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第9話 僕は、せめて、彼女の幼馴染みでありたい。






 いつもより少し早い朝の時間。玄関を開けると、女神がそこには居た。


 朝日を浴びた姿が、まるで後光が差しているかのようで、雲の隙間から光がおちる様を天使の階というらしいが、あやまって天使が降りてきちゃったのかと息を呑んだ。

 僕がいつもより幾分早めに家を出ようとしたためか、タイミングを見誤ったのだろう。我が家の玄関先、折りたたみ式の手鏡でせっせと前髪を整えている姿に、改めて目を奪われてしまう。

 ふと鏡から顔を上げ、彼女は微笑んだ。その笑顔がほんのり朱に染まって見えて、それが僕の心を的確に射貫くもんだから、出来の悪い脳ミソは、瞬間的に真っ白になってしまう。


 「あ。お、おは――」


 間髪入れず、天使が歌うように言葉を紡ぎはじめ、――これ以上は危険だと脳が危険信号を放ったのかもしれない。

 僕は、最近の天使は自分と同じ高校のブレザーを着ているものなのかと、明後日な事を考えながら、無言のままゆっくり扉を閉め、家に戻った。


 ……今日は朝から天気が良いもので、きっと光の反射がイタズラをし、幻覚を見たのだろう。


 そうでなければ、説明がつかない。

 なんせ僕は、昨日の一件で、彼女をヒドく怒らせてしまったのだから。……それなのに。

 彼女が、いつものように僕を迎えに来るわけがない。

 玄関先で、あんなにも、綺麗に微笑むわけもない。嬉しそうにはにかむわけがない。

 しかも、僕は謝ってすらいないのだ。あれだけのことをしておいて、あの後、ゴメンのひとつも言っていないのに、そんな、自分にばかり都合のいい話なんて、あるはずがない。


 ……やっぱり先ほどの光景は、僕の弱い心が生み出してしまった幻の類いなのだろう。


 だって、今の自分は、そんなことしてもらえる立場にはないのだから。

 なんとも情けない話だ。……朝から頭が重くて辛い。

 ついさっきの事といい、どうも、昨日のいざこざがまだ僕の心に疲れを残しているようだ。

 それでいて、前日にあれだけ散々な目に遭ったんだ。色々と考えるところ、思い悩むことが多すぎて、結果として、とある結論を出すために丸一晩寝ていない。

 おそらくそれも原因のひとつかもしれないけれど。

 だって仕方ないじゃないか。十数年思い続けた初恋に破れ、挙げ句の果てには激怒された。そんなもん、どんなバカでも思い知らされる。

 しかもどういった訳か、その日の我が家の夕食には赤飯が。

 何がめでたいものか。イヤミなのかと母親を睨みつけたら、父親に『母さんの手料理に文句があるのか? あ? 』といった趣旨を含んだ眼光で睨み返された。

 どうやら我が家に僕の味方はおらず、こんちくしょうと布団を頭までかぶり、落ち込んで、落ち込んで、さらに落ち込んで。気がついたら朝だったのだから、疲れがあって当然だ。

 それでいて、結局出した答えが、『せめて近くには居たい』なのだから、なんともまぁ、情けないヤツだと我ながら悲しくなる。

 惚れた方の負けとはよく言ったものだが、あれだけの完全敗北を喫しておきながら、まだ未練たらたらなのだから、僕という男は手に負えない。

 しかも、彼女と顔を合わせにくいからと、早めに出ようとしたらこの結果である。己の小ささや間の悪さにほとほと嫌気がさしてしまう。

 でも、どうしたものか。今はまだ顔を合わせるのが怖くて仕方ない。昨日あれだけのことをして、しかもあれほどまでに怒らせてしまったのだ。僕はまだ、彼女に言うべき言葉が見つかっていない。

 なんて、玄関のたたきでウンウンと唸っていると、扉が開いた。


 「……」


 いつまでも、出てこない僕にしびれを切らしたのだろう。差し込む朝日と共に、僕の一番好きな人が、ご機嫌斜めのブーたれた顔で、睨みつけてきた。


 ……怒っている、よな。


 腕を胸の前で組み、形の良い瞳を細め、口をとがらせる。美人が発する無言の圧力は筆舌にしがたいものがあるもので。

 だがしかし、いかんせんこうなっては、このまま無言を貫くのは賢くない。一番に昨日の件を謝るべきか。それとも、何もなかったかのようにいつもどおり振る舞うのか。

 もう僕は間違えるわけにはいかない。

 初恋は実らなかったけど、せめて、一番気心のしれた存在では居たいのだ。悩みや楽しみを共有する、何でも言い合える、隣で同じものを見て笑い合える。せめて、その場所だけは守りたいのだ。


 ……僕はこれ以上嫌われたくないのだ。


 「おはようって言ってるじゃん」


 そんな女々しい思考を遮ったのは、彼女の一言ではなく、その細い腕が優しく僕の腕に絡んできたからだった。

 ふわりとくすぐる彼女の香りに、ぎゅっと胸が締め付けられるように痛む。

 まさに、激痛だった。

 針を飲み込んだような痛みに、もうやめてくれと心が悲鳴を上げる。

 十数年だ。十数年かけて、僕はこういう事の積み重ねで勘違いをしてきたのだ。

 異性と腕を組むなんて、特にそうだ。日常的に後ろから抱きついてくるのも、手を握ったときに指を絡めてくるのも、全部そうだ。幼なじみとはいえ限度があるだろう。

 多分、彼女のこの行為は僕の事を異性だとみていないからだとは思う。なんなら双子の片割れくらいに思っている節すらある。

 でも、こっちは違う。好意を寄せている一人の女の子として僕は見ているのだから勘違いもする。

 『嫌いなヤツにこういうことはしないだろう』が、長い年月を経て、『好きだからするのだ』と誤訳されていく。

 その結果が、昨日の大失敗に繋がったのだ。

 僕と彼女の決定的な温度差が招いた悲劇か。

 こういう何気ないスキンシップがモテない早とちり男の傷口を広げていくというのに、他に好きなヤツが居るだろうに、もうこれ以上勘違いさせないでくれ。

 もうイヤというほど味わった失恋の痛み。一晩中、苦しんだ後悔の時間。そしてこれからも続くであろう生き地獄。まだ傷の癒えないそばからこの仕打ちは堪えてしまう。


 「……挨拶くらいしなさいよ」


 でも、それでも、拗ねたような彼女の声が心臓を掴み、――僕は自分自身の愚かさを痛感してしまう。

 もう二度と味わいたくないあの痛み。これ以上の痛みは耐えることが出来ないはずなのに、僕は、こんな彼女の行動を心の底から愛しいと思ってしまっているのだから。

 やめてくれ。勘弁してくれ。と、反射的に振りほどこうとしたがダメだ。

 あぁ、この卑怯者め。

 僕の腕をしがみつくように抱く、彼女のこの顔を見てしまっては、もう何も言えるはずがない。


 「お、は、よ、う! 」


 元気を絞り出すような声。困ったようなハの字の眉に、悔しそうなこの顔を僕は知っている。

 反則だろうと、心の中で呟いて、その後はもはや観念するしかない。こうなると、もうこっちの負け。


 「あぁ、はいはい。聞こえてるよ。ったく、朝から元気すぎるんだよなぁ」


 なんせ、小さい頃から意地っ張りで、素直になれない彼女の、ずっと変わらない『仲直りしたいときの顔』なのだ。


 ――やっぱり、惚れた方の負けなのだろう。


 こっちの気持ちを知っている相手が、関係の修復を申し出てきているのだ。今までどおりの仲の良い幼馴染みとして。

 こんな都合のいい話があるだろうか。もちろん僕にとってである。彼女はもともと僕に恋愛感情はないわけで、しかもこちらの一方的な暴走で、昨日の惨劇は起きたのだ。それでも彼女は僕を、今までのように幼なじみとして必要だと思っている。そういう事なのだろう。

 両者間の思惑がすれ違う、歪な関係性。

 僕が失恋したことに変わりは無いし、彼女の告白が成功すればどうなるかはわからない。

 普通なら、こういうときはどうするべきなのだろう。今の僕には『No』という選択肢はないのだけれど、第三者から見れば、馬鹿な男めと、呆れてものも言えないのかもしれない。

 ただ一つ言えるのは、バクバクと鳴り止まない心臓と、この戸惑いに、自分の本心をごまかせそうにはない。僕はあらためて、コイツが好きなんだなと、思い知らされる。

 だって、こんな笑顔を向けられてみろ。つられてこっちも笑顔になってしまう。


 「まぁ、とりあえず、おはよう」


 「にひひ、おはよー! 」


 「だから、朝っぱらからうるさいんだよ」


 僕は本当に単純なヤツなんだろうね。好きな子の笑顔を見るだけで、こんなにも胸のつかえが取れるのだから。

 もし可能ならば、昨日の自分に言って聞かせたくなるね。どんなに悩んだって無駄だぞってさ。


 「そっちが朝から難しい顔してるからじゃない」


 「低血圧なんだよ。たぶん」


 それにしても、いつまで僕の腕を抱いたままでいるつもりなのだろうか。肩に頭まで預けてくるもんだから、平静を装うこっちの身にもなってほしいものだ。


 「最高に良い天気ね」


 「そうだな。今週はずっとこんな感じらしい」


 ラッキー。なんて、満点の笑顔の彼女に僕の心臓は一向に落ち着いてくれそうにない。

 まったく、僕の気持ちを知っているくせに、コイツはいつもと変わらないのだから、照れ隠しの一つもしたくなる。

 真っ青な気持ちの良い空の下、僕は腕に抱きついて歩く彼女に言ってやった。少し意地悪に笑いながら、


 「明日、上手くいくと良いな」


 チクリと、少しだけ胸が痛んだが、時間が経てば感じなくなるのだろうか。

 でも今はまぁ、苦虫をかみつぶしたような、そんな真っ赤なアイツの顔を見られたので、良しとしようかな。






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