207話 イフリート温泉
河川敷を超えると通路は洞窟内へと続いている。洞窟の入口近くは普通の土や石壁だったが、進むにつれて鍾乳石、黒曜石などが混じり、やがて鋭い水晶が壁から突き出すようになってきた。最初のうちは興奮し、通路に落ちていた欠片を拾っていたスパークやミリアレフも、壁のほとんどが水晶となると拾う気もなくなってくる。
「こんなにあるとありがたみが無いですね」
「採掘すりゃ一財産だろうが、運びようがないな」
通路を進むにつれ、またも熱気をはらんだ空気が奥から漂ってくるようになった。
行きついた先は大きな空洞で、奥に溶岩の池が見える。溶岩の川の源泉なのだろうか。
天井と壁一面の水晶に溶岩の光が反射して揺らめき、幻想的な輝きを放っている。
「何かいるぞ」
溶岩の池の中に動くものが見える。目を凝らすと巨大な人型の魔物が、まるで風呂に入っているかのように溶岩につかっているのだと分かった。
魔物はそばを通りかかった火蜥蜴を手でつかんで、そのまま口へ放りこんだ。何度か咀嚼したあと、自分のつかっている溶岩を手で掬って飲んでいる。
「とんでもない奴だな。高位の魔物なのか?」
ヤマモトとファブレを除いて、皆がその魔物の正体に気づいたようだ。
「げっ! あれはイフリートだぞ!」
「驚いたな。イフリートじゃないか」
「イフリートですね」
ヤマモトが尋ねる。
「イフリート? 有名な魔物なのか?」
ファーリセスが答える。
「イフリートは炎の魔神とも言われる最上級魔族。魔王にも匹敵する力があると言われてる。きまぐれで人の願いを叶えたり、大災害を起こしたりもする」
言われてみるとファブレも、小さい頃に絵本で見たことがあるのを思い出した。
イフリートもこちらに気づいたようだ。
「おーい! そんなとこで突っ立ってないでこっちに来いよ!」
溶岩の中から手招きしている。ファブレは拍子抜けした。
「思ったより気さくな感じですね」
「だがあれがこのフロアのボスじゃないのか? まぁ話を聞いてみるか」
一行はヤマモトを先頭に慎重にイフリートに近づく。
イフリートは岩に背を持たれて胸まで溶岩につかり、両腕を岩べりに投げ出している。温泉客そのものだ。だが先頭のヤマモトを見て緊張の面持ちになる。
「な・・お前、勇者か? 俺を倒しにきたのか?」
ヤマモトは首を振る。
「この迷宮の奥に用がある。通りすがりにお前がいただけだ」
イフリートは安堵したようだ。
「脅かすなよ。さすがに俺も聖剣持ちの勇者相手じゃ分が悪い。だがこの快適な場所の代わりに守護者を任されてんだ。素通りさせるって訳にはいかんな。よし、誰か一対一で俺と戦え。ただし勇者以外だぞ!」
だがヤマモトは首を振り、聖剣を抜く。
「どうしてお前に付き合わなきゃならん? 全員で行かせてもらおう。早く上がって来い」
イフリートが慌てる。
「待て待て待て! 一対一で俺に勝ったらいいことを教えてやるから!」
ヤマモトが聖剣を鞘に収めた。
「ワガママな奴だな。どうする?」
戦闘職でないファブレとスパークは論外だし、ファーリセスも初手の魔法を防がれたら終わりだろう。ミリアレフは防御には優れるが攻撃手段が乏しい。ハヤミかヨーコが相手ということになる。ハヤミは肩をすくめる。
「ちょっとボクには不利な相手だね。ヨーコの出番のようだ」
「私がやろう」
ヨーコは落ち着き払って答える。
「よし決まりだな!」
言うが早いかイフリートは溶岩の風呂から立ち上がった。真っ黒で筋骨隆々とした体から溶岩が流れ落ちる。ノシノシと大股で広間の中央へ向かうと、残された溶岩の足跡から煙が上がる。ファブレの心臓が早鐘を打つ。ヨーコはイフリート相手に勝算があるのだろうか。
ファブレはハヤミの元で修行中に聞いた言葉を思い出す。ハヤミは何でもありの一対一ではヨーコには勝てないと言っていた。それにファーリセスもヨーコは勇者に匹敵する力があるとも話していた。
魔王に匹敵するイフリートと、勇者に匹敵するヨーコの戦いは、結果が全く想像できなかった。
広間の中央でヨーコとイフリートが向き合う。イフリートがガツガツと両拳を打ち鳴らす。
「俺は加減が下手でな。ま、腕の5、6本は覚悟するんだな!」
「いらん心配だ。全力で来い、臆病者」
「あ?」
イフリートがヨーコに凄む。だがヨーコは無視して言葉を続ける。
「勇者と聖剣だけは勘弁してくれとか、情けないと思わないのか。デカい図体してネズミほどの心臓しかないんだろう?」
ヨーコの物言いにイフリートは激高した。黒かった体表が燃え上がる。
「てめェ! 殺さないでやるつもりだったのに容赦しねえぞ!」
イフリートは怒りに任せて、地響きを立てて前傾姿勢でヨーコに突進する。ただでさえ恐ろしい相手を怒らせていいのだろうかとファブレは不安になる。
ハヤミがファブレの疑問に答えるように言う。
「怒った相手は直線的に攻撃に出てくる。様子を見られるよりやりやすい」
ヨーコは迫りくるイフリートから距離を取りながら、次々と防御魔法を使う。
「レジストファイア、プロテクションフロムイービル、ストンスキン」
「おらぁ!」
ヨーコを間合いに捕らえたイフリートが剛腕を振るう。ヨーコの頭上から打ち下ろされる拳は燃え上がっており、炎と打撃の両方の効果があるのだろう。それに燃え上がる体から発せられる熱も相当なものだ。対炎の魔法がなければ接近するだけで火傷を負ってしまう。
「燃え上がったときのバーログに似てますね」
ミリアレフの言葉にヤマモトが頷く。
「ああ、あれはやっかいだったな」
ヨーコはイフリートの振り回す両手を躱し、盾で防ぎ、距離を取る。防戦一方だ。
ヨーコが大振りの一撃を後方に飛び退って躱し、着地と同時にイフリートへ呪文を放った。
「氷槍!」
ヨーコから氷の槍が飛び、イフリートの身体の中央を貫くと思われた。だが氷の槍はイフリートの体表に触れるそばから蒸発し、全くダメージを与えられない。イフリートは鼻で笑う。
「そんなチャチな魔法が効くか! 魔法ってのはこうやるんだよ!」
イフリートが呪文を唱え始めた。ハヤミは興奮して叫んだ。
「そうだ。相手を侮った敵は同じ手段で反撃しようとする。今だヨーコ!」
「フレイムストーム!」
イフリートの放った炎がすさまじい嵐となり、荒れ狂ってヨーコを包む。
「ヨーコさん!」
「パーフェクトリ・レジストファイア!」
ファブレの心配を余所に、ヨーコは完全防炎の呪文を使って炎の嵐の中を突破し、イフリートに肉薄する。
「なっ!」
イフリートは驚きに目を見開きながらも、とっさに両腕で防御の姿勢を取った。
「はあっ!」
ヨーコの渾身の連撃はイフリートの左手を切り飛ばし、脇腹を半ばまで切り裂いた。
「グアアアアアッ!」
イフリートが叫んで、飛び退る。
ヨーコが油断なくイフリートに剣を向ける。イフリートは腹を抑えてしゃがんだまま、ヨーコを睨み上げる。腕と腹から溶岩の血がとめどなく流れて床を焦がす。
「貴様・・勇者でもないのになぜそれほどまで剣と魔法を使える?」
「それは乙女の秘密だ」
ファブレはいつも真面目なヨーコの口から飛び出した、衝撃的な言葉に仰天した。
ハーフオーガであるヨーコは誰が見ても乙女とは言い難い。
イフリートもあっけに取られ、その後大笑いする。
「グハハハッ! 分かった! 俺の負けだ! グヒヒヒーッ! 乙女!」
傷口を抑えるのも忘れ、笑いながら床をダンダンと右拳で叩いている。
「笑いすぎだ」
ヨーコはふぅと吐息をもらし、剣を収めた。




