嵐に舞う (11)
「くそっ」
荒い呼吸を沈めながら、小太郎は悪態をついた。知らぬ間に、先ほど捕まれた手首の肉が千切り取られていた。頭領の手から小太郎が抜け出すときに、むしり取られていたに違いない。
読まれた?
いや違う。
頭領の忍術【絶対検知】は、たとえ目を閉じていたとしても、相手の動きを完全に把握する。
死角など、そもそも頭領には存在しえない言葉だったのだ。
頭領の手の内は果てしない一方、小太郎自身の能力は頭領に全て知られているのだ。状況は圧倒的に不利。そんな中、小太郎はどうすればいいのか。どうすれば、少しでも生き残る可能性を見出せるのか。
頭領に捕まれた方の手は、すでに神経まで焼かれているのか、強いしびれと痛みで力が入らなくなっていた。【風舞】で頭領からの距離を取りながら、小太郎は着物の袖を口で裂いて、短刀を握ったこぶしの上からぐるぐると巻き付けた。
幸い動かないのは手首から先だけなので、振り下ろすことはできる。
小太郎の攻撃には威力がない以上、【風舞】による機動性と、両刀による手数の多さは捨てるわけにはいかなかった。
「小太郎」
頭領の呼ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと小太郎の方へと歩きながら、頭領は手に残った小太郎の肉を口に入れる。くちゃくちゃと音を立てて咀嚼して飲み込むと、さらに手のひらをなめて残った肉片と血をなめとった。
小太郎の背筋が震える。
分かっていたことだった。
分かっていたはずだった。
だが、その様子を見て小太郎は頭領がすでに人でなくなっていることを理解した。
播磨で会った赤松則繁は、鬼になりつつある自分を自覚し、殺してくれと哀願した。兵介の血肉に対する欲望を抑えられない化け物の心と、人の心のせめぎあいの中で苦しみつつ、人の心を手放さずにいた。
しかし、頭領は違う。
もはや人の心は捨て去っている。自分が頭領にとって出来のいい、大切にされるべき忍者だったかどうかは知らない。にしても、人の心を持っているのであれば、人の肉を食べるのにためらいを持ってしかるべきだ。
あれほどうまそうに人の肉を食べるのは、人ではない。
鬼だ。
「小太郎」「小太郎」「小太郎」
頭領の声が重なって聞こえる。
間欠的に飛んでくる、頭領の投げた手裏剣を【風舞】によってよけ、美青年の見物のために設けられた舞台をぐるぐると回りながら、小太郎はその声の元に目を向ける。
沢山の影が見えた。
大きな影。
鍛え上げられた鋼の肉体が作り出す影。
それがいくつもいくつも、月夜の下でうごめいていた。
分身の術。
高度で過酷な修行の果てに習得できるかもしれない術である。
その確率は非常に低く、才能のある人間であっても、命と秤にかけねばならないほどだ。
「なぜ逃げる、小太郎?」
頭領の低く、冷徹な声が聞こえる。
「我らの繁栄のためだ。小太郎」
「お前で最後だ。小太郎」
「命を捨てるのも忍びの定めだ。小太郎」
「使命を果たせ。小太郎」
小太郎を呼ぶ声、小太郎を責める声が何重にも重なり、大きなうねりと変わる。
小太郎の行く先に、頭領の大きな影があった。
来た先にもあった。
右にも、左にも、頭領の大きな影がある。
頭領の影に、小太郎は四方を取り囲まれていた。
「早く私に喰われろ、小太郎」
月の光を受けて、頭領の口元の歯が一斉に白く光った。肉食獣のような鋭い牙がずらりと並んでいる。
「お前を食いたい。小太郎」
「食いたくてたまらない。小太郎」
「お前はうまそうだ。小太郎」
「小太郎?」「小太郎?」「こーたーろーうー?」
――実体はひとつだけだ。
分身の術を身につけることは小太郎にはできなかったが、その概要については耳にしたことがあった。分身の術は、文字通り肉体を分けるわけではない。相手の心理に働きかけて、自分自身の姿をいくつもに投影する術だという。
したがって、実体を持つ術者以外は全て、相手の脳裏に作り出したまぼろしなのだ。
それが目くらましであると、術を掛けられた相手が確信した瞬間、それは消える。
だから――
小太郎は正面の頭領の影を斬りつけた。
手ごたえはない。
眉間に刃を突き立てられたはずの頭領の影は、嘘のように霧散した。
こうやって一体一体斬りつけていけば、見破ることはできるはずだ。
小太郎は大きく息を吸って、頭領たちの中へ飛び込んでいった。




