280話 何でもない日
「うーん・・」
ヤザワが手帳のページをめくり見ながら、ペンを握った手で頭をガリガリと掻いている。
ファブレがその様子を見て声を掛けた。
「新しい魔法の開発中ですか? よかったら少し気分転換しませんか」
ファブレの声にヤザワがため息をつき、ペンを置いて手帳を胸ポケットに入れた。
「そうしよう。今日はちょっと調子が乗らないみたいだ。熱いコーヒーをブラックでお願いできるかい?」
「分かりました。アリア、オヤツだよ」
「うん」
アリアはツァーレの前で猫じゃらしを振っていたが、全く反応がないので諦めて立ち上がる。
「お菓子は何か希望がありますか?」
「そうだね・・カステラとかできるかな?」
「分かりました。料理召喚!」
テーブルについた3人の前にそれぞれの飲み物と、カステラが2切れずつ召喚される。無言で手を伸ばしかけたアリアをヤザワが注意する。
「アリア」
「あっ、えっと、いただきます」
「それでいい。ボクも頂こう」
「はい、どうぞ」
ヤザワがコーヒーを一口啜り、カステラに手を伸ばしてフフッと笑う。
「ちゃんと紙がついてるんだね」
「ヤマモト様にカステラには紙がつきものだと言われまして。ところで今はどんな魔法を考えてるんですか?」
ヤザワが顎をさする。
「やはり魔王討伐に使いそうな魔法だね。一体の強力な敵を倒す、複数の敵を一度に倒す。あとは空を飛ぶだとか、空間転移だとか、時間を止める、自分の体や仲間を頑丈にするとかね」
ファブレはその内容に驚いた。
「ええっ? そんな魔法が使えたらまさに無敵じゃないですか」
「まぁそう上手くは行かない。強力な魔法ほど言霊の高い評価が必要なんだ。時間を止める魔法などは最高評価のS+が必要になるだろうね」
「なるほど。だから普段の言葉集めが大事なんですね」
「そういうことだ。アリア、はしたないからそれはやめなさい」
「やだ」
アリアはへばりついたわずかなカステラを食べるため、紙をまるごと咀嚼している。
ファブレも昔同じことをして、ヤマモトに注意されたのを思い出した。
アリアの召喚術はファブレと全く同じ能力のようだった。なので昔のファブレと同じように、レベルを上げるため毎日3回召喚を使いきるのが必須で、一緒に食器なども召喚するよう練習している。
「アリア、さっき食べたカステラを召喚してみて。できれば食器も」
「うん、料理召喚!」
アリアが召喚したのはカステラ一切れだった。端に紙がついてはいるが皿やフォークなどはない。
3等分して皆で味見をする。
「なんだか・・どっしりとしたカステラだね」
「さっきより甘い!」
「アリア、カステラやスポンジケーキで大事なのは、生地を作るときに玉子を泡立てて気泡を作ることなんだ。それを焼くことで空気の層ができてふんわりとした食感になる。実際に作ってみればより分かると思うよ。あと甘いのはアリアの好みだね。ボクの召喚は無意識に甘さ控えめにしてたみたいだ」
「実際にも作れるの?」
「作れるよ。今は材料がちょっと足りないから、明日市場で買って試してみようか」
「うん!」
「ボクも同行しよう。何かインスピレーションが湧くかも知れない」
「楽しみ!」
アリアがニカッと笑った。歯の生え変わりで前歯が一本抜けているので締まらない。
アリアは掃除や洗濯などは一通りできるが、読み書きは全くできない。
ヤザワは家庭教師をしていたことがあるとのことで、アリアに読み書きを教えている。
「無理!」
アリアが泣き顔でペンを放り出す。ヤザワは怒りもせずそのペンを拾い上げた。
「アリア、あせらないで。今すぐできなくてもいいから、続けることが大事なんだ」
「・・分かった」
アリアは不満げだがペンを受け取り、再度手元の紙に向き直る。まだペンを握る強さもわからず、手の動かし方もたどたどしい。ペンが紙の上で滑ってしまう。また新たに書き直す。それを何度か繰り返した。
「よし、今日はここまで。よく頑張ったね」
ヤザワに頭を撫でられ、アリアは嬉しそうだ。ファブレも同じようにヤマモトから読み書きを習ったが、その記憶は薄れかけている。ヤマモトは何と言っていただろうか・・ファブレが記憶を探ろうとしたが、部屋に入ってきたツァーレに妨害された。
「夕飯はまだかの?」
アリアが手を上げる。
「私が猫缶あげていい?」
「お願いするよ。手を切らないようにね」
「うん!」
アリアは椅子から飛び降りて台所へ向かった。その様子を見ながらヤザワが呟く。
「猫缶はオーパーツだと思うけど・・もしかしてそれも召喚かい?」
「そうです」
「じゃあそれを巨大化させて、敵の頭上から落とすようなこともできるんじゃないか?」
ファブレは思った。ヤザワとハヤミは似ている。
「・・できると思いますが、やりたくはないですね」
いくら魔物でも、巨大な猫缶に潰されるのは不憫に思えた。
「確かに見た目が悪いね。待てよ、何かを落とすというのは使えそうだ。墜落・・いや堕落というフレーズもいいな」
ヤザワが手帳を取り出した。




