第百三十話 闇の中
悠久の闇の中を浮かんでいた。
瞼を開いている感覚はあるけど、瞼の裏を見ていると錯覚するぐらい真っ暗だ。
死ぬ……ってのはこういう感覚なのかな?
ずっと闇の中をぷかぷか浮かんで、終わりの無い旅を続けるのか。
勘弁願いたい。
多くは望まないから手元を照らすだけの灯りと、本を何冊か置いてほしい。
できることなら日替わりで本は変えてほしい。
あとはそうだな……腹は減らないようだから飯は要らないとして、少し肌寒いから毛布は欲しいな。
「起きなさい」
若めの、男の声が聞こえた。
よかった、ここにも話し相手ぐらいは居るようだ。
「まだ、君の物語は終わっていない」
あれ、聞いたことの無い声だと思ってたけど、
どこかでオレはこの声を、聞いたことがあるかもしれない。
「君にはまだ、未練があるのだろう?」
やるべきこと……?
そうだ、まずノヴァを奴らの手から助けないと。
シュラ、アシュ、レイラ、ソナタ……アイツらに騎士団の現状を教えないと駄目だ。凰帝がアイツらになにをするかわからない。
オレが、動かないと駄目だ。
「起きなさい。シール……」
金色の光が彼方の先で生まれ、瞬く間にオレを包み込んだ――
---
ひんやりとした感触が後頭部に当たっていた。
手首が重い……腹筋で体を起こし、首を左右に振る。
左手側には鉄格子。ただの鉄格子ではなく、赤の光のラインが走っている。
右手側は壁。鉄の壁だ。
正面も壁だが天井から鉄製の太い管が伸びている。管の先には紙に包まれたなにかが落ちている。管を通して落とされたのか? 包みの間から小麦粉が焼けた色が見えた。紙に包まれているのはパンか。
背中の方にも鉄の壁。
ベッドはないけど布団とトイレはある。
重い手首に視線を落とすと案の定というか、手錠が着けられていた。
手錠には青の錬魔石と緑の錬魔石が付いている。
――牢屋か。
服はオレの物じゃなく、上下白の囚人服。当然、札も筆もない。
「まったく、牢屋には縁のあること……」
前に連れられた牢屋と明らかに違う。全方位、堅い素材で固められている。
部屋は暗く、牢屋を出て左から差し込む明かりが無いとなにも見えない。オレの居る牢屋は一番奥なのか、牢屋を出て右側は壁だ。
セキュリティ:★★★★☆
部屋の快適さ:★☆☆☆☆
食事:★☆☆☆☆
平均点2.0
下の上ってとこかな。
って、牢屋の査定してる場合かよ。
さて、どう逃げるか。
「ふんっ!」
赤魔を纏おうと力を込める。
「いぎっ!?」
稲妻が全身を縛り付けた。
稲妻の発生源は手元の手錠だ。錬魔石がオレの魔力に反応して、勝手にオレの緑魔を使って雷を発生させてやがる。
青魔の錬魔石はセンサー代わりか。青の錬魔石でオレが魔力を使ったことを察知し抑制、その状態で緑魔を変換して稲妻に変え、体を縛る。ちょっと魔力を込めるだけで稲妻に全身の力を抜かれる……。
無理やり魔力を込め続ければいずれ心臓が焼ききれそうだ。
魔力を縛る手錠。さすがに、甘くはないな。
「来客か……」
足音が近づいてくる。
光の方から、人影が見えた。
「調子はどうだ? 雑魚術師」
――凰帝。
恰好はオレと戦った時のあの白肌の状態ではなく、マッシュルームヘアーの騎士団長ギルバートとしての姿だ。
「ここは騎士団地下牢獄、〈ヴァルハラ〉。
定員六名のVIPな牢獄だ」
「……いいのかよ、テメェら再生者の天敵であるオレを生かして」
「天敵? 確かに封印術師は天敵だが、お前など……到底奴らと同格ではない。
お前は殺すより、生かす方がうまい」
奴は膝に手をつき、上半身を倒す。
「お前には聞きたいことが多々ある。尋問の手筈が整い次第お前の記憶を探らせてもらう。
お前を利用して封印術の研究も行うつもりだ。そして最後には――奴をおびき出すための餌になってもらう」
「奴?」
「アドルフォス=イーターだ。
完璧に準備を整え、お前を餌に呼び出し、罠に嵌めて、殺す」
余程アドルフォスを警戒しているみたいだな。
コイツでもアドルフォスとは正面から当たりたくないのか?
「だがな、もしもお前が一流の封印術師なら私はどれだけ利点があってもお前を殺しただろう」
「……。」
「もしもお前が、アイン=フライハイトやサーウルス=ロッソ、他の歴代封印術師と同じ力を持っていたら私はお前を殺している。
いいか、よく聞け雑魚術師。
グレンの言葉を借りるならば……お前はレアなんだよ。
封印術師は例外なく、強く、聡く、厄介だった。ゆえに封印術の研究に奴らを用いるのは危険だった。だがお前は違う。お前は封印術を使えるのに弱い。本当に珍しい存在だ。誇っていい……」
あからさまな挑発。
腹の底からぶちぎれたかった。
でもここで怒りのまま暴言を吐けば奴はさらに調子づくだろう。我慢だ。
奴は膝立ちするオレに視線の高さを合わせ、口元を限界まで鉄格子に近づける。
囁くように、こもった声で奴は言葉を発する。
「ざ~こ、ザコザコ。
お前など殺す価値ないということだ」
「――」
息を止めた。
息を止めて、心臓の動きを抑制して、無理やり血の動きを滞らせる。
体を苦しめて、無理やり冷静を保つ。
「何の用でここに来た?」
怒りをなんとか抑え、オレは問う。
「半分は忠告だ。
一旦はお前を生かすことにしたが、
もしお前が脱獄を謀る動きをした場合、迷いなく殺す。
脱獄の成功・失敗は関係ない。その意思が見えた時点で殺す」
「もう半分はなんだ?」
「煽りに来ただけだ。騎士団長という役職は結構暇でね」
オレの額に、血液が集まった
「――テメェが再生者でよかった。
何度だってぶち殺せるからな……!」
歯を食いしばり、顔に血管を浮かべる。
「良い顔だ。それが見たかった」
凰帝は去ろうとして、ふと、足を止めた。
「封印術師、私に好意的に協力する気はないか?」
「ねぇよ」
「お前には戻りたい過去はないか?
女神ロンドは輪廻を司る神だ。
ロンドに会い、嘆願すれば……望む時間、望む世界に転生・転移できる。
私に協力するのならば――」
「興味ねぇ」
「信じていない、というわけか。
人間とは後悔する生物だろう? お前にだって消したい過去ややり直したい過去があるはずだ。
女神ロンドに頼めば、まったく苦労のない幸せな世界に行くこともできる」
「お前の話が本当でも乗る気はねぇよ!
後悔の無い人生ってわけじゃねぇけど、
オレにだってこれまで必死に生きてきた誇りがある。
この世界、この時間から逃げるのは今まで生きてきたオレ自身への侮辱だ。
今までオレに色んなモンを教えてくれた人たちへの侮辱だ!
テメェには一生わからねぇことだと思うけどな!!」
「ああ、わからんな」
「鬱陶しいから消えろ、キノコ野郎が……!」
「つくづく、癪に障る男だ……」
凰帝は光の方へ姿を消した。