千々に炎は (11)
鬼を追って二人は駆け続けていた。
今、どこをどう走っているのかさえも二人には判然としない。
人気のない街道を走っているような、草原を突っ切っているような、あるいは何もない幽玄の世界を走っているような――
二人の目に映るのは、遠くで揺れて踊る鬼の姿だけ。
「……こ、小太郎、ちょっと待って」
絶え絶えな牡丹の声に引き止められて、小太郎は足を緩めた。
振り返って見た牡丹の真っ赤に上気した頬は、すでに牡丹が限界に近いことを示していた。
「ごめん」
「謝ることはないわ」
咳きこみつつ、酸素を肺に取り込んで牡丹は首を振る。
鬼を追いかけるのに必死で、小太郎は自分の足の速さを忘れていた。もしかすると、知らず知らずのうちに【風舞】を行使していたのかもしれない。
小太郎の速さは里でも随一だ。
忍者として平均的な足を持つ牡丹では、並走し続けるにはかなり無理がある。
しかし――
小太郎は小さくなりつつある鬼の背中を歯がゆい思いで見つめる。
一刻も早く追いつきたいのもまた、事実だった。
「俺は先に行くから、少し休んでこいよ」
「駄目よっ!」
小太郎の提案を、牡丹は過剰すぎるほどの反応で返した。
牡丹の頭をよぎったのは喜平と兵介のことに違いない。一人で屋敷へと侵入して、腕だけを残して消えた喜平と、二人に先へ行かせて己は膾切りにされた兵介。
牡丹の不安な思いは小太郎にももちろん分かる。
「でも、見失っちまうぜ?」
「ふん」
と、牡丹は浅い呼吸を繰り返しながらも、薄く笑う。
「どうせ、行先は吉野でしょ」
「…………そうだな」
小太郎は小さくつぶやいて、鬼の去っていった方向に目をやった。
月はないが、空は晴れている。星さえあれば方位も分かる。
相手の目的地が分かっている以上、牡丹の言う通り追いかけていくことは容易なのかもしれない。
「ねえ、小太郎、これ持っててくれない?」
少し呼吸が落ち着いてから、牡丹は懐から白い珠を取りだして小太郎に渡した。
巨大な真珠の粒――それは兵介の命を犠牲にして手にした宝玉だ。
喜平の黒曜石は小太郎が、兵介の真珠は牡丹がそれぞれ保管していた。
「なんでだよ。お互いに持ってりゃいいだろ」
ううん、と牡丹は首を振った。
「あいつは二人で倒す。それは絶対。でも、珠を取ったら、一刻も早くお父さ――頭領に報告しなくちゃいけないと思うの。二人になっちゃったんだし……」
「うん」
兵介と喜平は里で一、二を争う実力者だ。
その二人が命を落としたことは、里にとって大きな損失であり、由々しき事態だ。
「その時、あたしは足手まといになるわ」
「そんなこと――」
「そんなことあるでしょ?」
存外穏やかな口調で牡丹は切り返す。
「あたしは戦える。でも、それだけ。喜平みたいに侵入することも、兵介みたいに冷静に判断することも、小太郎みたいに迅速な行動もできない」
「……」
「今はまだ、だけどね」
だから、と牡丹はさらに小太郎に珠を押し付ける。
「これは小太郎が持っていて。走るのは小太郎にしかできないんだから」
負けず嫌いな牡丹が相手よりも劣ることを認めるのは珍しい。まして、誰よりも敵愾心を向ける小太郎に対してなど、はじめてではないだろうか。
「……分かった」
だからこそ、牡丹の真剣さが知れる。小太郎はうなずいて牡丹から白色の宝玉を受け取った。
黒曜石の珠を包んだ風呂敷をとりだし、口を緩め、真珠を合わせ、再び包み合わせて懐に戻す。丁寧な一連の動作を牡丹はじっと見つめ、にっと笑みを見せた。
だが、その表情は一瞬のことだ。
「見ているわ、あいつ」
牡丹が吐き捨てる。
木立の奥の大きな赤い目が、二人にまっすぐに向けられていた。
「待っているのか」
「なによ、急ぐ必要なんてなかったわね」
牡丹が不機嫌に口元を緩めた。
勝元という獲物を手にした鬼がまっしぐらに棲み処へと向かわずに、なぜか二人を待っているという事実は、標的が牡丹と小太郎であることを表していた。
襲うでもなく、ただじっと見つめるだけの鬼の様子は恐ろしいというよりも薄気味悪い。
「化け物の顎」
シロが口にした台詞を小太郎は小さくつぶやいて、その感情を振り払うように大きく頭を振った。
「行くわよ」
「ああ、行こう」
うなずき合って二人が追いかけ始めると、鬼は楽しそうに跳ねて再び距離を取る。
まさに鬼ごっこだ。
だが、鬼は追いかけるのではなく、追いかけられる側である。
鬼に追いついたとき、何が起きるのか、二人は知らずに駆けていく――




