183話 女神の頂き 後編
女神像の輪郭がぼやけ、やがてそれが像から分離して女神が顕現した。
ミリアレフは跪いたまま言葉を待つ。が、女神はすぐ言葉を掛けてこない。
ミリアレフがチラリと女神を見上げると、女神は顔をしかめて毛先を指でいじっている。
「・・ここは女神の頂きですか? 酷い有様ですね。神殿内もとても女神を迎られる状態ではないですし、女神像もこんなに痛んでしまっています。ミリアレフ、あなたたちは本当に女神を敬う気があるのですか?」
理不尽な女神の言葉にミリアレフは飛び上がらんばかりだった。神殿の荒廃はミリアレフのせいではなく、むしろミリアレフは苦労して女神の頂きを使えるようにしたのに、女神はそれを労いもしない。非常に機嫌が悪いようだ。
ミリアレフは床に這いつくばって詫びる。
「も、申し訳ございません! これから必ず女神像を修復し、神殿内も女神様を迎えるにふさわしく整えますので・・」
女神が周囲を見渡す。
「それに・・瓦礫を片付けるのにあの元魔王の力を借りたでしょう。まだ魔力が残っています。いくら改心したとはいえ、聖女と元魔王が仲良くするのはいかがなものかと思いますよ。ところであの瓦礫はカエルに似てますね? ミリアレフ、今日はどのような要件で私を呼び出したのですか?」
ミリアレフの背筋を冷や汗が伝い、心臓がバクバクと早鐘を打つ。とても聖女の魔法をスクロールにして売ってもいいですかと聞ける場面ではない。ミリアレフは一か八か、切り札を使う決心をした。
顔を上げ、カラカラに乾いた喉で声を絞り出す。
「め、女神様! その後キョーイチロー様とはお会いになられましたか?」
普通であれば女神の問いに答えず、逆に別の事を聞き返すなど考えられぬ無礼だ。しかしミリアレフの言葉は劇的だった。厳しかった女神の顔が緩み、頬に手を当ててクネクネと体をくねらす。
「そうなのよ! この前一度キョーイチローくんに会いに行ったんだけど、彼ったら無防備にグッスリ寝てて。ずっと寝顔を見ててもよかったけど、でもね、私思いついて夢の中に入って彼とデートしたの! 彼ったらぶっきら棒だけど本当は優しくって・・いい雰囲気になったんだけどあの悪霊が邪魔しに来ちゃって台無しよ。全くもう」
一気にまくし立てたあとで頬を膨らませる。ミリアレフの無礼には気づかなかったようだ。
ミリアレフはこのチャンスを見逃さず畳みかける。彼女とて女社会で成り上がって来たのだ。
「うわあ、キョーイチロー様の寝顔ですか! それに夢の中でのデートなんてとっても素敵で羨ましいです!」
女神が相好を崩す。
「そうでしょう? いつも不機嫌そうなのに寝顔は少年みたいで・・本当に楽しいひと時だったわ」
「しかしあの悪霊はキョーイチロー様が憐れんで手元に置いてるからって、女神様の邪魔をするなんて許せません!」
憤慨するミリアレフに、女神が余裕を取り戻す。
「あなたもあの悪霊に恋路の邪魔をされたんでしたね。まぁ彼女はキョーイチローしか頼る者がいないのです。広い心で許してやりましょう」
「あのような者にお情けを与えられるとは・・女神様の慈悲の深さには本当に感服いたします」
頭を下げたミリアレフに女神が微笑む。
「ところでミリアレフ、本日はどんな要件で私を呼び出したのですか?」
ミリアレフは唾を飲み込む。また機嫌が悪くならないうちに上手く伝えなければならない。
「は、はい! 実は今の神殿の生活に一部不満が出ておりまして・・固いベッドや質素な食事に耐えられないという者がいるのです。それらを改善するために神官の魔法をスクロールにして売ろうという声も上がっております。他にも苦痛を伴う修行の廃止や、神殿の男子禁制の解放を希望する者など・・そのような改革が許されるのか女神様にお伺いをしに来た所存です」
言ってしまった。ミリアレフがまたチラリと女神の様子を見上げる。だが女神は笑っていた
「そのような些細なこと、私に許可を取る必要はありません。神殿でのルールは神殿で、人間が決めてよいのですよ、ミリアレフ」
ミリアレフは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「よ、よろしいのですか? 聖女の魔法をスクロールにして売っても、罰はありませんか?」
女神が頷く。
「もちろん魔王退治のときに魔法が使えないなどとなると問題ですが、余った魔法を売っても何ら問題はありません」
ミリアレフは勇気を振り絞り、もう一歩踏み出す。
「恐れ入りますが私どもにはどこからが人間のルールで、どこからが女神様が定められたルールなのか判別がつかない場合がございます。何か指針のようなものを頂けると大変ありがたいのですが・・」
女神が首を傾げる。
「うーん、ああ。ミリアレフ、あなたは日記を付けていますね?」
「はい」
思わぬ質問に驚くミリアレフ。代々の神官長は日記をつけ、役職が解かれるときにその日記を神殿に保管することになっている。大事な歴史の積み重ねではあるが、引継ぎの時に前任者のものをかいつまんで読むくらいで、遥か昔のものを読む者はほぼ皆無だ。神殿の生活は単調で、およそ9割がどうでもいいことしか書かれていない。
「では過去の神官長の日記を全て読みなさい。そこに書かれている過去の神殿の生活は既に許されてきたことですから」
思わぬ話にまたミリアレフが衝撃を受ける。過去の日記を全て読むなど、どれくらいの時間が必要なのか見当もつかない。だが女神の指示だ。やるしかない。
「畏まりました。女神様のお導きに感謝いたします」
女神が頷く。
「ところで前に会ってからもう2か月くらいたちますが、またキョーイチロー君に会いに行ってもいいわよね? 嫌われたりしないかしら?」
女神がソワソワしている。ミリアレフは内心キョーイチローに詫びながら答える。
「女神様が会いに来て嬉しくない人などおりません。キョーイチロー様は一見ぶっきら棒でそっけない態度を取ると思いますが、照れ隠しでそういう反応をする男の人も多いと聞きます」
女神がパッと明るい笑顔になる。
「そうよね! じゃあ行ってくるわ! あっその前に着替えなきゃ! じゃあねミリアレフ!」
女神の姿はフッと消えてしまった。ミリアレフはバッタリと地面に倒れ込む。
「やった・・やり遂げました、私!」




