195話 女神の頂き2 後編
女神像から目を開けていられないほどの光が溢れ、神殿内を眩しく照らす。
光が収まるとそこには女神が降臨していた。皆一斉に女神に向けて頭を垂れる。
女神がキョロキョロと周りを見渡す。
「あら? ここは女神の頂きですか? 神殿内も女神像も、この前とは大違いですね。それに皆さんのお揃いの出で立ちからも、私に対する敬意を感じますよ。ミリアレフ」
と女神は微笑んだ。今回は機嫌が良いようだ。ミリアレフは安堵した。
「恐れ多い事でございます。以前は・・」
とミリアレフが話し始めたところで、
「めめ、女神様! 枢機卿のヴァローシャと申します。本日は女神様に申し上げたき儀がございます!」
とヴァローシャが会話に割り込んできた。
ミリアレフは飛び上がらんばかりに驚いた。女神と神官長の会話に割り込むなど考えられぬ暴挙だ。
「枢機卿! 控えなさい!」
と叱咤するが、
「ヴァローシャと言いましたか。どうしたのですか?」
機嫌のよい女神はヴァローシャの話を聞くようだ。こうなるとミリアレフも黙ってヴァローシャの言葉を待つしかない。
「申し上げたいのは他でもない、神官長ミリアレフの、あ、悪行のことにございます」
「悪行?」
「はい。ミリアレフは神官長の座についてから、女神様から授かった神聖な癒しの魔法をスクロールとして市井に売りさばいて贅沢に溺れ、また神殿の男子禁制を廃止して秩序を破壊し、精神を高めるために重要な修行を廃止して神官たちを堕落させております。それに神官長の身でありながら王太子と密通を重ねているという噂も・・どうか女神様より厳しい処罰をお与えいただければと」
ヴァローシャが時々声を裏返しながらも、何とか女神にミリアレフの悪行の報告を終え、どうだという表情でミリアレフを見る。エリザベスも顔を伏せたまま笑っている。
だが女神の言葉は二人の期待を裏切った。
「何が悪いのですか?」
「えっ?」
思わず呆けてしまうヴァローシャだが、何とか言葉を絞り出す。
「し、神殿の伝統が・・」
女神は首を振る。
「その伝統とやらは過去の神官たちが決めたルールです。人間の集団生活には人間が作ったルールが必要だろうと口を出さなかっただけで、私が定めた訳ではありません。神官長だから恋愛をしてはいけないという事もありません。ミリアレフ、そういったことを知ってもらうために過去の神官長の日記を読むように伝えたではありませんか」
ミリアレフが頭を下げる。
「申し訳ございません。毎日読み進めてはいるのですが・・何分膨大な量なので読み終わらず、皆に内容を伝えるまでには至っておりません」
女神も壁を埋め尽くす日記を思い浮かべて溜息をつく。
「あの量では無理もありませんね。まだ時間がかかるようなら途中でまとめて、皆に伝えたほうがいいかも知れません」
「そのようにさせて頂きます」
女神がヴァローシャに向き直る。
「枢機卿、他に何かありますか?」
ヴァローシャが必死に食い下がる。
「しかし女神様! 神官長が行ったことは許されざる事ではありませんか!」
女神のこめかみに青筋が浮かんだ。ミリアレフは顔面蒼白になる。
「許されざる? 誰が許さないのですか?」
「枢機卿! やめっ! やめなさい!」
ミリアレフが必死に小声で伝えるが、ヴァローシャの耳には届かなかった。
「我々を始めとする、神聖な伝統を守る者たちです!」
女神が遂に切れた。
「女神である私が問題ないというのに、貴方が許せないから罰しろと言うんですか! ヴァローシャ、貴方は何様のつもりですか?」
「あっ・・」
ヴァローシャも失言に気づくが、もう遅かった。
「猛省が必要ですね」
女神が指を振るとヴァローシャの巨体がフッと消え、神官服だけがバサリと床に落ちる。
そして服が一部持ちあがると、その下からのっそりと一匹のヒキガエルが姿を現した。
「えっ? まさか・・大叔母様・・?」
エリザベスの声に、ヒキガエルがグェーと悲し気な鳴き声を上げる。
「つい怒りに任せてしまったので、いつ元に戻るか私にも分かりません。1年後か、10年後か・・」
神官たちは女神の罰を目の当たりにし、皆動きが固まってしまった。エリザベスは、もしかしたら次は自分ではないかという怖れでガクガクと体が震え出し、涙が止まらない。
「嫌・・いや・・カエルになるのは嫌・・」
ミリアレフが一歩進み出て、深々と頭を下げる。
「このような祝いの式典で女神様に不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません。今回の枢機卿の行いは、全て神官長たる私が至らぬ事が原因です。どうか私にも罰を与え、その分枢機卿の罰を軽減して下さいますようお願いいたします」
「し、神官長様・・」
自分を貶めようとしていた相手のために犠牲になろうというのだ。
エリザベスはその信じられない言葉を聞いて涙で濡れた顔を上げ、ミリアレフを見る。
ミリアレフは毅然と、静かに佇んで女神の沙汰を待っていた。
女神が微笑んだ。
「ミリアレフ。あなたは懸命に神殿を良き方向へ導こうとしていますね。急激な変化は時に歪みや亀裂が生じるもの。その事が罪だとは私は思いません。ですからあなたに罰を与える事はありません。仲間を救おうとするあなたの行動と、これまでのあなたの功績に免じて、ヴァローシャの罪を許しましょう。ですが一週間ほどは反省すべきだと思いますよ」
女神が再度指を振ると、ヴァローシャはヒキガエルからアマガエルに変わった。
ミリアレフが再度深々と頭を下げる。
「女神様の寛大なお心に感謝いたします。エリザベス、しばらく枢機卿の世話を頼みましたよ。餌はアブラムシなどの小さな昆虫を与えて下さい」
「はひっ! ええっ? キャア! 来ないで!」
エリザベスがにじり寄って来たアマガエルに悲鳴を上げた。
帰りの馬車でミリアレフがぐったりと窓枠にもたれる。
「はぁ・・危なかった。寿命が縮まるかと思いました・・」
補佐官が感涙している。
「神官長様、自らを犠牲にしてヴァローシャを救おうとするとは! 私、感激で胸が一杯です!」
双子がキラキラとした目で見上げているのに気づき、ミリアレフが声を掛ける。
「どうしました? エリス、リリス」
「女神様、私たちの仕事の事、言ってた」
「私たち、頑張る」
双子は興奮しているようだ。フンフンと鼻を鳴らし、拳を握り締めている。
ミリアレフが微笑んだ。
「ええ。あなたたちの仕事は、女神様から託されたとても大事な仕事です。これからも期待していますよ。ところで・・」
ミリアレフが小声になる。
「神官長が王太子の・・その・・子を成したとか、それで結婚したという歴史があるか、優先して調べてくれませんか? いえ念のためですよ、念のため」
双子は顔を見合わせ、双子だけにしか聞こえない会話が激しく繰り広げられた。




