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嵐に舞う (12)

 頭領たちは皆、両の目を閉じている。何を考えているのか、

 どこを見ているのかさえも分からず、小太郎は湧き上がる不安を必死に押し殺す。頭領の【絶対検知】は、小太郎がどこにいようともその一挙一動を感じ取ることができる術だ。

 それは、甲賀の里で言う()を読むことを指す。


 甲賀の忍者であれば誰もが多少なりとも気を読むことができるが、頭領のそれは桁が違った。街の雑踏の中でもただ一人の挙動をその指の一本一本の動きさえも感じ取れ、また、十数人のばらばらの動きも子細に見通すことができる。

 たとえ目を閉じていても、頭領の視界は常人よりもはるかに明瞭なのだ。


 忍術と呼ぶべき域に達するには、己の感情を極限まで消し去らねばならないという。

 自身の心にわずかでもさざめきがあっては、他者の気を完璧に感じ取ることなど不可能だ。


 この恐ろしいまでの平穏な心で、頭領は己の娘さえも甲賀の繁栄の礎とする決意をしたのだろう。

 甲賀の里で忍者としての教えを受けた小太郎にとって、頭領の強靭な精神力は尊敬に値するものであることはまぎれもない事実だった。


 これほどまでに恐ろしく強い人を相手に、戦い抜けるのか。勝てるのか。


 限界までに【風舞】を駆使し、頭領の影を消しながらも小太郎は脳裏を弱気な心が浮かんでくるのを抑えられなかった。


 頭領の分身は斬れば消える。

 しかし、消すのが簡単であるのと同様に、頭領が新たな分身を作り出すのも、容易なのだ。その証拠に、小太郎の体には【風舞】による疲労が濃くたまりつつあるのに、頭領の分身の数は一向に減らない。


「……痛っ」


 小太郎の太ももに鋭い痛みが走った。手のひらに当たる細長い針の感触は、たちまちのうちに硬度を失い、くたりとしおれた。


 髪だ。


 髪に気を込めて、まるで針のように飛ばす頭領の忍術を小太郎は知っていた。髪が硬度を保つのはごくごく短い時間だが、それでも狙いどころによっては十分に致命傷を与えることができる。


 分身の術を使ってから、頭領は遠隔からの攻撃にってするようになった。それはまったく理にかなった戦法である。


 例え自分の群れに紛れていたとしても、近接攻撃を仕掛けてくるのであれば、攻撃の瞬間に反撃もできる。

 しかし、遠隔からの攻撃では出所さえもつかめないのだ。この頭領の術にはまった相手は、その実体を探してあてもなく影を斬り続けねばならない。


「あああああ――」


 悲鳴にも似た咆哮を上げて、小太郎はがむしゃらに短刀を振り回した。


 頭上から降ってきた大きな氷が小太郎の脳を揺らす。

 肌を切り裂く風が小太郎を襲う。

 小太郎の立つ地面が揺れる。


 いずれも頭領の持つ遠隔攻撃用の忍術だ。小太郎でも知っている忍術もあれば、想像の埒外のそれもある。だが、小太郎には頭領の持つ忍術の多様さに驚嘆する暇さえもない。どこからやってくるのか分からない攻撃をよけきることもできずに、削られていく体力に焦りを覚えるだけだ。


 ――【風舞】【風舞】【風舞】!!


 【風舞】をどのくらい連続で行使可能なのか、小太郎も知らない。

 普段の修行では一刻ももたないくらいだから、もはや限界に近いことは分かっていた。体力も気力も、頭領の忍術によって削られ続けている今はなおさらだ。


 シロに癒してもらった傷も、すっかり新しい傷に上書きされて、小太郎は再び血に染まっていた。

 何のことはない。

 取り囲まれていたのが鋼線か頭領の影かの違いでしかないのだ。


 かすみかけた視界に、二つの白い影が見えた。

 例の美青年とシロだ。

 小太郎の目はほとんど見えなくなっていたが、それでも美青年が赤い唇を釣り上げて笑っているのは分かった。シロは、半分泣きそうになっているようにも見える。


 なぜ泣く。

 シロ、お前には何も関係のない話だ。


 不自然に口元を歪める小太郎の視界の隅に、赤い光が映った。ぼやけた世界が一気に明瞭な像を結びはじめる。

 ひとつの赤い光。目だ。頭領の目がひとつだけ、小太郎にまっすぐに注がれていた。あまたいる頭領たちの中で、ただひとつだけ、その目を光らせていた。


 小太郎は播磨で会った則繁の姿を思い出した。粗暴でありながらも子供ような純粋さを持った豪快な男ではなく、兵介の屍を見て、鬼に堕ちていくときの姿だ。

 則繁は鬼になりたくない、と言った。人でありたいと願いながら、血肉の欲望に抗えずに、悲嘆の声を上げながら兵介を貪り喰っていた。

 人としての理性も思いも、すべてはもろく、儚く消え去ってしまうに違いない。


 己の欲望に対する忠実なしもべだ。


 そんな人間が、平穏な精神状態を保てるはずがない。

 気を読むことができなくなった。【絶対検知】は敗れ去った。だから、目を開けた。小太郎の居場所を、動きを確かめるために。


 小太郎は足を踏み込んだ。

 鋭い痛み、鈍い痛み、疼き。すべてが小太郎に襲い掛かる。普段であれば、思わず地面に膝をついてしまうほどの痛みだ。だが――


 あれが本物だ。


 小太郎は確信した。

 その瞬間、影たちは掻き消える。

 破られたことのない頭領の分身の術が今、初めて破られた。


 頭領の顔に動揺が走る。

 しかし、その目の前にすでに小太郎の顔があった。

 全身の傷が与える痛みなど、小太郎は全て忘れ去っていた。痛みさえも【風舞】は置き去りにしていた。


「どっちが化け物だか分からないね」


 硬い表情で立つシロとは対照的に、楽しそうに美青年が嘯いたその時には、小太郎の短刀は頭領の残った眼に深々と食い込んでいた。

 五感のひとつを潰された頭領は腕を振り回し、咆哮を上げる。もはや、【絶対検知】を使うことなど思考の外だ。小太郎がどこにいるのかも分からないようで、その強靭な腕はむなしく空を切った。

 素早くその背後に回った小太郎は、頭領のうなじにもう一本、短刀を叩きこんだ。振り下ろす腕を【風舞】の速度にのせて――


 短刀の刃先が柄まで潜り込んだのを見届けて、小太郎は一度頭領から離れた。

 二度、三度、大きな体は揺れ、それからようやくどう、とあおむけに倒れた。

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