149話 女神の罠
その晩、ヤマモトたちがレストランから宿に戻ると、来客が食堂で待っている事を告げられる。
食堂の椅子に力なく座っているのは、洗い古して色の抜けたシャツから覗く焼けた肌、眉間に皺のよった厳つい顔、ボサボサの髪にボサボサのヒゲの男性。海の男というより、もはや海賊といった方がピッタリくる風貌だ。その男がヤマモトを見て椅子から立ち上がる。
「あんたが勇者様だな? 漁師ギルド長のザウェイだ」
「ヤマモトでいい。座ってくれ。海の魔物の話かな?」
「ああ」
皆が席につくが、リンとメイリン、テオドラはザウェイに近寄りがたいのか、遠くの席に座っている。
「俺は市場長みたいに口が上手くないからそこは勘弁してくれ。どこから話せばいい?」
「焦ることはない。思いつくまま話してくれ。分からなければ質問するから」
ザウェイは頷き、グラスの水を呷ったあと、ポツリポツリと語り出す。
「ええと、一ヵ月くらい前からか。急に海の魔物が暴れ、敵対するようになった。以前は網で魚を取っているときも遠巻きに見ているだけだったのに、今は何匹かで槍を持って漁をやめろと威嚇してくる。時には網を切ったり、船に槍を投げつけて邪魔をすることもある」
「ふむ」
「漁を終えて港に戻る船が襲われることもあった。数匹で船を囲んで、捕らえた魚を海に戻すよう脅してくるんだ。やむなく指示に従ったが、儲けはゼロになっちまう。漁に出てた奴は怒り心頭だ。停泊している船に細工をされることもある」
ヤマモトが口を挟む。
「ちょっと待ってくれ。海の魔物は知性があるのか?」
ファブレもそれが引っかかっていた。ヤマモトの指摘が無ければ同じ質問をしていただろう。
「ああ、内陸の人間は知らないか。獣が変化した海の魔物もいるが、今問題になってるのはマーマン、人魚のことだ。奴らは知性や独特の文化がある。仲間内や他の海の魔物と会話ができる。人間と会話はできないから要求は身振り手振りだけどな」
「ほほう。マーマンが暴れ出した理由は分かっているのか?」
ザウェイが頭を抱える。
「それが分からんのだ。河口の工事のために少し海を埋め立てたのに怒ったんだ、なんて言う奴もいるが・・数年前に似たような工事をしたときは何ともなかった」
「人の被害は?」
「海の男も喧嘩っぱやいからな。今日はとうとう我慢の限界になった奴が銛を投げつけ、マーマンと戦闘になり、互いに死者が出ちまった。きっと襲われるだろうから、明日からは漁を控える予定だ」
ヤマモトが眉を寄せる。
「それはマズいな」
「そうなんだ。このままじゃみんな干上がっちまう。退治するにも海は奴らのテリトリーだし数も膨大だ。とても太刀打ちできん。それにマーマンが憎い訳じゃないんだ。ただ前と同じように住み分けをして漁ができればそれでいい」
「なるほど。何か意見や質問のある者は?」
ヤマモトの言葉にファブレが手を上げる。
「マーマンの生態というか、どんな種族なのか教えてもらえますか?」
「ああいいぜ。えーと、奴らは海底に村や街・・のようなものがあって、集団で定住しているみたいだ。正確な場所は分からん。普段は魚や貝などを取って暮らしている。文明度は低く、武器は手製の槍しか見たことがない。普段はのんびりした奴なんだ。たまにマーマンの子供が網にかかることすらある。すぐ海に返しているがな」
「マーマンも魔王軍と同じように、強い者の指示に従うんでしょうか?」
ザウェイが頷く。
「船を襲うのは指示を出している誰かがいるんだろう。だが、今船を襲っているマーマンは軍という感じはしないな。素人の寄せ集めというか・・」
「分かりました。ありがとうございます」
他に質問はなく、ヤマモトが皆を見回す。
「よし、じゃあ問題はマーマンがなぜ暴れ出したのか、何を求めているのかという事だな。分かる者は?」
だがヤマモトの問いに答えられる者はいない。
「はぁ、こんなことならラプターを引きずってでも連れてくればよかったな。王都に聞きに行くにもかなり時間がかかる」
「ヤマモト様、よかったらボクがオウマさんに聞きに行きましょうか? 転移のスクロールを持ってきています」
ファブレの提案にヤマモトが手を叩く。
「おお、奴なら何か知っているかもな。ファブレ、すまないが明日聞きに行ってくれ」
「はい、分かりました」
リチャードは感心しきりだった。ヤマモトやファブレの質問や対応は的確で、何とかしてくれるという安心感がある。普段はあまり意識しないがさすが魔王、大魔王をも倒した勇者とその従者だ。聖女は今はキョロキョロとして何もしていないようだが・・。
やがてザウェイは弱り切った顔で宿を去り、皆は就寝となった。ヤマモトとファブレは同室だ。
「やれやれ、今度は海の魔物とはな」
ヤマモトがボヤいてベッドに倒れ込む。
「しかし凄い偶然ですね。ちょうどマーマンが暴れている最中にヤマモト様が海に来るなんて」
「それだ。私も考えたんだが、偶然じゃないかも知れん」
「ええ? どういう事ですか?」
ファブレが身を起こしてヤマモトに向き直る。ヤマモトは自分のベッドに寝転んだまま呟く。
「私が海に行きたくなったのは海の夢を見たからだ。朝起きたときにすぐに海に行かなければ、という強迫観念のようなものがあった。だからカンディルを急かして最短で出発したんだ」
「夢ですか? 何かのお告げでしょうか・・あっ! もしかして女神様のお告げですか!」
ファブレもハッと気づいた。
「そうだ。おそらく女神が夢の中に出てきて海に行けと言ったんだろう。だがもう夢の内容を覚えていないから絶対にそうとも言えん。今回はしてやられたな」
「そうだったんですね」
おそらく直接ヤマモトに頼むと見返りを要求されるので、女神が夢に出てヤマモトが海に行くように仕向けたのだろう。上手い手段だ。
ファブレは女神から授かったペンダント、女神の魔除けを握ってヤマモト様の夢でお告げをしたんですか? と心の中で尋ねてみる。
何も返事はなかったが、ファブレの脳裏には大魔王討伐を伝えた時の、ガッツポーズをしている女神の姿が浮かんできた。




