闇を乞う水 (5)
シロと名乗る女との出会いは、実に奇妙なものだった。
「……こんなことなら助けなきゃよかった」
舌打ち交じりの牡丹のつぶやきに、小太郎も内心、確かにと思わざるを得ない。
「助ける必要などなかっただろうな」
「むしろ、ああやって絡まれることが目的だったんだろうね」
兵介と喜平も、珍しくうんざりした表情を浮かべて、「にゃははっ」と笑い声とともに後を追いかけてくるシロの姿を振り返った。四人は当然のように駆けているものの、忍者ならばこそ可能な速度である、一般のまして女性がついてこられるような速さではない。
「少し脅しつけておこうか?」
喜平が下がった目の奥を鋭く光らせて尋ねれば、
「いや、そう簡単にはいくまい」
と、兵介が首を振る。「相手が何を考えているかわかない今、下手に手を出すのは得策ではないだろう。それに、あの女の身のこなしと管狐とかいう化け物――正体を見極めないうちに労力を使ってしまっては、我々の任務の遂行に支障が出るやもしれぬ」
「……そうだね」
穏やかな喜平の返答と同時に、殺気さえもはらんで光っていた目がとろんと優しい表情に戻った。喜平の忍術の特質に影響するのかもしれないが、本気になったときの喜平の迫力や鋭さは兵介以上だと感じることが小太郎には多々あった。喜平の敵意が緩まり、息も難しいほどに張り詰めた空気が緩まり、小太郎はほっと息をついた。
シロはもともと、四人が日中に立ち寄った地で商売をしていた大道芸人の一人だった。第一の目的地である若狭にほど近いその場所では、大道芸人が河原のいたるところで店を広げていたのである。甲賀の里からめったに外へ出ることのない四人が、まるでお祭りのようなそこへふらふらと吸い込まれていったのも、責められることではないだろう。
あまたある大道芸人の中で、シロはダントツの一番人気を誇っていた。理由は考えるまでもなくはっきりしていて、大道芸人ではなく、どこぞの貴族の側室にでも侍っているほうがふさわしいほどの美貌にあった。あだっぽい美貌を、いたずらな笑みで飾って、シロはにゃあにゃあと客寄せの声をあげていた。
「さあさあ、お集りのみにゃさま、もっとずうっとお近くまで寄ってごらんあそばせ。こちらの手にありますのは、管狐と申す世にも奇妙にゃ生き物にございます」
いいながらシロは高々と右手を上げる。その手の中にあるのは、小児の手首ほどの太さの竹筒だ。
「さてさてこの管狐、わたくしシロの命令に従って、様々にゃ芸をいたしまする。お代は見てのお帰りで結構、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
「……管狐?」
「あの竹筒の中に何か生き物がいるみたいだな」
どことなく遠巻きにシロを見ている群衆たちのさらに外側から、四人はぼそぼそと囁きかわす。「ああ、竹筒の中に狐みたいな小さな生き物がいるね。ははっ、ぴょこぴょこ顔を出し入れしている」と、筒状に丸めた左手を目に当てて、喜平がほんのりと微笑む。これも忍術の一種で、遠見と彼らは呼んでいた。本来であれば、一里先の敵の動きを判別できる効果を持つかなり高性能な能力である。
「あたし、もっと近くで見てくる!」
我慢できなくなった牡丹が仲間たちを振り返りもせずに駆け出して行った。出遅れた、とばかりに一瞬遅れて走っていく小太郎。目をキラキラと輝かせて群衆の中へと飛び込んでいく年少者二人を苦い笑みで見送って、喜平と兵介も静かにその輪に加わった。見かけぬ美青年二人の登場に、人混みがわずかに揺れたが、それもすべてシロの芸にすぐ引き戻されていった。
「……すごいな」
と喜平が心底からの声を上げると、兵介も相変わらずの鋭い眼光でうなずく。人外の能力を身につけるために、普通の人間であればすぐに音を上げるであろう修行を繰り返してきた二人にとっても、シロと名乗る美女の芸は見事であった。
シロは白い管狐を自在に操っていた。
見物人からリンゴをもらい、管狐にまきつけさせ、締め上げ、破壊させる。
かと思えば、最前列の見物人の足首に、気づかぬ間に管狐を這わせて、絡みつかせ、被害者が転ぶさまを見てけらけらと笑う。
いつの間にやらシロの髪に潜り込んでいた一匹が天高く舞い上がる。
一匹一匹が思い思いに動いていると見せかけて、その動きには寸分の狂いもなく、すべて、シロの統制の下にあることが明白だった。
それだけではない。シロは管狐に奇妙な芸をさせる一方で、自らも優美な舞を見せていたのである。ゆったりとした薄絹の着物をなびかせて、回る、はねる、飛ぶ――時には宙返りをして、観客を沸かせていた。
時折のぞく真っ白な太ももや、二の腕から肩にかけての曲線に大半の観客は見とれていたに違いない。
ほかの大道芸も、確かに技術のある者もいたが、それでもシロと比べれば雲泥の差だ。まったく集まらない客に業を煮やしたのか、あるいは自分も見たくなったのかはわからないが、思い思いの格好をした芸人達も集まり、完全なシロの独壇場となった。
芸も佳境に差し掛かり、シロの舞と管狐たちのかわいらしい姿に人々が気を取られている中、兵介がふと、視線を後ろに向けた。喜平も分かっている、というように小さくうなずいた。
たくさんのおひねりを手に、深々と頭を下げるシロに、男のだみ声が降ってきた。しかも、いかにも性質の悪そうな、下卑た笑い声とともにである。
「よう姐さん、見ねえ顔だな。ずいぶんと荒稼ぎをしてくれた見てえだが、ここで商売をやるにゃあ許可が必要だって、教えてもらってねえのかい?」