105話 ラーメン魔王亭
ファブレはスパークのパン屋の商品開発、他の仲間やミハエル、ハウザーなどからの料理の依頼、料理人ギルドの手伝いなどをして過ごし、3か月が経過した。
毎日の剣術の稽古も欠かさない。
だが家の衛兵と何度か模擬戦をしても、ファブレは全く歯が立たなかった。
ある日、魔王からの手紙がファブレの家に届いた。
同封のスクロールを床に置き、その上に立って欲しいと書かれている。
ファブレが怪訝な顔をしてその通りにすると、スクロールに魔法陣が浮かび上がり、
ファブレは一瞬にして魔王とルリの前に飛ばされた。
「えっ、えっ?」
唖然とするファブレ。
「ククク師匠、久しいな」
「ファブレ君、久しぶり!」
魔王の笑みは相変わらず邪悪さが残る。ルリはすっかり元気になったようだ。ベッドではなく椅子に座っている。
体つきもふっくらとし、心なしかヤマモトの面影が見える。
「もしかしてボクが召喚されたんですか? 魔王様、ルリさん久しぶりです。ルリさんはすっかり元気になられたようですね」
「うん、もう大丈夫!」
「まぁ立ち話もなんだ。掛けるがよい」
「はい」
おそらくルリが望んだ家なのだろう。テーブル横の窓からは湖が見える。外から日差しが差し込み、鳥の声が聞こえる。
室内はほどよい広さで白系統の家具で統一されており、掃除が行き届いている。
「いいところですね」
「でしょう?」
ルリが紅茶を入れてくれる。
「ありがとうございます」
魔王が紅茶を一口飲み、カップを置く。
「実は師匠に伝えておきたいことと、聞きたいことがあったのでな。わざわざ来てもらった」
「その師匠というのはむず痒いんですが・・どんなことでしょう?」
「うむ。まず伝えておきたいことだが・・魔王城に得体の知れない物がいる」
「えっ?」
「手紙を出す前・・人間の時間で一か月ほど前か。魔王城に様子を見に行ったときに、玉座に鼓動する繭のようなものがあったのだ」
「鼓動する繭・・ですか」
「虫系の魔物の幼生体のようなものだ。大きさは人の頭ほどか。我も不快だったので処分しようとしたが、その繭には魔法が通じなかったのだ」
「えっ? 魔王様の魔法がですか?」
「ああ。分解魔法以外にも火炎や魔法の矢など全て、魔法そのものを受け付けない感じだ。剣を振るってみたがそれも弾かれる」
「ええっ? 何なんですかそれは」
「元魔王たる我にもそれが何なのか分からない。もしかしたら人間の知識や記録で何か分かるかも知れないと思ってな。師匠に伝えようと考えたわけだ」
「そうでしたか。ありがとうございます。戻ったら詳しそうな人に聞いてみたいと思います」
魔王が頷く。
「うむ、頼んだぞ。では師匠に聞きたいことの方だが・・」
魔王がチラリとルリを見る。
「なんでしょう?」
「ルリが食べたい物の中で、君のレシピにも無いものがあってな。ラーメンというものだ」
「ラーメンですか。ヤマモト様から話に聞いたことはあるんですが、希望されて作ったことはないんです」
確かヤマモトはラーメンには手を出すなと言っていたような気がする。理由は忘れてしまったが。
「ラーメンはカレーと同じくらい人気のメニューだよ! 私は好きだけどお姉ちゃんはあんまり好きじゃなかったみたい」
「あまり知らないので、どんな物かできるだけ詳しく教えて頂けますか?」
ルリがテーブルに体を乗り出す。
「うん! ラーメンはね・・うどんと同じく熱いスープに麺が入って具が乗ったものだけど、麺もスープも具もうどんとは違うの。まず麺はもっと細くて黄味がかってて縮れてる。スープは鶏ガラと煮干しや野菜で取ったダシで醤油ダレを割って脂を浮かせる。他にも塩味や味噌味やトンコツ味、辛味なんかもあるけど、私が食べたいのは醤油味。具はチャーシュー、豚肉の煮込みを厚切りにしたものとメンマ・・タケノコの穂先と海苔と半熟卵がいいな。あとネギも」
ルリのリクエストは遠慮がない。ファブレは考え込む。
「これは・・難しいですね」
「我も何度か試作したが、ルリの満足するものはできなかったのだ。師匠に頼ろうと思ってな」
「二人なら出来ると思いますよ。色々試してみましょう」
ファブレは無限召喚の指輪をつけ、魔王とともにラーメンの試作に入る。
時折ルリに味を見てもらう。
「麺はもっと固めで、カンスイっていうちょっと癖のある風味がするの。スープももっと濃いめで。ラーメンはジャンクさが無いとね」
「こんな感じでしょうか?」
「違う! ラーメン道は険しいんだよ」
数時間試作を繰り返し、何とかルリの眼鏡に叶うものが出来あがった。
「うん! これならラーメンって言える!」
ルリは笑顔でラーメンを食べている。
「ククク、成し遂げたぞ。我ら師弟に不可能はない」
魔王もご満悦だ。
ファブレは味見を繰り返して舌がおかしくなってしまい、完成品を食べる気力もない。
「しかしこれ以外にも塩味や味噌味なんかもあるんですよね? 味によって麺や具も違うと聞きましたが、それが全部ラーメンなんですか?」
ルリが丼から顔を上げる。
「そう! ラーメンは無限なの! 例えばスープが無かったり冷たかったり、誰がどう見てもうどんでも、作った人がラーメンといえばそれはラーメンなんだよ」
「ええ?」
ファブレには理解できない。ラーメンの定義は余りにも広すぎる。
「ヤマモト様が手を出すなと言っていた理由が分かりました」
「まるで魔法の探求のように奥が深いメニューなのだな」
その後は互いの近況、新しく開発したレシピなどを伝え合う。
ファブレは思い切って気になることを聞いてみる。
「魔王様、失礼かも知れませんが角が縮んだように見えますが・・それに額の眼も」
以前はユニコーンの角ほどもあったものが、今はゴブリンの角程度に見える。
額にあった目も今日はずっと閉じられている。ただの傷跡に見えなくもない。
「我は魔王の力を失いつつある。角も額の目もそのうち無くなってしまうだろう」
「魔法が使えなくなってしまうんですか?」
「いや。魔法は使える。魔王の力というのは、いわゆる本当の正体という奴だ」
そういえばファブレが知る歴代の魔王は多頭の大蛇だったり、いくつもの心臓がある合成獣だったりした。今の魔王は仮の姿なのだろう。
「角がもっと小さくなったら街でデートしようよ! 楽しみ!」
ルリは呑気だった。
やがて話すことも無くなり、ファブレは召喚のスクロールを大量に持たされて帰還することになった。
「では何か分かったら教えてくれ」
「分かりました。魔王様もルリさんもお元気で」
「ファブレ君、またね!」
魔王が指を一振りすると、ファブレはもう自宅のリビングに戻っている。凄まじい魔法だ。
その魔王の魔法が通じない、得体の知れない物・・。
ファブレが考え込んでも正体は分からない。
もうすぐ日が暮れる。魔法研究所へ行くには遅いが、ハウザーなら大丈夫だろう。
ファブレはそう判断してすぐ冒険者ギルドへ向かった。




