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第18話 私は、今日も今日とて、また空回る。 ②





 彼の第一印象は最悪でした。


 なんせ、だらしなく制服を着崩した目つきの悪い男なんて、どう考えても正義の味方ではありません。

 しかも、指に挟んだ煙草からはもうもうと煙が立ち上る始末。地面に落とし、踏み消す様はなかなか堂に入っておりまして。

 あれほどまでに血の気が引いた経験は、それまでありませんでしたね。

 絶賛絶体絶命中の私です。まさに前門の虎に後門の狼。一人ならまだしも、不逞の輩が二人に増えたとなれば、くらりと目眩がし、もう駄目だと半ば諦めたのは仕方のないことで。

 言っておきますが、私は男子と無縁の人生を歩んできました。

 周りより、少し発育が早かったせいか小学生の頃は巨人と呼ばれ、中学の頃は根暗。義務教育の9年間で、私という生き物は形成されたように思います。

 背の高さはコンプレックスに、目立ちたくないという行動が根暗と揶揄される。幼い頃に憧れたどんな可愛い服も似合わないのだから、自ずと見た目には疎くなりますし、内向的な性格は目立つことを良しとしません。

 結果、簾のような前髪で顔を隠した猫背の大女なんて、男子が相手にするはずはありませんでした。

 だからこんな私を、多少見た目に気を遣うようにはなりましたが、まさか見ず知らずの男の子が助けてくれるだなんて、そんな奇跡にも似た出来事が、その時の私には理解できなくて。

 決してドラマや映画、小説に出てくるような二人ではありません。

 学校で煙草をふかす目つきの悪い少年と、変な化粧をした大柄の根暗女なんて、配役の時点でB級作品間違いなし。

 だけど、私の窮地に颯爽と現れるころ合いの良さ。あっという間に私を覆い隠す背中。そして、見上げる位置にある目の覚めるような豪快な笑顔。


 『おう! 美人ってのも大変だな! 』


 彼が、ガハハと笑う時。

 より一層大きくなる心臓の鼓動はその意味合いを変え、冷えた身体は熱を帯びる。先ほどまで息苦しかった呼吸は、もはや出来ているのかさえもわからなくなって。

 私は、その時の事を忘れることは出来ないでしょうね。

 なんせ、薄暗くカビ臭い校舎裏が、目の前を星が走ったかのように、パッと辺り一面輝いて見えたのだから。

 当の本人は、その時生まれた感情が、いったい何なのかと気がつくのに、しばらくの時間を要したのだから開いた口が塞がりません。

 男子に対する免疫のなさと経験値の低さに、我ながら、くちばしが黄色いというかなんというか。

 その時から続く胸の鼓動は家に帰っても鳴りやまず、どうしたのだろうと一晩考えた末、結局、理由はわかりませんでした。

 ですが、どうやら私という人間は、とんだ恩知らずということに気がつきました。

 なんせ、彼にありがとうのひとつも言っていなかったのですから。


 さっそく次の日には、お礼を言い忘れたからと彼を探しはじめ、同じクラスだと知ると胸を弾ませました。

 でも、勇気を振り絞って出した第一声が、低い声色での『どうも』

 彼も面食らったように、『お、おう』とだけ。

 違うでしょう。先日はありがとうございましたでしょう。

 私は救いようのないアンポンタンだと、一人自室で苦悶しました。

 その後、何度も挑戦しましたが、まず私、彼の前だと顔が引きつって表情が出ないのです。

 そもそも男子と話した経験がほぼ皆無。緊張も相まって、彼に対してだけ常に仏頂面。

 彼も、『なんだ、毎日腹でもくだしてんのか? 』と、不器用に気遣ってくる始末。

 さらに、周りの級友たちもとても良い人ばかりで、右も左もわからない私にいろいろと協力してくれるのです。だというのに、


 『どーんと行けばいいのよ! 』


 『――あ、違う。どーんって、物理的にじゃなくてね……』


 『え~、そんなん隣に座ってニコニコしてればいいじゃん? 』


 『――え、なんで真顔のまんまなん? 試しにちょっと笑ってみ。……うっわ、かっわ……いや、ばっちりじゃん。それが何であそこで出来ないかなー? 』


 あのときほど、頭を抱えたことはありませんでした。ただお礼を言うだけのことが、なぜこうも出来ないのかと。

 あれよあれよと光陰矢のごとし。あっという間に二ヶ月ほどが経ちまして。

 何度も失敗を繰り返し、もうどうしたら良いのかと途方に暮れる毎日が続いておりました。

 しかし、このままではダメだと私も考えぬきました。会話が困難ならば、それに変わる何かを生み出さなくては。

 そこで、次に挑戦したのがお弁当作り。

 毎日のように話しかける機会をうかがっていたので、もはやストーカー気味の私。彼の昼食事情は把握していたわけでして。

 えぇ、そうです。苦肉の策ですとも。

 お菓子などのほうが喜ばれたかもと、今さらながら思いますが、その時は、他に何も思いつかなかったのですから、致し方なく。

 ですが、こうと決めたら一直線。その日の晩から、早速行動に移しました。もちろん師事するのは私が世界一信頼する我が家の三つ星シェフ。――母です。

 もちろんいらぬ心配はかけたくないので、校舎裏でのことは話していません。ただ、お世話になった男子生徒にお礼がしたいと説明しただけなのですが。


 『あらぁ、まぁ、そうなの……ふふふ、お父さんには内緒にしときましょうね』


 そんな、何が言いたいのだろうと首をかしげながらも、初めて挑んだお弁当作りは、なかなかの難敵でした。

 念のために、言い訳させて貰います。中学まで勉強一筋の私ですからね。


 『あのね。包丁は食べ物を切るんだけど、アナタは指が食べたいの? お父さんが泣くわよ? 』


 『あぁ、ほら。まな板が世紀末じゃないの。卵はね、体重をかけなくても割れるのよ? 』


 『ゴメンなさい。これはお母さんのせいね。今まで何も教えてこなかったお母さんの……』


 こともなげに母が作るものだから、まさかこんなに難しいとは思いもしませんでした。

 キッチンとおろしたてのエプロン、それと、絆創膏だらけの両手をこれでもかと汚し、母と私は途方に暮れるばかり。

 初めて、頭を抱える母を見ましたね。

 それもそのはず、あろうことか、私はおにぎり一つ満足に握れなかったのですから、本当に、恥ずかしい娘です。


 ――ああでもないこうでもないと不器用な私と母の戦いは深夜にまで及びました。


 ただ、やってやれないことはないと言いますか、やればどうとでもなるものですね。

 下手はヘタなりにもどうにかお弁当は形になり、母子二人で、空気の抜けたように椅子へとへたり込みました。

 同時に、料理とは、かくも疲れるものなのかと思い知り、毎日作ってくれる母にはあらためて感謝するばかりです。


 そして、次の日。再び母監修の元、まったく同じ物を朝五時から作り始め、時間いっぱい使い切り、無事完成。

 過分に寝不足気味ですが、もうゴールは目前です。なんだかんだと、あとは彼に渡すだけと相成ったわけです。

 朝、玄関で靴を履く私に、


 『女は度胸ですよ』


 ガッツポーズを見せる母の、その言葉の意味するところはわかりませんでしたが、もうここまできたらやることは一つです。私は母に小さくガッツポーズを返し、いざ鎌倉と鼻息荒く、家を後にしました。


 ――ですが、やはり物事はこちらの思惑通りには上手くいかないものですね。


 その日のお昼時、


 『いや、もらう理由がねぇだろう』


 彼のこの一言で、私の計画は脆くも音を立て崩れることとなりました。

 しかし、彼の言うこともごもっとも。返す言葉もございません。

 突然、クラスメイトに進路を塞がれて、巾着袋を差し出されたのですから。それもお弁当を作ってきただなんて、一体何事かと身構えて当然。

 それが、私みたいな背の高い根暗が行うのだから、なおさら不気味だったでしょう。

 さらには、口ベタな私です。仏頂面を貼り付けて、まるで日本語に不慣れな外国人よろしく片言ですからね、


 『差し上げます』


 でも、私はこの一言に百の意味を込めるしかありませんでした。


 『あのなぁ、別に食うに困っちゃいねぇよ』


 ……昼飯ぐらい買う金はあらぁ


 その時の彼の苦い顔は、私の行いが自分を見下したように映たからかもしれません。

 わかっています。わかっていますとも。けっしてそういう意味ではありません。

 でも。だけど。その……。

 私の言葉は、口から出る前に溶けて消えるのです。

 こうなるかもとは、頭の片隅にありました。

 やはり、所詮付け焼き刃。世の中は正直な物ですね。

 そう簡単に上手くいこうはずもなく。変わろうと努力し、失敗。そして今度は、ただ一言が出てこずに失敗するのでしょう。

 薄々わかってはいたのだけれど、でも、こんなに歯がゆいことがあっただろうか。彼を目の前にして、私の口からはその一言が出てこないのです。

 多分、その時の自分の不器用さが、腹の底から許せなかったのでしょうね。悔しくて、苦しくて、でもどうにもならなくて。


 ――先日のお礼です。


 ――助けて頂いてありがとうございました。


 ――とても嬉しかったです。


 言いたいことはたくさんあったはずなのに。

 お弁当を作りながら、頭の中で何度も渡す練習をしてきたのに。


 ……私の口は、何も言葉を発する事が出来なくて。


 つくづく、私という人間は不器用で身勝手な生き物です。

 努力が報われない痛みは以前学びました。それは自分自身が受け止めるべきもので、決して他人に見せるべきではないということも、あの時、母に謝りながら学んだ、――そのはずなのに。

 今思い出しても、あれは彼に対して最低で最悪で迷惑な行為でした。

 あんなことをしでかしたのだから、まだしばらくの間は、自分を許せそうにありません。


 なんせ、人の行き交う廊下だというのに、私は……ほろり。

 あろうことか、困り顔でお弁当を突き返してきた彼の目の前で、


 『……差し上げます』


 涙が、一粒こぼれてしまったのですから。







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