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第46話 僕は、それでも幼馴染みの前で、カッコよくありたい。 ①








 ――すったもんだがありました。


 なんて、生まれる前の流行語を使いたくなるほどのジェットコースターだったあの日から、一晩経った水曜日。天気予報というものも、これで意外と当たるもんだなと、僕は朝日を浴びながら空を見上げていた。

 一週間の晴れマークも今日で3日目。

 このまま無事に日曜まで晴れ続ければ、お天気お姉さんにおめでとうの気持ちを込めたファンレターのひとつでも送ってやるべきかもしれない。


 ぼんやりと、流れる雲を目で見やる。


 ここ数日なにかと心が安まらず、癒やしを求めて眺めていると、なにやら恨めしそうな声が聞こえてきた。


 「――アタシ、悪くないもん」


 通い慣れた玄関先。

 ようやく出てきたと思ったら、どこかの幼馴染みの口から出たのは、これまた七面倒な一言だった。


 「アンタが『ごめんなさい』って謝るまで、アタシ、家から一歩も出ないから」


 何がそんなに気に入らないのだろうね。


 玄関の戸を少し開け、そこから半分ほど顔を出し、こちらに向けてふくれっ面を見せてくる。

 盗み見ると、しっかり制服は来ているし、髪もきれいに整えている。どうやら学校に行かないつもりではないようだ。

 だけど、機嫌だけはいささか悪いようで、大方、昨日の件がまだ、彼女の中で尾を引いているのだろう。


 ――あの、僕の黒歴史に深々と刻み込まれた、踊り場での惨劇。


 僕が泣いて、アイツも泣いて、しかも、それだけでは終わらなかった混沌の記憶。

 そう、あの日。つい1日前の、僕にとっては人生が変わる日。


 ……あの後しばらくすると、昼休み終了のチャイムが鳴った。


 僕としては、もう少し時間に余裕があれば、いろいろと都合が良かったのだけど、残念ながら時間というモノは皆平等に流れていくらしい。

 ジタバタと足掻こうとも、あと20分ほどするともう一度チャイムが鳴り、それが五限目開始の合図。


 『……チャイム、鳴っちゃったね』


 僕に抱きついたまま、彼女は、濡れた瞳を向けてくる。


 『……授業、出たくないな』


 僕も、泣くという行為はこうまで体力を使うのかと、熱さを感じる瞼を、もう一度拭うようにこすった。

 まさに、ぐったりである。

 見られたくない相手に、見せたく無いところを見られてしまった。僕のわずかに残っていた小石ほどの自尊心も、もはや粉々。


 あの時、彼女が、僕の涙を拭うんだ。

 ゴメンね。泣かないで。って、自分の方がひどい顔をしているくせに、大粒の涙をこぼしながら、その細い指で、小さな手のひらで、僕の涙を一生懸命止めようとするんだ。

 僕も、泣くなよなんて、声にならない声のままで、彼女の涙を拭う。

 その涙で濡れた頬が、滲んで歪むアイツの顔が、もうその姿が、愛しくて、愛しくて、同時に自分が情けなくて。僕は男なんだから、彼女を守る立場のはずだろ、それなのに、その時はどうにも、涙を止めることが出来なくて。


 ゴメンな。


 本当に、ゴメン。


 どうしようもない僕でゴメン。


 それからしばらくして、ようやく涙が止まるころには、すでに、精神的にも肉体的にも、ヘトヘトだった。


 追ってきた倦怠感に包まれながらも、僕は思案する。


 どうするか。いっそこのまま本当にサボってしまおうか。先生や親からなんと言われるかわかったものでは無いけれど、僕の中の悪魔が、そうしちゃえと魅惑的に囁いてくる。

 そもそも、こんな腫れた目で教室に戻るなんて出来やしない。

 涙は止まってはいるものの、こんな顔で皆の前に出れば、好奇心旺盛な高校生たちである。興味津々に質問攻めだろう。でも、それこそ根掘り葉掘り聞かれても答えられないし、そもそも煩わしい。心の底からそっとしておいて欲しいのだけど、まぁ、それは無理というものか。

 きっと、隣の彼女も同じ気持ちだろう。

 僕に身体を預けたままで、鼻をグスグスとすすりながらも小さな手鏡を動かして、しきりに自分の目元を気にしている。

 間違いなく、コイツも同じ目に遭うだろう。いや、人気や注目度を鑑みれば、冴えない僕と人気者の彼女では、月とすっぽん、提灯に釣り鐘。おそらく僕以上に、質問攻めで火だるまにされることだろう。


 『……きっと、みんな心配するだろうな』


 クラスのヒロインが、泣きはらした顔で帰ってくれば、黙っていられない男子の一人や二人くらい、容易に想像できる。ここぞとばかりに良いところを見せようと躍起になってもおかしくはない。

 なんせ、こんなに可愛い女子に異変を感じれば、それこそアピールのチャンスだと僕だって思うし、行動するだろう。

 でも、そうは言っても今の状態でそんな目にあえば、僕と似たり寄ったりの人見知りなコイツである。相当に堪えるはずだ。

 だから僕は、自分の行為に対する免罪符代わりに、彼女の為という大義名分を貼り付けて、少しだけ悪の道へとそそのかしてみた。


 『……このままサボって、どっか行くか? 』


 この前ふたりで行った喫茶店とかどうだ。適当に時間潰して帰ろうぜ。


 次のチャイムまであと15分ほどだろうか。教室までなら、急げば充分間に合う距離ではあるけれど、こんな状態である。もはや、今更焦った所でどうしようも無い。

 と、僕の思惑をどう受け取ったのか、僕の手渡したポケットティッシュで、二度三度と思い切り鼻をかむ彼女の瞳が、少し、輝いたように見えた。


 『……いいわね』


 さすがは僕の好きな女の子だ。

 さっきまでの鼻水を垂らした泣き顔なんてどこ吹く風、悪い笑みを浮かべると、僕の腕を抱き直し、顔を再度寄せてきた。

 でも、――乗ったわ。なんて、しばらくはそんな顔でいたのだけど、


 『――あ、そうだ。……それとね』


 ふと、何かを思い出したかのような表情のあと、彼女は、一度だけ視線を泳がせると、


 『……アタシ、今までたくさん我慢してきた事があるの』


 どこか、言いあぐねるような素振りを見せた。

 そして、


 『先月行った駅前のケーキ屋さん、特典がつくの。この前行ったカフェだって、おまけがつくのよ。映画館だってクーポンもらえるし、今まで、いっぱいいっぱい、我慢してきたんだから』


 わずかに早口で、しかもちょっとだけ拗ねたように、意味不明な言葉を並べてはいるが、僕にはその意図がわからなくて。


 『アタシは別に、言っても良かったのにさ、アンタが困るとイヤだなって思ったから……』


 多分、そんな僕の怪訝な顔に気がついたのだろう。彼女は僕の鼻先に指を突きつけてきて、


 『だから。アタシ、今日からはお店の人に言うからね』


 またもや顔を真っ赤に染めた。


 『なにを?』


 僕の問いかけに、アイツはちょっとだけ眉をつり上げて、


 『なにをって、――もう! そんなの決まってるじゃない。あ、アタシ達は、』


 わずかに悔しそうに唸ると、


 『……こ、ここ、……恋人同士です、って』


 ――胸を張って言ってやるの。


 そうアイツが言うもんだから、不覚にも、顔が熱くなってしまった。

 だって、こんな必死に、しかもこれ以上無いくらい顔を真っ赤に染めて、本当に困ったヤツだ。何を言うかと思えば、なんでコイツはこうなんだ。


 『……恥ずかしいからやめてくれ』


 『言わないとダメだもん』


 割引してもらえないわ。なんて、未だに赤信号にも負けない顔色で、照れたように笑う。

 要するに、景品だとか、クーポンだとか、現金なことを並べてはいるが、


 『あぁなんだ、えっとだ、……か、カップルだと、得するってことか? 』


 『それだけじゃないけどね』


 彼女は、またもや僕の身体にしがみつくよう抱きついて、


 『……みんなに自慢したいのよ。アンタのこと』


 またもやこっぱずかしく、それでいて僕を幸せにしてくれる。そんな魔法のような言葉をくれた。そして、


 『アタシには、こんな素敵な彼がいるの』


 ――どうだ、うらやましいだろう。と、彼女は僕の目を見てもう一度、ニコッと笑みをこぼすんだ。


 『うぅ。やめてくれ』


 その猛攻撃に、今度はこちらが唸る番か。


 『にへへ、……まいったか』


 僕の肩に頭を乗せて、彼女は満足そうに呟いた。


 頬に当たる彼女の髪がくすぐったい。

 どこかで女性は髪を触られるのが嫌いだと見聞きした記憶があるのだけれど、僕は今、どうにも心の抑えが効かなくて。我慢ができなくて。

 ようやく、僕の頭は今の状況に追いついたのかもしれない。ふわふわと、どこか夢を見ているようなそんな非現実感が、彼女の言葉と笑顔に連れられて、ふいに現実味を帯びたように思う。

 ヤバいな、


 『……幸せだ』


 あらためて思う。僕は、コイツがどうにも愛おしくてたまらないようだ。

 彼女の頭を優しくなでる。そして、彼女の頭に、自分の頭を軽く寄せた。

 僕の制服を掴む彼女の手が震え、わずかに力が籠ったように感じがする。


 『ホント、ヤバいわね。……えへ、また、涙出てきた』


 自分自身、こんな大胆な行動をとるなんて、なんと恐ろしい奴めとは思う。

 でも、爆発しそうなほどに心臓が高鳴って仕方がないけれど、どうにもやっぱり感情の制御弁がバカになってしまっているようだ。


 だから、次に出た言葉も、今日何度目になるのかな。

 あまり乱用すると、意味が薄れてしまいそうな気もするが、どうか今ばかりは、大目に見て欲しい。


 ――大好きだ。


 ――知ってる。


 僕の鼻をすする音と共に、笑っているのか泣いているのか、アイツのへんちくりんな声が聞こえてきた。








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