千々に炎は (14)
『先回りできたと思っていたのに、びっくりしたにゃ。いくらにゃんでも速すぎる。あんたらは飯綱の術も使うのかにゃ?』
『……飯綱?』
意味が分からずに繰り返す二人を訝し気に眺めて、シロはぺろりと口元をなめた。
『違ったかにゃ? まあいいにゃ。いつの間にか吉野まで来ていたもんだからびっくりしただけだにゃ』
『やっぱりここは吉野なのか』
『自覚がにゃかったのか? そうか、連れてこられただけか』
にゃあにゃあ言いながらも、シロは真剣な表情に変わる。
『だったらなおさらだにゃ。これは罠だ。あんたたちは吉野までおびき寄せられたんだにゃ。悪いことはいわにゃい、関わるにゃ。下のやつらが待っているのは、あんたたちだからにゃ』
『で、でも……あの人が』
『あきらめるにゃ。北朝の人間が南朝に来て無事で済むわけがにゃい』
シロの声は冷徹だった。
南朝と北朝の因縁は深い。
それは室町幕府そのものの成り立ちにすら由縁する。北と南に天皇家が分断されたさなか、北側の天皇家を擁して開かれたのが、室町幕府だったのだから。
室町幕府の成立後も、北朝と南朝が互いに己の正当性を主張しつつ、同時に存在するという状態はつづいた。その歪な状態を打破するため、歩み寄りの姿勢を見せる北朝へ同調し、いくつもの譲歩をした南朝は、結局は手酷い裏切りを受けることになったのだ。
現在の倫理観でその当時を評するのは意味をなさない。しかし、だまされ、三種の神器をまんまとかすめ取られたことを理解したときの南朝の人々の恨み、悔しさは想像に難くない。
当然、南北朝の融合は水泡に帰し、溝は埋めることも不可能なまでに深く深く刻まれていったのである。
吉野の地で、権勢を誇る北朝への恨みをひそかに、だが濃く、連綿と育てていった南朝の者たちの前に、北朝の重心である勝元が転がり込んできた。それは、彼らにとって格好の的としか言いようがない。
『……見捨てろと言うのか?』
『そうだにゃ。これは、京の都の持つ業のようにゃものだ。まさか、生きる人間にまで手を出すとは思ってもいにゃかった』
『ばっかみたい』
『にゃらせめて、そっちのお嬢ちゃんだけでも』
『冗談でしょ』
つん、と牡丹はそっぽを向いた。
シロも今回の狙いが牡丹であることを知って忠告しているのだろうが、こうなってはもはや一切の聞く耳を持たなくなるのが強気な少女の特性だ。
樹上の冷ややかな応酬とは対照的に、眼下で繰り広げられる光景は、さらに熱意を帯びていく。
細川勝元はひとりの山伏の足先で転がされて、あおむけになった。酒宴の男たちはかがみこみ勝元の細面を覗き込んでいる。二人の位置から表情を見ることはできないが、いずれの顔にも恨みと憎しみが込められているに違いない。
「京を憎み、京を恨む我らの辛苦ももうじき報われよう」
酒宴の席の奥に座した鬼がぬうっと立ち上がり、声を張り上げた。
勝元をここまで運んできた男だ。いつの間にか、その太い腕には妖しく光る刀が握られている。
地鳴りのような声を受けて、勝元を取り囲む男たちの輪が崩れた。
「景気づけだ。この北朝の男を血祭りにあげてくれよう」
鬼が刀を振りかぶった。
『小太郎、行くわよ!』
『お、おう』
「……待つにゃっ」
思わず出たシロの声は、特殊な波長ではなかった。
だが、それを耳にしても気にする者はいなかっただろう。
酒宴のど真ん中、十数人もの男たちが居並ぶそこに向けて、牡丹の【赤花】が放たれたのである。戸惑う男たちの中、二人の忍者は勝元の前へと降り立った。続けざまに【赤花】を見舞わせる、想像だにしていない救いの主の姿に勝元は目を丸くした。
「……そなたたちは」
「借りを返しにきたわ」
勝元の問いに牡丹は背を向けたまま、短く返す。
【赤花】が男たちの脚を縫い付けている間に、小太郎は勝元の縛めを解いた。
またたくまに、炎は桜の木にも燃え広がり、上へ上へと伸ばす赤い舌先は今を盛りと咲き誇る白色の花びらにまでその魔手を伸ばし始める。
「今日のことは悪い夢だと思って忘れることね」
牡丹の白い頬が炎にあぶられて赤く染まっている。
勝元が我に返り、下手な抵抗を始めるよりも先に、小太郎はまだ力が抜けた状態の男の体を樹上へと放り投げた。「うにゃっ!?」とシロの声が聞こえたところを見ると、期待通りにシロが受け取ってくれたようだ。
小太郎は口元をにんまりと吊り上げる。
もとより、シロがそこで自分たちの行動を眺めていたのは承知の上だ。
華奢に見える体つきの中に、男一人の体重は軽々と支えられるほどの力を持っているだろうことも知っている。
「送り届けてくれ!」
「あたしたちが戦うのに邪魔よ」
シロから戻ってきたのは沈黙のみだった。
だが、それが了承の返答の代わりだということは分かっていた。
これで邪魔ものがいなくなった。
牡丹と小太郎、二人の視線が一瞬だけ交錯した。
言葉にしなくても分かる。
戦いを開始する合図だった。




