91話 勇者の帰還
翌朝、魔王の居室で皆で朝食を取る。ルリが久しぶりにパンが食べたいと言い、
パンと目玉焼きとミルク、デザートの組み合わせだ。
ルリはホットミルクにパンをつけて食べている。
「お姉ちゃん、また目玉焼きに醤油かけてるの?」
ルリは塩コショウ派のようだ。
「醤油が一番いいのだ。卵かけご飯だって醤油だろう」
「卵かけご飯と目玉焼きは違うって。それにパンに醤油味は合わないじゃない」
「そんなことないぞ。パンに醤油をかけてもいいくらいだ」
「えー、それは絶対ないよ!」
ルリもヤマモトも本気ではなく笑顔でじゃれあっている。
魔王は無表情にパンをかじっている。
「ふむ、姉妹でも好みが違うのか」
「人によって好みはありますね。かなり好き嫌いの分かれる料理もあります。納豆とか・・」
「ああ、あの腐った豆か」
「腐ってないぞ、失礼な」
「私も納豆はちょっとパス」
ヤマモトが憤慨するが、ルリも納豆は苦手のようだ。
朝食が終わるとヤマモトが転移したときの服に着替えて、皆ソワソワしだす。もうすぐヤマモトが帰還する時間になるのだ。
たわいもない事を話ながら時間を過ごすと、やがて部屋の中央に光が集まり始め、女神が顕現する。
「使命を果たした勇者よ、帰還の時となりました。あなたを元の世界へ戻しましょう」
「元の世界では時間は経過していないんだな?」
「はい、そうなります。ただ記憶だけは残ります。できれば他言無用で・・」
「ああ分かっている。どうせ誰も信じないさ」
ヤマモトが魔王とルリに向き直る。
「ではな。くれぐれもルリの事を頼んだぞ」
魔王は頷く。
「任せておけ」
「お姉ちゃん、元気でね。お父さんとお母さんによろしくね」
「正直、どう伝えればいいのか迷ったものだが・・」
ヤマモトが苦笑する。
ヤマモトがミリアレフに振り返り、両手を取る。
「ミリアレフ、君のおかげで何度命を救われたか分からない。本当にありがとう」
「勇者様、もったいないお言葉です・・ううっ、どうかお元気で」
ミリアレフは涙でぐしゃぐしゃの顔でヤマモトの手を握り返す。
「スパーク、無理ばかり言ってすまなかったな」
「いいさ、俺も貰うもん貰ったしな。勇者印のパン屋の上納金はなしでいいよな?」
「フフ、ああ構わんぞ」
ヤマモトとスパークは軽く拳を合わせる。
「ファーリセス、バーログやレッドドラゴンを倒せたのは君の魔法のおかげだ。助かったよ」
「勇者様、元気でね!」
ファーリセスは会った時と同じように、ヤマモトの手にちょこんと手を触れる。
そしてヤマモトがファブレに向き直る。
「ファブレ、長い間世話になったな。君のおかげで私は異世界でも孤独を感じずに済んだ。心から感謝しているよ」
ファブレは涙をこらえようとしていたが、やはり目から涙が溢れてしまう。
「ヤマモト様・・ボク、ヤマモト様のこと絶対に忘れません。いつでもヤマモト様の夢が叶うように願っています」
「ありがとう。君が応援してくれていると思えば、私はくじけそうになっても頑張れるだろう」
ヤマモトはかがんでファブレを優しく抱きしめ、額にキスをした。
そして立ち上がり、女神が開いた時空の扉へ向かう。開いた扉の向こうには夜空と星のようなものが見える。
「ではな」
ヤマモトは笑顔で一度だけ皆を振り返ったあと、躊躇うことなく時空の扉を抜ける。
扉を抜けたヤマモトの姿が消える。そしてゆっくりと扉が閉まり、時空の扉も宙に溶けるように消えていった。
「ヤマモト様・・ううっ・・」
ファブレが床に泣き崩れる。
「泣くな小僧。勇者が使命を果たしたんだ。めでたいことじゃないか」
ファブレがスパークを見上げる。しかしスパークも何かに耐えているように見える。
「それにお前にはまだ使命があるだろう。しっかりするんだ」
ファブレはヤマモトの装備を元の持ち主に返して欲しいと、従者としての最後の使命を受けたのだ。
「・・そうですね。すみません」
ファブレは涙を拭いてよろよろと立ち上がる。
女神が皆を見渡して告げる。
「では私もこれで・・くれぐれもルリさんの事故の件は秘密に。天罰が下りますよ」
物騒な言葉を残して女神は消えて行った。
「行ってしまったな・・だが君らにはまだやることがあるのだろう。馬は城の入り口につないである。吊り橋も直しておいた。この魔除けがあれば魔物は馬や君たちを認識できない。効果は一日しかないがな」
魔王が人数分の札のようなものをテーブルに置く。
「そりゃ助かる。今から出れば夕方までに砦まで行けるな」
「ありがとうございます」
各自札を懐にしまう。
「魔王様とルリさんはずっとここに?」
「いや、討伐されたはずの魔王が居座る訳にもいくまい。しばらくルリの療養をしたら、ルリの希望に合う場所を探してそこで生活しようと思う」
「私ずっと湖畔の森の傍に住みたかったの!」
「そうでしたか」
「何か君の力を借りることがあるかも知れん。その時は連絡しよう」
「分かりました。二人ともお元気で」
ファブレは魔王と握手する。魔王の鋭かったであろう爪は丁寧に丸められていた。
スパークたちが魔王とルリに別れを告げる。
「じゃあ行くか。世話になったな」
「二人の未来に幸あらんことを・・」
「おみやげありがとね!」
ルリは笑顔で手を振っている。
魔王の笑顔はまだ邪悪さが残るが、少し表情が和らいだようにも見える。
一行は魔王の居室を後にした。