剣聖
円形の闘技場を囲む観客の怒号のような声援が、まるで別世界のように遠くに感じられる。
アレスはこれほどの苦境に立ったことが無かった。
彼の前世は「剣聖」
その記憶と能力を引き継いで転生して、十六年。
これまでの十六年、そりゃあちやほやされた。
両親も、幼なじみ達も、アレスが剣を振るのを見れば「すごいすごい」と褒め称えた。
その上アレスは、今回の人生で魔法まで極めていた。
そんな中、たまたま立ち寄った街で行われた剣術大会に、幼なじみの女の子に乗せられて「ヤレヤレ」とか言いながら参加したのだが……
順調に勝ち進んだ決勝戦。
ノーマークだったはずの目の前の男は、アレスをまるで子供のようにあしらってきた。
ヨモギーダ=モブーン。
正直最初は「ぷっ。変な名前」くらいの印象しかなかった。
実際、幼なじみと一緒に笑った。
しかし実際に交えた彼の剣は、前回、今回含めた人生においても別格だった。
「はあ、はあ、はあっ……」
猛攻を何とか捌いたものの、このように、息を乱す事さえ今まで無かった。
しかも、ヨモギーダはまだまだ本気を出しているようには見えなかった。
だって、アレスの猛攻を捌きながら、鼻をちょいちょいほじっていたのだ。
「もう、諦めて降参したらどうだ? 俺は弱いものイジメは嫌いでな」
ピンっと鼻から取り出したものを弾きながら挑発的に行われる降伏勧告も、既に三回目。
アレスはヨモギーダを睨めつけながら、首を横に振り、自身の愛刀である聖刀「垂薙禰」を鞘に収めた。
アレスのプライドは、既に崩壊寸前だった。
伝説の名刀を腰に佩いている己とは違い、ヨモギーダの刀は、なんと木刀。
恐ろしい技量の差。
……だか。
アレスには、奥の手がある。
『次元斬』
前世で、魔王に異次元空間に閉じ込められた時に発現した、全てを切り裂く太刀。
居合いの型から神速での抜刀が可能にする、不可避の攻撃。
欠点は、観客が多数いるこの場で、次元を斬ればどうなるかわからないというただ一点。
アレスが逡巡していると……
「アレス! 負けないで!」
幼なじみの少女レナの声が、アレスの耳に届いた。
その声に背中を押されるように、アレスが剣気を聖刀に込めた。
……しかし。
次元斬を発動するまさにその瞬間、アレスの背中を冷たいものが伝わった。
今まで鼻をほじりながらも、恐ろしいほど静かに対峙していたヨモギーダが、『殺気』を発したのだ。
「おいおい、こんなとこで……良いのか? そんな技を出してしまって?」
アレスはヨモギーダの発言をはったりと判断した。
次元斬を歴史上発動したのは、アレスしかいないはず。
つまりこれまで以上に『剣気』を込めたアレスに、なにかしらの技を使うのだろうと適当にあたりをつけてきたのだろう。
「そうやって余裕かましてろ! いくぞ!」
アレスが抜刀した。
──瞬間。
アレスの右手は、聖刀を握ったまま、宙を舞った。
アレスは呆然と、手首から先を失った自分の右手を見つめていた。
「ったく、わざわざ鞘にしまわないと使えないような欠陥品の『次元斬』、俺に通ずるわけがないだろう」
ヨモギーダの呟きを聞くとも聞かぬともしながら、アレスは震える声で呟いた。
「ばかな……『剣聖』の僕が……」
激しい出血に意識を朦朧とさせながらアレスは倒れていく。
倒れながら、アレスはヨモギーダの呟きを耳にした。
「『剣聖』なら、悪いけど俺も既に経験済みだ。前前前世でな」