魔力の発動
私は驚いて顔を上げ、声のした方を見た。勉強机の椅子にまたがるように座っている人物がいた。年齢は私とあまり変わらないように見える。プラチナブロンドの短い髪がまるで淡く光り、瞳は虹色のグラデーションだ。
「誰!?」
「まぁ落ち着け」
「落ち着ける訳ないじゃない!誰なの!?」
「落ち着け、と、そう言っている」
彼がそう言うや否や、恐怖が和らぐ。私の中で、この見知らぬ侵入者への警戒心が鋭く尖っていたはずなのに、その切先を丸くしていくのを感じた。大声を出して階下の両親を呼ぼうとしていたのが嘘みたいだ。
(何これ……言われた通りになるなんて、もしかして魔術?)
「私は、ヴェルトラウム。君はマチルダだね」
この侵入者は名前も知っているらしい。
「私になんの用?」
「君のその渦巻く膨大な魔力を引き取ってやろう、と思ってね」
魔力? 魔術士でもない私が魔力を持っている訳がない。
この世界では、魔力は魔術士のみが持つものと理解されている。魔術を発動させることができる人間はとても珍しい。町で10年に1人出るか、出ないか。
魔術を発動させた者は、瞳にその証が現れる。元の瞳の色がゆらぎ、魔力の色が見え隠れする。その『瞳のゆらぎ』を持つ者は発動者と呼ばれ、王家預かりの身となる。家族と別れ、王都にある魔術学院で3年間学び、卒業後には、魔術士として王家に仕える。
発動者を輩出した家は、働き手を王家に差し出す替わりに、相応の対価を王家から受け取ることになる。
「魔力って、私は魔術士でもなければ、発動者でもない。魔力がある訳ないわ」
「……君は魔術について何も知らない」
ヴェルトラウムは続けた。
「君のいる世界で魔力と呼ばれているものは、実は感情のエネルギーのことだ。感情エネルギーと魔力はイコールと考えていい。感情エネルギーをただ垂れ流すか、それともコントロールし、目的、意思を持って放出するか。ほとんどの人間が前者だ。後者が魔術士と呼ばれている」
「ちょっと待って……じゃあ誰でも魔術士になれるってこと?」
「理論的にはそうだ。だが、魔術を操るには膨大な魔力が必要だ。魔力量の豊富な者だけが、瞳にその証が現れる。お前たちの国では『瞳のゆらぎ』と、呼ばれているのだろう?そして…マチルダ。君の魔力量は、桁違いだ」
「ちょっと待って……。あなたの話を信じるなら、私は魔力量が多いのよね? なのになぜ、私は発動者じゃないの? 瞳のゆらぎはないわ!」
「まぁ、それはバグみたいなものだろう」
「バグ……!?」
自分の存在がバグだと言われ、少し落ち込む。
「そのバグを修正するために私が来た。おまえは発動者になった方がいい」
「え! 私バグなのに、発動者になれるの?」
「私なら出来る」
自分でバグと認める発言をしてしまった…。まぁそれは置いといて。
本当は平民学校を卒業したら進学したかった。一度は都会へ出て、世の中のことを広く知りたい。でも経済的理由でその希望を口にすることは出来なかった。私が進学を選べば、弟妹が学校に通えなくなる。結婚して、親の近くで助け合いながら暮らす。それが現実的だった。
(発動者になれれば、お金のことを気にせずにまだ見ぬ世界に飛び込めるのに……)
何度そう願ったことだろう。その願いが叶うかもしれない?
「魔力量が多い者が、発動せずに暮らすと危険だ。魔力が暴走したときに、周囲に与える影響が大きすぎる。魔力に当てられて、弱いものから倒れていくだろう。植物も、動物も、人間もな。私が抑えているが、君は今、魔力を暴走させかけている」
「え……?」
「自分の中に渦を感じるだろう?下向きの感情がごちゃ混ぜになった、竜巻のような渦だ」
確かに、自分の内側に感情の竜巻がある。これが、魔力!激しい流れで、今にも暴れ出しそうに、溢れ出しそうになっている。
「今日のところは、その暴れている魔力を私が引き取ってやる。マチルダ、魔力を発動せよ。魔術士になれ。魔力の暴走の度に助けに来る訳にもいかんからな」
念願の発動者ーー家族になかなか会えなくなることが頭をよぎるが、私は決断した。
「魔力を発動させてください」
「いい判断だ」
「一つ質問が。魔力を引き取ってもらえるということだけど、引き取ってもらっても、ショックを受けた出来事を思い出してまた感情が荒ぶるのでは? それとも記憶喪失にでもなる?」
「記憶喪失にはならない。思い出しても、ただの事実として思い出すだけだ。」
よく分からないが……やってみれば分かるとヴェルトラウムは言う。今は、ヴェルトラウムを信じるしかないか。私は、魔力を渡すことを了承した。
「同意は得た。では始める」
ヴェルトラウムは椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛けている私の前に立つと、私の額に手を触れた。暖かいなと感じると同時に、ずっと締め付けられていた胸の痛みが取れ、知らずに食いしばっていた歯もゆるみ、ほどけていく。軽やかな心地に浸る。
「こんなものでいいだろう。しかし、大した魔力量だ」
もう終わったのか。案外あっけなかった。
「感情のエネルギーを、魔力を引き取ってもらった実感は…あるわ。心、そして体も楽になった」
「そうだろうな。では、『ただの事実して思い出す』そのことは分かったか?」
ヴェルトラウムに言われて、ライルのことを思い出してみる。ライルの卒業式から士官学校へ出発までの恋人して過ごした数日間、初めてライルからもらった手紙、会えない日々と手紙が止まってしまった半年間、そして「興味はない」と言い放たれた今日のこと。
全て思い出せる。幸せだったこと、不安だったこと、そして…竜巻のような下向きの感情。全てを思い出せる。しかし、それだけだ。
「…分かります。どんなことがあったかも、それに対してどんな風に感じたかも思い出せるけど…。それだけです。俯瞰して見ているような感覚です」
「慣れてくれば、どんな出来事にも、それに乗せる感情を選べるようになる」
「感情を選べる??どういう意味?」
「君は、知らない知識に出会ったときの驚いた顔が良いな。もっと教えたくなってしまう」
ヴェルトラウムはクスクスと笑う。
「だが、もう私は去ろう。ここで私がいろいろ喋りすぎるのも面白くないだろう。」
誰にとって面白くないのだろうと考える間もなく、ヴェルトラウムは消えていた。
私は手鏡を取り出し、瞳を確認する。黒い瞳がゆらぎ、魔力の色がチラリと覗く。ヴェルトラウムの瞳と同じ虹色が垣間見えた。
瞳のゆらぎーー発動者の証を確認すると、私は階下へ降りていった。
さあ。これから忙しくなる。