143話 大魔王⑤
ファブレにはまだやらねばならないことがあった。龍王を怒らせてブレスを誘うのだ。
だが口先だけで龍王を挑発するなどできそうにないし、そもそも今の龍王に言葉は通じない。
言葉が通じないなら態度で示す、とヤマモトが言っていた。
竜族は自分の肉を食べられるのを嫌うはずだ。それを見た龍王が怒ってブレスを吐いてくるかも知れない。
ファブレは魔力切れで自由の効かない体で床を這いずり、ヤマモトが切り飛ばした尻尾の破片に辿り着く。そして愛用の包丁を取り出した。
龍王はファブレが何をするのかと怪訝そうな顔で見下ろしている。
思った通り、レッドドラゴンと同じく内部の肉には刃が通った。肉を一口大に切り出して口に含む。
龍王はその様子を見て嫌悪の表情を浮かべる。
瀕死の体を引きずってまで肉を食べるとは、なんというあさましい種族だ。
かつて竜の肉を求めた国を滅ぼしたのをもう忘れたのか。怒りが込み上げる。
だが・・彼らにはもう勝つ手段がなく、死を待つだけだ。
死ぬ前にせめて美味い物を、竜の肉を食べたいというのは分からなくもない。
そう考えると少し気分が落ち着いてくる。そして知りたくなってしまった。
ただの竜の肉でも天上の美味と言われるほどだ。龍王たる自分の肉は一体どんな賞賛の言葉を受けるのだろう? 聞いてみたい。
龍王は言語のチャンネルを勇者たちに合わせ、期待を胸にファブレの言葉を待った。
ファブレは肉を噛みしめる。だがその表情は徐々に渋面になっていく。肉は冷えていて、大きな筋が入っておりそこはロウソクのように固く、筋のない部分は粘土のように歯に張り付く。肉から血や水分が溢れるが、エグみがあり刺激臭のする液体を飲み込むのを体が拒否する。ファブレはたまらず肉を床に吐き出して、素直な感想を述べた。
「まずっ」
龍王の体がワナワナと震え、一瞬で全身が真紅に染まった。ファブレに向けて開いた口元に青い炎が灯る。
「ししし死ねええええ!」
「聖域!」
ミリアレフがとっさにファブレに聖域を使おうとするが、ラプターに大回復の魔法を使ったばかりだ。魔力が足りずに発動しない。
「そんな・・!」
スパークが盾を持ってファブレの前に滑り込む。
「耐火!」
ファーリセスがスパークとファブレに向けて耐火の魔法を使う。だが龍王のブレスの前では気休めにもならないだろう。
ヤマモトはギリギリと奥歯が砕けるほど歯を食いしばりながらその状況を見ていた。まだだ。ブレスを吐き出してからでないと避けられる可能性がある。この好機を逃す訳にはいかない。限界まで引き絞った弓のように力を貯めていく。
そしてスパークとファブレに向けて龍王のブレスが放たれた。同時にヤマモトが一本の光の矢と化して龍王の喉元に突進する。
龍王はヤマモトの突進を見て我に返った。しまった。ブレスを使うなといわれたのについ使ってしまった。だが勇者が持っているのはレイピア、刺突剣だ。それに聖剣ではない。それで首を切り落とすことは敵わない。攻撃を受けても問題はない。そう一瞬で判断する。
「くらえ!」
しかしヤマモトが突進しつつ繰り出した渾身の突きは、龍王の逆鱗を殻ごと刺し貫いた。
「ギャアアアア! な、なぜ殻を・・!」
龍王は逆鱗に剣が刺さったまま激しくもがく。振り上げた頭が頭突きのように天井を壊して穴が開き、空が見える。振り回した爪が広間の壁を割る。尻尾が何度も床に激しく叩きつけられ、広間が揺れて瓦礫と埃が舞う。
しかし徐々に龍王の動きは鈍くなり、やがて倒れてビクビクと体を震わせ、動かなくなった。
「あわわわ、龍王様が・・」
妖精はそう呟いてフッと消えてしまった。
「ファブレ! 大丈夫か!」
ヤマモトがブレスの直撃を受けたファブレの元に駆け寄る。
「何とか・・生きてます」
ファブレはミリアレフに支えられ、回復魔法を受けていた。ヤマモトは安堵の溜息を漏らす。
「ふぅよかった。スパークも無事か。どうして耐えられたんだ?」
「これのおかげさ。レッドドラゴンで懲りたから完全耐火の魔法を封じておいた。ブレスも3度目で大分威力が下がっていたしな。あーあ、短剣も竜鱗も無くしちまったぜ」
スパークがもう紐しか残っていない竜鱗のタリスマンを見せた。
倒れて動かなくなった龍王は徐々に体が光の粒子に変わり、宙に溶けていく。
残ったのは逆鱗と殻を貫いたままのレイピアと、聖剣だけだった。
「スパーク、代わりにこれをやろう」
ヤマモトが聖剣を鞘に戻し、レイピアから抜いた龍王の逆鱗と殻をスパークに投げ渡す。
「おっ、やったぜ! って穴が開いてるじゃねーか!」
「文句を言うな」
皆笑っていた。ようやく龍王、大魔王を倒せたのだ。ヤマモトたちは疲労に任せるままに床に座り込んだ。ヤマモトがレイピアをしげしげと眺める。
「しかし大魔王の繭の殻ごと貫くレイピアとはな・・よくこんな聖剣を超える武器を召喚できたものだ」
「ほとんどラプターさんが考えてくれました。かなり無理をしたみたいで、無限召喚の指輪が壊れちゃいましたけど」
「そうか・・ラプターは?」
ミリアレフが首を振る。
「残念ながら助けられませんでした。ですが・・蘇生の奇跡を使おうと思います。勇者様の万が一のためにとっておきましたが、もう大魔王は倒せましたし」
「いいのか? 蘇生は神官長が生涯に一度しか使えないんだろう?」
ヤマモトの問いにミリアレフが迷いなく頷く。
「構いません。ラプターさんがいなければ大魔王には勝てなかったでしょうから」
既にラプターの体を貫いた楔は消えている。穴だらけのラプターの体の前でミリアレフがそっと跪き、両手を組んで祈りを捧げる。ファーリセスが心配そうにそれを見下ろす。
「慈悲深き女神フレイヤよ。貴方の敬虔たるしもべ、神官長ミリアレフが願い奉ります。どうかこの者に再び命の火を灯す奇跡をお与え下さい。"蘇生"」
崩れた天井から光が差し込み、ラプターの体を照らす。やがてラプターの瞼がピクリと動き、ガバッと体を起こすと激しくむせながら、涙目で喉にたまった血を吐き出し、口元の固まった血を腕で拭きとる。
「ペッペッ・・はぁ完全に死んだかと思った。よく助かったものだ」
「いや死んでたぞ」
ヤマモトがそっけなく告げる。さすがにラプターも顔色を変える。
「ええっ?」
ラプターは自分の体や回りを見渡す。体の穴は全てふさがったが、切り裂かれた服、全身を染めた血や床の血だまりはそのままだ。
「そうか、蘇生を使ったのか。すまないな。龍王は・・倒せたんだな。しかし、なんで僕に蘇生の魔法を使うところを見せてくれなかったんだ? とても貴重な機会だったのに」
「死んでたのに見れる訳ないでしょ! 生き返ってよかった!」
ファーリセスが泣きながらラプターに飛びついた。困惑顔ながらもファーリセスの頭を撫でるラプター。
「心配をかけたかな。すまなかった」
ファーリセスが落ち着いたところでラプターが立ち上がり、広間の様子を見渡す。
「龍王の死体も消えてしまったのか。残念だ。しかし通説を覆す画期的な発見がいくつもあったぞ。どこから研究の手を付けていいか分からないほどだ。ほほう、それが大魔王の繭を貫ける武器だな? ちょっと貸してくれ」
ラプターはヤマモトからレイピアを受け取ると、レイピアの先端で手持ちの殻をひっかいている。
「研究バカ」
「やれやれ、生き返ったばかりなのに正常運転だな」
そこへ階下から仲間たちが登って来た。
「勇者様、急に敵が消えたのでもしやと思いましたが、大魔王を倒せたんですね!」
「ああ、君たちの協力のおかげだ。大魔王は倒した。我々の勝利だ」
ヤマモトの言葉に皆がワッと喝采を上げる。




