260話 ゴローの迷い
王都防衛隊は文字通り、王都の守護を一手に担う部隊だ。だが王都は長年外部の脅威にさらされた事はなく、防衛隊は継ぐ家のない貴族の次男三男などの受け皿になっている。城や重要拠点の警護などの楽な仕事は貴族出身が占め、士官学校を卒業した一般人は外壁での監視、門番、市民の小競り合い、犯罪者の取り締まりなどの面倒な作業に任る事がほとんどだ。
その隊長室の机で、ルードヴィヒは怒声を上げた。ワナワナと握りこぶしが震えている。
「あの親衛隊の若造、儂を怒鳴りつけおった! 伯爵家の儂をだぞ! 陛下のお気に入りか知らんが何様のつもりだ!」
ルードヴィヒの向かいには不動の姿勢で副官のベルヒが控えている。
「ベルヒ! 外壁と水路の補修は貴様に命じただろう! どう責任を取るつもりだ!」
ベルヒは表情を変えずに口を開いた。
「閣下。お言葉ですが人夫を雇う予算をいただかないと実施できないと3度申し上げました。それに見積もりを出せと言われ提出しましたが、その費用もまだ頂いておりません」
ルードヴィヒが机を拳で叩く。
「見積もりくらい無料で出さんか! それに予算がなくても何とかするのがお前の仕事だろう!」
「私的な財で他人に隊の仕事をさせるのは重大な規則違反です」
「ええい、もうその事はよい! 間に合わん! 有事に備えた部隊の編制と訓練は行っているのだろうな?」
「そのような命令は受けておりません。各隊員の予定は一か月先まで決めているので、二か月ほどかかろうかと」
「今すぐやれ! 最優先だ!」
「かしこまりました」
ベルヒは恭しく一礼すると隊長室を後にする。ルードヴィヒは机を何度も拳で叩く。
「くそっ、迷宮からゴブリンが溢れるだと! 知ったことか! ハウザーめ、自分の失敗を棚にあげて陛下に泣きつくとは! 陛下も陛下だ! 儂は前王の治世から何十年もこの街の平和を守ってきたのだぞ! 外壁や水路の綻びなど小さなことではないか!」
ルードヴィヒが棚から酒のビンとグラスを出した時、ベルヒが再度隊長室に顔を出す。
「閣下」
「なんだ!」
「隊員の予定を大幅に変更するので、追加の予算が必要です」
ルードヴィヒはグラスを投げつけた。
ファブレがゴローを伴って家へ転移すると、ハヤミとヨーコ、それにラプターが出迎えた。ファブレが驚く。
「あれ、ラプターさん?」
「多分ゴローを連れてくるんじゃないかと思ってね。ラプターも呼んでおいた」
「助かります、ハヤミ様」
ファブレはハヤミの機転に感謝する。ゴローを魔法研究所へどうやって連れて行こうか悩んでいたところだ。
全員が椅子についたところでラプターが口を開く。
「ゴロー君、久しぶりだね。君の人生の目標は見つかったかな?」
ラプターの声にゴローが大きな体を俯かせる。ソファがギシリと音を立てた。
「その事でお前に相談したかったんだ。もうオウマ様とルリ様にお仕えする必要もなく、充てのない旅を続けてもやはり目標は見つからなかった。俺はどうすれば・・」
「ふーむ、では原点に返ってみるのがいいかも知れないね」
「原点?」
ラプターの言葉にゴローが顔を上げる。
「君は人間に付けられたジムという名前を嫌がっていた。一方でルリさんやオウマからつけられたゴローは受け入れている。やはり強い者に従うという魔物の習性はあるのだと思う」
「ふむ・・そういうものなのか」
「君が否定したがっても、やはり君がゴブリンロードである事は事実だ。失礼かも知れないが、ゴブリンたちの王になりたいとか、あるいは集団で人里を襲いたいとか、そういう欲求は本当にないのかな?」
ゴローは首を振る。
「いや、そんな事は面倒で楽しくなさそうだ」
「他のゴブリンと会うことはあるかい?」
「いや、全くない」
ラプターが腕を組む。
「ええと、何というか・・君は長い期間ゴブリン離れをしすぎている。もっとゴブリンと触れあえば、何か本能を呼び覚ますような発見があるかも知れない」
ゴローは渋面になる。
「本能ねぇ・・本能ってのは結局ゴブリンの王になるって事じゃないのか?」
その時守衛が扉を激しく叩いた。
「失礼します! 陛下からの緊急のお呼び出しです! 皆さん急いで街の東門の上に集まるようにと!」
「来たか」
ハヤミが立ち上がり、ヨーコがハヤミの装備を付ける手伝いを始める。ファブレも着替えを始める。
「ラプター、君も行くんだろう? ゴロー君はどうする?」
ゴローは渋々立ち上がる。
「まぁせっかく来たんだし・・野生のゴブリンがどんなだか見てみるか。見るだけだぞ」
東門の上にはミハエルとサラヴァン、王を守る親衛隊の面々、ハウザー、ルードヴィヒとベルヒ。それにスパークとファーリセスも既に到着していた。連絡係もバタバタと走り回っている。
皆の見つめる方向に目をやると、ゴブリンの大群が並べたレンガの如く、整然と陣を為しているのが見える。王都の壁際には防衛軍も陣を構えているが、隊ごとの人数が違ったり、形が歪んでいるのが分かる。
「まさか正面から来るとはね。しかもゴブリンの方が練度が高そうじゃないか」
ハヤミが眼下を見やって肩をすくめる。
「ん、そちらの方は?」
サラヴァンが全身を隠すような怪しい恰好のゴローに目を光らせる。認識疎外の指輪をつけているので普段は見過ごされやすいが、王の警護のため不審者に目を光らすサラヴァンは誤魔化せない。
「こちらはヤマモト様の従者の一人、ゴローさんです。姿を見ても驚かないでくださいね」
ファブレの紹介の後、ゴローが指輪を外して顔を覆っていたフードを取った。緑色の肌、それに口元から除く牙が露わになる。顔見知りのスパークとファーリセス以外は愕然とする。
「まま、魔物!」
サラヴァンはミハエルを後ろ手に守り、剣に手を掛ける。ゴローがそれを見てフンと鼻息を吐く。
「落ち着け。害を成すつもりはない」
「魔物がしゃべった!?」
「いや、確かヤマモトさんが話していた。人の言葉を話すゴブリンロードを従者にしたと。あれは本当だったのか・・」
ミハエルの言葉にファブレが頷く。
「はい。ゴローさんはヤマモト様が認めた従者の一人で、人に対する敵意はありません。大魔王討伐でも大きな活躍をされました」
「なんだ、お前も来たのか」
「ゴロー、久しぶり!」
「スパーク、もう魔王城に盗みに入るんじゃないぞ」
「う、うるせえ! 俺の勝手だろ!」
スパークとファーリセスが声を掛けるのを見て、周囲も納得したようだ。サラヴァンはゴローに目線を向けたまま、ゆっくりと剣から手を離した。




