一生を得たのだ。

 もしかするとゆっくり追われている可能性も考え、時間をかけて大きく遠回りをして来た俺は、もう目前に迫った我が家の外観を目にする。

 敷地を一周するように水濠が巡らされ、石垣の土台の上に建てられた塀には漆喰が塗られているという、ちょっとした武家屋敷みたいな造りになっているため、この家は非常に目立つ。

 そしてこのせいで周囲には威圧感を与え、謎が謎を呼ぶように百鬼(なきり)組が警戒されてしまう原因の一つとなっているのではないかと、思わずにはいられない。

 もっとも、これを壊したり埋め立てたりするのもタダではないので、結局のところ現状維持が続いているのである。

「家に入るのも一苦労ってね……」

 敷地の真正面に位置する大きな門、その脇にある通用口の鍵を開け、俺は自転車諸共中へ入れば、途端に純日本式の庭園が目に飛び込んで来た。

 この辺りもまた、この家が“普通”の家とは一線を画す点の一つであると言えるだろう。

 もっとも、もう十五年と見て来たその光景を見事だとは思っても見惚(みと)れる筈は無く、敷き詰められた砂利の上を歩いて物置に自転車を停めると、旅館の様な玄関の戸を開ける。

「……ただいま」

「若、お帰り。随分遅い帰りだったようで……学校で何かあったのか?」

「別に、何も無いよ。ただ寄り道してただけ」

 まさか謎の放火魔に追われていたと言える筈も無い。

 言ってしまったが最後、百鬼(なきり)組が確実に大騒ぎとなり、登下校も護衛が付きかねなかった。

 どう考えても面倒臭い事になる未来しか見えないのだから、絶対に誰へも言う訳にはいかなかったのである。

 願わくは、一刻も早く警察にあの放火犯を捕らえて欲しいけれど、果たしてそれも叶うかどうかは分からない。何せ、あの放火犯が放ったと(おぼ)しき火球は、一体どんな仕組みのものなのか皆目見当も付かないのだ。

 ただ、まず間違いなく、直撃すればただでは済まない事は確かだった。

 今度会ったら通報もそこそこに即退散しようと心に決めながら、俺は台所で水分補給をした後で自室に向かう。

「疲れたー……」

 幾ら広いとは言え勝手知ったる家の中、当然その道のりを間違える筈も無く、俺は自室のドアを開ければ――。

「にゃんにゃんにゃーん」

 どういう訳かそこには、同年代の少女が(うつぶ)せになっていて、しかも黒猫の腹にぐりぐりと顔を(うず)めていた。

「はぁー……黒兵衛(くろべえ)、可愛い。すーはーすーはー……この猫臭さが()まんないっ!」

「…………」

 念の為に言っておこう、ここは俺の部屋だ。

 そして俺は一人っ子だ。百鬼(なきり)家には同居人が居たとしても、兄も姉も弟も妹も居ない。どれだけこの家が広くとも、同居する同年代の異性など居る筈がないのである。

「プニプニでサラサラ~! 何て可愛さ。ええい、私を悩殺するつもりか!?」

 尚も、彼女は部屋の主が帰って来た事に気付いていないらしい。「このっ、このっ」と言いながら黒猫をこれでもかというくらいに撫で繰り回していた。

 そして撫でられている猫も満更ではないのか、ゴロゴロと喉を鳴らしながら俗にいう「臍天(へそてん)」をしている。

「ここか!? ここが良いのか!? どうだ(たま)らんだろう!?」

「…………」

 正直、その光景自体は非常に(なご)むものではあるのだが、問題は少女の無防備な姿勢と服装だった。たった一枚のTシャツとホットパンツの恰好をした彼女は、服が乱れるのも構わず男の――俺の部屋で寝転がっているのだから、目の毒であるのはもはや疑うまでもない。

 余りにもあんまりな姿を前にして思わず溜息が漏れ出るが、その音で俺の存在の気付いたのだろう。彼女はふと猫を撫でる手を止め、猫を両腕で抱き締めたままゴロリと仰向けになっていた。

「およ、お帰り(まもる)。随分遅かったじゃん」

「お帰りじゃない。綾音(あやね)、お前勝手に人の部屋へ入るなと何度言われたら分かる?」

「えー、堅いコト言わないでよ。私の家、アレルギー持ち居るから猫飼えないし。ここが唯一の癒しの場なんだからー」

 「ねー?」と黒猫へ語りかけたかと思えば、再び彼女は猫を撫で繰り回し、静かな室内では猫の喉が鳴る音だけが聞こえていた。

 その様子に俺はもう説得を諦め、勉強机に鞄を置くと座布団の上に座った。

「言っとくけど、茶も菓子も出さないからな」

「あ、お構いなく。舞美(まみ)さんからもう既に頂いてるし」

「母さん……」

 余計な事をと、自分の母親を思い浮かべて呪詛を向けるが、当然意味はない。それよりも注意を向けるべき目下の問題は、今も俺の部屋を我が物顔で占領するこのすらりとした体形の少女だ。

 名前は美才治(びさいじ) 綾音(あやね)。松ヶ崎女子高校の二年、つまり俺の一歳年上であり、近所に住んでいた事もあって小学校からの付き合いである。

 外向きの顔をしている時はしゃんとしていて、そのせいで同性からもモテるとか言うのは聞いた事があるけれど、少なくとも俺はそれが俄かに信じられない。

 だって、現にこうして俺の部屋で猫を撫でまくり、だらしない恰好と顔を惜しげもなく晒しているのだから。

「そろそろ帰れば? 外も暗くなって来てるし」

「だって護が帰って来るの遅かったんだもーん。帰りは送ってね? ヨロシク!」

「……って事は、今度は俺に何をさせるつもり?」

「察しが良くて助かるよ! いやいや、持つべきは頼れる舎弟だネ!」

 ぴくり、と頬が引き攣る。

 この女、一遍(いっぺん)シバキ倒したろうかとも思うが、それをぐっとこらえて話の続きを促してみれば、彼女は部屋の隅に置いてあった鞄からノートを取り出した。

「これは?」

「国語! この歳で漢字練習の課題出されちゃってさー、やってられるかっての」

「同感だ。じゃあやらなければ良いだけだろ」

「そんなこと言わないでよー。何かしら御礼してあげるから、ね? 私の代わりにお願い!」

 神仏でも拝む様に両手を合わせて、可愛らしく頼み込んで来る彼女の姿は、絵になる。少なくとも、その辺の男なら一瞬で陥落した事だろう。

 しかし、もう何年もの付き合いがある俺からすれば、ただ溜息が漏れるだけのもので。

「お前そろそろいい加減にしろよな」

「いだだだだだだだだだだ!?」

 ぐにー、と彼女の柔らかい頬を両手で引っ張ってやれば、それに耐え兼ねて綾音は藻掻く。けれど、大柄な俺からすれば彼女の抵抗など大した事でも無くて、おちょくる様に少女の頬を弄り回していた。

 柔らかく、面白いように伸びて自在に形を変えるので、ついつい遊び続けていると一瞬の隙をついて綾音は脱出した。

「ひっどーい。女の子の顔で遊ぶなんて」

「何か腹立ったから。悪く思うな」

「そんな理不尽な理由で!?」

「お前の漢字練習をしなくちゃいけない俺の方が、遥かに理不尽だと思うけど……」

 鬼、悪魔! と罵倒の言葉が飛んで来るけれど、俺に言わせれば彼女の方が(たち)は悪い。

 何か困った事がある度に俺は彼女から助けを求められ、そして手伝う事を余儀なくされて来た。そこには“恩返し”の意味も込めていたものの、流石に毎度毎度これではやってられない。

「報酬として何か奢れよ」

「らじゃー! あ、だったらブラジャーとかどう?」

「ボケが寒い。どうしてそうなった?」

「要らないの? 思春期なんでしょ?」

「お前が思う思春期って一体……」

 何はともあれ、ここで会話をしていても始まらない。仕方なく筆記用具片手にノートを広げ、綾音の宿題を肩代わりするのだった。

 当の彼女も、そのまま猫を撫で続けるかと思えば違ったようで、いつの間にか勉強道具を広げていて、数学の問題と睨めっこを繰り広げていた。

「大変そうだな」

「まあねー。来年受験だし、必要最低限のところは手が抜けないから」

 それだけ言うと、彼女はノートに方程式をつらつら書き連ね始め、どうやら本格的にペンが進んで来たようだ。

 その集中を邪魔するのは(はばか)られて、だから俺も後は写経の気持ちで漢字を書き続ける。なるべく綾音の書く字に似せる事を意識しているので、余計な所に力が入って肩も凝る。

 時折それを(ほぐ)しながら宿題に取り組んでいると、視線を感じて顔を上げた。

「……何?」

「いや、今更ながら迷惑じゃないかなーって。何だかんだで手伝ってくれる護に、いつも甘えてるし」

「別に、そんな気にする事じゃねえよ。確かに時々イラっとはするけど、俺だって綾音には助けられたし」

 今でも鮮明に思い出せるくらいには、それは自分にとって大きな事だったのだ。

 小学生の時、誰も彼もが俺を恐れて距離を取り、いつまで経っても一人ぼっちだったのに、そんな俺に彼女は話しかけてくれた。それに偶々家も近く、登校班も一緒だったから、猫好きの彼女が遊びに来るようにもなった。

 すると不思議なもので、その様子を見た登校班の子達も俺と話す様になり、それを見た同級生も俺と話す様になったのだ。

 まだまだ壁のある子はいたけれど、それは俺にとって非常に大きな事で、彼女に対して強い恩義を感じるきっかけとなった。

「別に私は護を助けたつもりはなかったんだけどね」

「でも救われたのは事実だ。それを仇で返す様な真似だけはしたくないんでね」

「義理堅いなあ。真之(さねゆき)さんとか迅太郎さんの影響? 仮に私に恩を感じたとしても、嫌な事は嫌だって言って良いんだからね」

「その時になったら言ってやるよ。少なくとも今は大丈夫」

 漢字練習の手を、止める。

 丁度ここで課題分のページ数を(こな)しきったのだ。改めて字の癖などに不自然な点が無いかを確認し、問題ない事を認めると綾音へノートを返した。

 それを受け取った彼女は特に確認もせずそれをしまい、頬杖をついて俺を見る。

「学校、楽しい?」

「何だよ急に……楽しいけど。それがどうした?」

「ふと改めて思ったんだけど、私と初めて会った時と比べたら見違(みちが)えるみたいだから。私って凄いなっていう再確認」

「はいはい凄い凄い。けど、何度も言うけど実際お前のお陰だ。……ありがとな」

 自然と、俺の顔から笑みが零れた。

 それは自分からすれば何と言う事もないものだったのだけれど、綾音は一瞬だけ動きを止めたかと思えば、目を細めて視線を逸らしながら言っていた。

「……そーゆーの、気軽に女の子の前でやっちゃ駄目だからね。分かった?」

「は? 何で、俺はただ礼を言っただけなのに」

「それでも駄目なものは駄目。アンタみたいな強面が時折見せる優しい笑みってのは、破壊力も高いの。だから、それは誰か気になる子をオトしたい時に使うこと!」

「分かったよ……」

 ぶっちゃけ良く分からないが、別に告白した訳でもないのに振られた気分になるから不思議だ。

 釈然としない気持ちを抱えながらも一応は承知の意を返すけれど、何となく意地悪の一つでもしたくなって、俺は言った。

「あ、もしかして綾音のくせに少しときめいたりしちゃった感じ?」

(うるさ)いな! けど……案外、そうかもね」

「え――?」

 その言葉にハッとさせられた瞬間、出し抜けに彼女が動く。

 気付けば卓袱(ちゃぶ)台に身を乗り出した少女の整った顔がすぐそこに迫っていて、驚きの余り呆然とする事しか出来なかった。

 睫毛(まつげ)なげーとか、肌がきめ細かいとか、やっぱり髪が綺麗とかそんな感想が出てくるばかりで、思考も混乱して思う様に言葉すら出て来ないのである。

 そして、その間にも彼女の顔は徐々に迫って来ていて、自分の頭全体に血が上っていくのを知覚せずにはいられない。

「~~~~っ!?」

 ――これは結構ヤバいぞ。

 言葉も忘れ、緊張と驚きの余りグルグルと回りそうになる視界を必死に固定していた、その時。

「…………」

 むに、と両頬が圧迫された。

 それが綾音の両手によって左右からサンドイッチにされたのだと自覚した時には、目の前に笑いを堪えた彼女の表情があったのだった。

 目尻をこれでもかというくらいに下げ、頬は栗鼠(りす)の頬袋も()くやと言うほどに膨れている姿を見て、察する。

 ――揶揄(からか)われた。

 一拍置いて彼女の意図を理解した瞬間、綾音もとうとう耐え切れなくなったのか吹き出していた。

「あれえ、もしかして期待しちゃったのー? 耳まで赤くしちゃって可愛い奴め。私を煽ろうなんてまさに一年早いのだよ」

「このアマ……」

 狙い通りに事が運んで相当気分が良いのだろう。尚も呵々大笑する彼女は俺の頬から手を放し、とうとう抱腹絶倒していた。

「こーんな可愛い反応しといて私相手に“ときめいたりした?”とか訊くなんて……鏡見たら?」

「うっせえ! 今すぐここから摘まみ出しても良いんだぞ!?」

「やーん、(こわ)ーい」

 そう言って眦に薄い涙を浮かべる彼女の顔は、笑い過ぎて息が苦しいのか、若干赤らんでいる。ラフな格好をしている事も相俟って、ほんの少しだがその様子が煽情的に見えてしまって俺は堪らず視線を伏せた。

 だがそんな内心を知りもしない綾音は、手の甲で僅かに溢れた涙を拭い、言う。

「ここまで笑ったのは久しぶりだなー。やっぱり護は最高だよ。流石私の舎弟!」

「別に俺は舎弟になったつもりも無いんだけどね」

 ばんばん、と背中を叩かれながら彼女に言われた言葉へ、小さく反論するものの碌に取り合ってはくれなかった。

 ただ、もう(しばら)く彼女の爆笑を見て、しけた顔で聞いている事しか出来なかったのである。



◆◇◆



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