嵐に舞う (8)
駆けた先、わずかに木々におおわれた広場の奥に頭領と美青年は立っていた。日ごろの修行でも使用する広場は、十数人が思い思いの鍛錬をしても十分な広さを持つ。
大きな木立の下にぬう、と立つ頭領と相変わらず赤い唇をゆがめている美青年。
曇った夜空の暗闇の中で、二人の姿は実態と影のようにも見えた。ほの白い光を放つ美青年が、頭領の巨大な影を従えている形だ。
「お頭!」
無表情な頭領を前に、小太郎は声を張り上げた。異常な事態であることはわかっていても、それでも小太郎は頭領を、己の里の主であり、守り神である男を信じたかった。
「お頭が俺たちに任務を命じた時、お頭はこのことを知っていたのですか? 俺たちが皆、死なねばならないということを……」
あふれ出る感情を必死に押し殺しながら、小太郎は頭領に思いのたけをぶつける。もちろん、押し殺せたと思っているのは小太郎だけで、はたから見れば感情の赴くままにしゃべっていると思われたことだろう。
小太郎の脳裏には、死んでいった三人の仲間の姿が浮かんでは消えていく。
困ったような穏やかな喜平の笑顔。
雨と血のしずくを滴らせる右手の先が瞼の裏に浮かんだ。
精悍で凛とした兵介の仏頂面は、すぐに苦く笑う最期の傷だらけの表情に変わった。
厳しさの中に優しさを隠した兵介と、優しさの中に冷徹さを秘めた喜平。
小太郎と同年代の里の者たちにとって、兵介と喜平は頼れる兄であり、包み込んでくれる父でもあり、いずれ追いつくべき目標だった。
最後に――
「牡丹は、あんたの実の娘じゃないか!」
こらえきれずに小太郎は叫ぶ。
いつも強気な態度で、笑ったり怒ったりくるくると表情を変える少女。
少女の細い首が裂けて、炎に包まれていく。
苦痛も恐怖も全てを強い意志で抑え込み、任務に己の身を投じた牡丹。彼女の化身たる炎は、小太郎の脳裏で今もなお燃え続けていた。
「……彼らは任務を果たした」
激昂する小太郎とは対照的に、頭領の返答は苦く、渋い。
牡丹の名前をだしたとき、頭領の眉毛がかすかに動いたのに小太郎は気づいた。しかし、ただそれだけだ。愛娘の死を知っても、頭領の感情は眉毛だけにしか及ばない。感情を見せないことが忍者として必要な条件であるとは、小太郎にも分かっている。
忍者として正しい姿なのは頭領であって、小太郎ではない。
「俺たちを化け物に差し出したのか!?」
「栄光には犠牲がつきものだ」
だが、人としての小太郎の頭がそれを是としようとしなかった。
彼らの尊厳はどうなる? ただの駒じゃないか。
小太郎は両手の短刀を握り直した。
覚悟を決めろ。
懐の三つの珠の重みを感じながら、小太郎は自分自身に言い聞かせる。頭領に刃を向けること、それは、甲賀の里へ対する裏切り行為であり、己の根幹を断ち切る行為であり、自殺行為でもあった。
実力がものをいう甲賀の里で、頭領としての地位を得るには理由があるのだ。
強さ、能力に裏付けされた確固たる理由が。
「【風舞】!」
小太郎は叫んだ。
頭領の背後でひっそりと立つ美青年の赤い唇が、笑みの形に吊り上がる。
頭領に向かい一歩足を踏み込んだ小太郎の懐から、二つの珠が転がり落ちた。
白い珠と黒い珠――兵介と喜平の珠だ。
二人の魂にも等しいそれを拾おうとしゃがみこんだ小太郎は、珠のすべらかな表面がきらりと光ったのに気が付いた。ふと空を見上げると、厚い雲の隙間から月が姿を見せていた。限りなく満月に近い月は、ほの白い冷ややかな光を地上に注ぐ。
真珠と黒曜石の美しさに一瞬だけ気を取られた小太郎は、すぐに珠を懐に入れて、頭領に向き直り、愕然として目を見開いた。
月の光に照らされて、一時、頭領の前の空間に紗がかかったように見えた。
わずかな角度の関係なのだろう、小太郎がほんの少し身じろぎをしただけで光の紗は消え、再び頭領と小太郎との間は何もない空間に戻った。
「くそっ」
小太郎は口の中で小さくつぶやいた。
頭領の能力を知らなかったわけではない。ただ、心の奥底で頭領が自分を本気で殺しにかかるはずがないと思い込んでいたのだ。
「【蜘蛛の糸】」
動きを止めた小太郎に、頭領が短く言葉を放った。
あまたある頭領の忍術のうちで、おそらく最も恐ろしい能力だろう。
口に含んだ鋼の糸を精緻に編み込んだ罠のことだ。
一度、その罠にとらわれたら最後、哀れな獲物はばらばらに食い尽くされる。
蜘蛛の巣のように抜け目もなく編み込まれた鋼の糸は、触れただけで肌が切れるほどに鋭利で、甲賀の里が侵入者の存在を一切許さないのは頭領の存在によるところもかなり大きい。
多数の軍勢が襲撃してきたとしても、頭領の【蜘蛛の糸】の前で文字通り四散するだろう。
小太郎も頭領にたどり着く前にばらばらになっていたに違いない。
珠が転がり落ちてくれねば気づけなかった。
「……兵介、喜平、ありがとう」
偶然の産物に違いないにせよ、小太郎はそう言わずにはいられなかった。
赤い柘榴石の珠だけが、小太郎の懐で熱を持っているように鎮座しているのが余計にその感情を掻き立てる。
にしても、だ――
小太郎は目を細めて幾重にも張られているであろう【蜘蛛の糸】を視認しようとするが、暗闇の中で微細な鋼線など見えるはずもない。まずは退いて近づくすべを考えようと、飛びずさろうとして小太郎は不意に嫌な予感に襲われて足を止めた。
背後の空間、二尺ほどの位置に広げた手のひらを伸ばす。
鋭い痛みとともに、皮膚が破れた。
「しまった!」
思わず声に出して、小太郎は唇をかみしめた。
背筋がぞっとする。
「まるで繭だ」
頭領の隣の美青年が初めて口を開いた。
「冷たい繭に包まれて、君の純粋な魂は血化粧をするんだな」
心底から楽しそうな口調に、小太郎の全身が総毛立った。
頭領がこの場所を選んだ理由が、単に【蜘蛛の糸】を張りやすいためだけではなく、美青年に戦いのさまを見せるためでもあったのだと今更ながらに理解したのだ。
戦いのさまというのはもちろん、小太郎が死にゆくさまと同義だ。
この化け物め。
小太郎は歯ぎしりとともに、美青年をにらみつけるが、状況としては美青年の言うとおりだった。
前にも進めない、後にも退けない。小太郎は見えない糸でがんじがらめにされていた。
小太郎が頭領に哀願にも似た問いかけをしていた時も、牡丹の死に、頭領が心を動かされていたように見えた時も、巨大な蜘蛛は黙々と巣を紡いでいたのだろう。哀れな獲物をなぶり殺しにするために。
頭領の口がとがった。
何かが飛んでくる、と小太郎は避けようとして、すぐに己の周囲に張り巡らされた糸の存在を思い出す。ためらっているうちに、小太郎の腕の肉を何かがむしり取っていった。
「くっ……」
小太郎は痛みにうめいた。今のはおそらく、水滴だ。
頭領の口から高速で吐き出された水が小太郎の肉をえぐっていったのだ。数百はあるといわれる頭領の忍術のひとつである。
「ひと息に殺すなよ。」
美青年が頭領に声をかける。鷹揚なその態度から、頭領よりも美青年のほうがはるかに高い立場にいることが分かった。
頭領は小さくうなずいて、再び口を尖らせた。
「血塗られた魂こそが、犠牲にふさわしいんだからな」
水滴が小太郎の太ももを貫いた。




