嵐に舞う (10)
「よくやったにゃあ。おみそれしたにゃ」
慈愛に満ちたシロの声が、小太郎の耳元で聞こえた。
「気づかれにゃいように、ぐるっと回ってきたんだにゃ。少年があちらさんの耳目を集めていてくれたおかげで、あたしは自由に行動できた。ありがとにゃ」
どうして、と尋ねる前にシロが説明を加える。にゃあにゃあと得意げに話している様子を見ると、案外、小太郎を助けるために苦心していたのかもしれない。
「――はは」
赤い唇をにんまりと吊り上げて、美青年は愉快そうに笑う。
「さすがは人柱に捧げられる魂だ。甲賀の長、君の思いはよく伝わったよ。最高の忍者たちを惜しみなく犠牲に出してくれたんだね」
「挑発だにゃ。乗ってはいけにゃい」
「ああ――大丈夫だ」
甲賀の里で最強の忍者たる頭領に真っ向から戦いを挑み、必殺の術をも見事に破って見せた幼い少年。あどけない顔立ちだが、表情とまなざしは精悍な忍者のものだった。
「頭領がこの程度で倒せるとは思えない。今の相手はあくまでも頭領だ」
「それでいいにゃ。あとひと踏ん張り、行けるかにゃ?」
小太郎は静かにうなずいた。全身は傷と血に濡れ、満身創痍にもほどがある。だが、体の奥底から不思議と力が湧き出ているようだった。
「手助けしてやる、と言いたいところだけど、残念にゃがらあたしにはどうすることもできにゃい。少年に力を貸した瞬間、あたしは殺されるだろうからにゃ」
「君はこっちだ」
美青年がシロに声を掛けたのは、そのざらついた舌が小太郎の首筋をひとなめした時だった。
びくりと体を震わせて、シロは小太郎からそそくさと離れると、美青年のほうへと足を向ける。
「四人で作った道だ。決着をつけてくるといいにゃ」
一度振り返ったシロが小太郎に言葉を投げるが、それに返事はなかった。
小太郎はただまっすぐに、頭領の姿を――牡丹の苦無を目に刺したままのかつての長をにらみつけていた。もはや引き返すことはできないし、引き返すつもりもない。
頭領の意思が何であれ、その考えを認めることはできなかった。
何も知らない人間の命と引き換えに手に入れなければならないものなど、あってはならないのだ。
「俺の役目は……報告と、攪乱だ」
報告はした。
駆けて駆けて駆けつづけて、甲賀の里まで帰りついたのだ。だから、小太郎が果たすべきは、攪乱。【風舞】を使いつくして、一矢でも二矢でも報いてやらねばならない。
小太郎の目に映るのは、もはや憧れの対象だった頭領の姿ではなかった。倒すべき相手だ。
自分たちを軽んじ、利用した相手に存在意義を見せつけてやらねばならない、そう心に決めていた。
「里中は皆、深い眠りの中だ。新手を心配する必要はないから、安心して魂を捧げるといいよ」
歌うような美青年の言葉も小太郎の耳を素通りする。
「おおっ!!」
腰につるした短刀を両手に握りしめ、雄たけびとともに小太郎は頭領に向かって駆けた。もったいぶっている余裕などない。【風舞】を行使する。己の脚が止まった時、風がやんだ時が、すなわち自分の命の終わる時――それは確信だった。
勝てる見込みがあるのか?
と、誰かに問われても是と答える自信は小太郎にない。
頭領の恐ろしい忍術【蜘蛛の糸】を破ったのは事実だ。だが、小太郎にしても撃破のために費やした犠牲は計り知れない。今、自分の足が動いているのさえも不思議なくらいなのだ。
それはもしかすると、シロが美青年の隙を縫って癒してくれたからかもしれないが。
どんな攻撃がくるのか? と一瞬だけ考えて、小太郎はすぐにその思いを振り払った。
【百式】の異名を持つ頭領が使う忍術は数知れない。様々な特性の忍術を、状況に応じて自在に操るのだ。小太郎のような若輩者には知らせていない秘蔵の術もあるはずだ。
――とにかく、近づかないと。
小太郎は考える。
【蜘蛛の糸】の中での攻撃からも分かるように、頭領は多彩な遠隔攻撃のすべを持っている。一方、小太郎の武器は短刀のみ。相手から距離を取って投擲するなどという修行はしたこともなく、ただでさえ手持ちの武器が乏しいのに、そんな賭けをするわけにもいかなかった。
となると、小太郎が頭領に勝てる見込みがあるのは、接近戦しかありえない。
眉間、首元、心臓。
標的を一撃で仕留めるために狙うべき場所だ。
いつだったかは忘れてしまったが、小太郎は喜平から教えてもらっていた。穏やかな目元を時折、楽しそうに光らせながら、喜平は小太郎に暗殺の技術を語ったのだった。
短刀では心臓に刃先を当てることなどできない。
三点のうち、狙うべき場所を小太郎は絞り込む。首筋も眉間も、小太郎の標準程度の力と安物の短刀でも十分に致命傷を与えることはできるだろう。
――首筋。
牡丹の朱い蝶がひらめく頭領の左目に、小太郎は狙いを定めた。左目がふさがっている今、いくら頭領といえども視野が狭まっているに違いなかった。
左側から回り込み、頭領の懐から首筋を斬り上げる。
頭領の数間前で小太郎は大きく沈みこみ、死角へと回りこんだ。
喉元を狙い、一気に飛び上がる。
ぐるん、と頭領の顔が小太郎を見下ろす向きに動いたのは、小太郎の足が地面を蹴るのと同時だった。
紅い目と、赤い蝶が小太郎の視界に映る。
「しまっ……」
暗殺術を喜平に教えたのが、頭領その人だという事実。小太郎が決死の覚悟で攻撃を仕掛けてきたときにどこを狙うかなど、分かり切っていたのだ。
回避より先に、頭領の手が小太郎の手首をつかんだ。驚くほど熱い手の平に、小太郎の喉の奥からうめき声が漏れる。
これも、あまたある頭領の忍術のひとつに違いなかった。
炎と同程度の熱が、小太郎の手首を肉の奥まで焼いていく。
小太郎は短刀を頭領の手の甲に深く突き立て、わずかながらの動揺が頭領に走った隙を見て、炎のような手の呪縛から逃れた。




