嵐に舞う (15)
炎が燃え盛っている。
碁盤上に整備された京の都が炎に包まれている。
応仁の乱の発端ともいえる、上御霊神社での戦いの火ぶたが今まさに切って落とされたところである。貴族たちは早くも疎開の準備をはじめ、野望に燃える武士たちは反対に京へと集まりつつあった。
不吉な予感に怯える町で、苦悶に満ちたうめき声が聞こえてくる。生身の人間には耳にすることさえ耐えがたい、そんな苦しげな声だ。
声の主はあまりの苦痛にこらえきれず、地面に手を突いた。息ひとつ吸えないほどに激しく咳きこむ音がする。
ひゅうひゅうと笛のような音を立てて煙る空気を吸い、吐いているのは、例の美青年である。
目を血走らせて、口の端からよだれすら垂らした姿は、元が女性にも見まがうばかりの美青年であるだけに、一層凄惨さを増している。
丸まった細い背中の後ろに、ひとつの影が立った。
「……熱した鉄球を飲み込んでいらっしゃるのですか」
「ネコか」
目の端に浮き出た涙をぬぐい、美青年はネコと呼んだ女性――シロに目をやった。
「左様にございます。猫又のシロ、ただいま御前に参りました」
丁寧すぎるきらいはあるものの、深々とお辞儀をしたシロを美青年は一瞥し、きゅっと唇を吊り上げた。炎に赤く燃える都。その中で向かい合う美青年と美女は、一葉の絵のようだった。
だが、もちろんそれは単なる恋絵巻ではなく、禍々しささえも思わせる絵だ。
「日ごと、赤く焼かれた鉄球を飲み込む。天狗道というものは、因果にゃものですにゃあ」
それは人ならぬ道に堕ちたものへと課せられる罰だった。
たとえ、人をはるかに超越した力を持っていたとしても、耐え難い責め苦であり、この時ばかりは天狗たちの神通力も効力を発揮できない。
決まった時刻に繰り返されるその苦役をシロは知っていた。
でなければ、シロは美青年に近づくことさえもできなかっただろう。
「ふん……猫又がそれをいうか」
「貴方様の因果に比べたら、あたしにゃんて軽いものですにゃ。日々を面白おかしく過ごせればそれだけで十分ですにゃ」
美青年は口元をゆがめて笑みを見せた。
「そうだな。天狗道は因果な世界だ。人を憎み、恨みぬいた果ての人間が行きつく先だから、地獄と大差ないのかもしれない。だがな、見てみろネコ? ここは地獄だ、天狗道よりもずっとずっと」
花の都を血と炎で赤く染める応仁の乱はまだ前哨戦を迎えたばかり――とはいえ、これから始まるおぞましい戦いの気配はすでに色濃く漂っていた。
シロは鼻を軽くうごめかして、血の匂いを嗅ぐ。
「これが貴方様の望んだ景色ですか? 讃岐の地で天狗道に堕ちた貴方様の」
「完全とは言えないけどな」
言いながら、美青年はふと目を細めた。
シロの陰から、薄汚れた尻尾が力なく揺れている。これまで用心深く正体を隠し続けてきたシロだったが、今となってはもうその気もないらしい。
「ネコ、お前の尻尾はどうした? 化け猫が化け猫であるための尻尾は?」
なるほど、シロの臀部から垂れ下がる尻尾は一本だけだった。シロが生まれながらにして持っている、シロとともに順当に年を取った、ただ一本の薄汚れた尻尾だけだ。
シロが猫又になったときに手に入れた、純白の尻尾はどこにも見当たらない。
美青年の問いにシロは答えず、ただ、艶やかに笑って見せた。
再びシロの顔に視線を戻した美青年の表情は、忍者たちに見せた悪意と呪詛だけを宿したものとは打って変わり、奇妙なまでに慈愛に満ちたそれだ。
「お前は何のためにここに来た? 私から逃げようとは思わなかったのか?」
「逃げられるにゃんて、想像もできませんにゃ」
いずれも人外の力を持っているとはいえ、ただの猫又と国中の天狗を統べる大天狗とでは、勝敗の行方など考えるまでもない。
開き直りともとれるシロの態度だった。
「あたしはただ、冥途の土産を賜りたくて」
「なんだ?」
「彼らは無駄死にだったんですかにゃ?」
ああ、と美青年はうっすらと笑う。シロが指しているのが、命を捧げるためだけに任務へと身を投じた四人の忍者であるということは考えるまでもなくわかった。
美青年が笑みを浮かべたのは、猫又のシロが四人の忍者たちに愛着を抱いているという不思議に対してだ。
「彼らの目的は一族の繁栄だろう? あんな能力、戦乱の世でないとまったくの役立たずさ」
甲賀の里の忍者たちは戦うことにあまりに特化しすぎた。太平の世の中で、人を殺すための力が必要とされないのは自明である。
その点、甲賀の長は確かに先見の明があった、と美青年は思う。
彼は自分たちが、戦いの中でなければ存在意義を見出せない種別だということを理解していた。だからこそ、隠里で育てぬいた精鋭たちを犠牲に捧げてまでも、美青年の誘惑に乗ったのだ。自分自身の娘でさえも、彼は生贄の祭壇に上げた。
冷血と誹られても仕方のない行為。だが、美青年はその冷淡ささえも好んだ。
だからこそ、力を与えたのである。
「私は、彼の貪欲なまでの名誉への渇望を愛した。彼にとって、一族の存亡は自分自身の命よりもはるかに重要な事柄だったんだ」
「……それにしては選んだ命は若すぎましたにゃ」
「そうだな、ネコ。君の同情を買うくらいには若くて、純粋だったな」
美青年は優し気に目を細めた。
「君は後悔してないか? 一時の感情にとらわれて、人間に力を貸してしまったことに対する後悔はないか?」
「ええ」
美青年の穏やかな微笑にシロもゆっくりと微笑む。
「不思議と後悔はにゃいですね」
唇を吊り上げたシロの首がずれた。
白く細い首が音もなくシロの豊満な体から離れた
笑顔を浮かべたままのシロの首が地面に落ちると同時に、その切断面から血が噴き出す。さほど勢いはなく、死にゆく者が間際に流す血潮のようだった。
「ははっ」
ゆっくりと倒れるシロの体を横目に、美青年はやけになったような笑い声をあげた。
呪いは半ば成就した。
彼が憎んで、呪ってやまなかった都は今まさに荒廃の一途を遂げようとしている。すべては彼が望んだことだ。九割方は彼の思う通りに進んだ。
「燃えろ燃えろ、燃えてしまえ。何もかも、一切合切をだ」
小さく呪詛の言葉を吐いて、それから美青年はうつむいた。
にんまりと笑ったままこと切れたシロの表情。
己の任務を果たしたことに、満足の笑みを浮かべる優し気な顔の少年。
守るべきものを守れたことに、自負の感情を隠さない青年。
自分自身の能力を思う存分発揮したことへの、充足感をあらわにした少女。
皆、悔いはないと言いたげに笑みを浮かべて死出の旅に出た。
シロ以外の三人は、苦痛にまみれた命をささげたはずなのに。
「ネコ……お前の勝ちだ」
美青年は片方の口をあげて、皮肉な表情を作って見せた。
手の中の竹筒の詮がことごとく外れ、中から抜け出は管狐たちが血の海を作り続けるシロの身体に群がる。
きゅうきゅうと鳴きながら、流れ出る化け物の血をすする。
「おいしくもない化け物の血なんかよりも」
美青年は目の前のエサに夢中になる管狐たちを一瞥し、背を向けた。
「もうすぐ人の血が流れるぞ。たくさん、たくさんだ」
くつくつと美青年は笑う。自分が楽しんでいるのか否か、彼自身でもわかっていなかったかもしれない。
生前、彼の心を燃やしていた黒い憎悪の炎は、今なお、体の中で燃え続けていた。
その炎は、京の街を丸ごと燃やしたとしても収まるものではないと、彼は確信していた。




