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第31話ーA がんばれ。そう僕は、笑いかけた。








 窓から見える空は抜けるような青で、真っ白な雲が気持ちよさげに浮いていた。


 遅れて鳴った目覚まし代わりのアラームを止め、僕は、ゆっくりと起き上がり、両腕を上げて伸びをする。

 ふぅ。と、こぼれた息はどこか爽快感を含んでいて、こんな日なのに、――不思議と晴れ晴れとした心持ちだった。

 昨晩は、ついにこの日が来るのかと、きっと眠れないだろうなと、鬱々と考えてはいた。だけど、目が覚めたら朝だったのだから、どうにも驚いてしまって。

 徹夜を覚悟していたぶん、布団に入り、次の瞬間には朝だったのだから、体感数秒、実質6時間強か。一瞬、時間を飛び越えたのかと思った。


 でもイヤな感じではない。文字通り熟睡だったように感じる。


 まぁ、よく思い返してみると、一昨晩は一睡も出来ず、そのまま委員会活動で汗を流し、ついでのように校舎裏でボコボコに叩きのめされた。それほどの目にあったのだ、当然、身体は限界を迎えていたのだろう。

 なおかつ丸一日、失恋の痛みをグジグジと引きずって精神的にも疲労困憊だったわけで。

 昨晩、泥のように眠れたのも、まぁそりゃそうかと洗面台で顔を洗いながら、少しだけ乾いた笑みがこぼれた。


 小窓から差し込む柔らかな朝日を浴びながら、掛けられたタオルへと手を伸ばす。

 柔らかな生地が心地よい。本当に気持ちの良い朝だ。


 ――今日、大好きな彼女が僕の知らない相手に告白をする。


 そんな日に、僕の心は晴れやかで、軽かった。あれだけジタバタともがき苦しんだくせに。


 ――本当に、好きで好きでたまらない幼馴染が、今日、僕ではない誰かに想いを告げる。


 絶対に成功する。彼女は幸せに包まれる。それを見て、僕はどう思うのか、どう感じるのか。

 きっと失恋の痛みを感じるし、しばらくは塞ぎ込むかも知れない。でも、今この瞬間の僕の心情としては、不思議と穏やかで。

 もしかしなくても、この感情は強がりや諦めを含んだものかもしれない。だけど、


 「……だからどうした」


 そう。……だからどうしたなんだよな。


 結局の所、僕とアイツはただの幼馴染で、なおかつ一方的な僕の片思いだった。たったそれだけのことなのだ。

 彼女の恋愛事情に、僕の心情なんて一切関係ない。なのに、イヤだイヤだとみっともない。お前は一体何様なのかと笑ってしまう。

 そりゃそうだろう。興味のない相手と恋仲になる方がおかしいというもんだ。

 好きでもない相手に告白されて、はい、ありがとうございます、お付き合いしましょう。なんてなるわけがない。

 ただ単純に、自分だったらどう感じるかだ。

 恋愛対象でない女の子に告白されて、そりゃあ好意を寄せられて悪い気持ちはしないだろう。だけど、ごめんなさいと断るだろう? だって僕はアイツのことが好きなんだから。


 そうだ、アイツが幸せになるんだ。それなら僕の事なんて二の次三の次だろうさ。


 そんな単純なことなんだけど、この数日で腹一杯のたうち回って、ようやく理解し、それでいて快眠の手助けもあったのかな。今朝になって、ようやくこうやって飲み込めたのだから、こんな土壇場までなんだかんだと葛藤した分、この爽快感も納得できるというものだ。


 「……まぁ、こんな見栄えの悪い男じゃな」


 洗面台の鏡には、歯を磨く冴えないヤツの顔が映っていた。


 寝癖で跳ねた髪をそのままに、ゴロゴロとうがいをし、勢いよく水を吐き出す。そして、泡のついた顔のまま、「笑え笑え」とニヤリ。

 昨日まで、あれだけ女々しく泣き言を繰り返していたくせに、今朝までの一日半。それだけあれば、さすがのコイツも整理がついたのだろう。いや、夢から覚めたと言った方が正しいか。


 きっと僕は、十年に及ぶ長い間、幸せな夢を見ていたのだ。


 心からそう思う。素晴らしい夢だった。

 だからこそ、夢から醒めるその瞬間、あれほどまでに藻掻いて足掻いてしがみつこうとしたのだろう。でも、今すぐには無理かも知れないけれど、この先の十年、二十年、それくらい経てば、笑いながら語れるような、そんな素晴らしい夢だったと僕は思う。

 もう一度、ザブザブと勢いよく顔を洗う。飛び散ったしぶきを、後で拭き上げる羽目になるだろう。だけど、二度三度、流しっぱなしの水を両手ですくい、叩きつけるように顔を洗う。


 ……足下は跳ねたしずくで濡れていく。


 水浸しの顔を拭こうともせず、僕は、しばらくの間鏡を見つめ続けた。


 色々と思うところはある。あの時ああしたらどうだったのか、こうしたら変わったのか。

 でも、だけど、だからといって、……十年もの長い時間、お前は一体何をしていたんだと、なんだか呆れて、だんだんと馬鹿らしくなってきた。

 好きか嫌いかそれ以外か。その三択で、好きが選ばれなかった。ただそれだけなのだから、今更じたばたしても始まらない。それに、要は考え方次第でもある。


 ――今日からが、僕の新しい第一歩だ。


 アイツと同時に、向きは違えど、お互いに一歩を踏み出すんだ。そんな夢のあるほうに考えよう。もしかすると、意外と早く、また次の夢を見る事が出来るかも知れない。

 そうだ、まだまだ長い人生だ。その時には、この苦い経験が生かせるよう、励めば良いさ。


 なんて、鏡に映る自分に、そして今日幸せをつかみに行くアイツに、僕は今までを振り払うように、言葉を投げた。


 「……がんばれよ」


 なんだそりゃ、と笑う洗面所へ、どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてきた。









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