千々に炎は (9)
シロがひょっこりと姿を現したのは、勝元が去ってからいくらもたたないうちだった。
修行を積んだはずの二人の忍者でさえも、いつの間にやってきたのか分からないほどに、その姿はひそやかに、だが堂々とその場に現れたのである。
「こんにゃところにいるにゃんて、びっくりしたにゃ」
布団をはねのけて警戒態勢を取る二人をなだめるように、肩の高さに上げた両手のひらをひらひらと振りながらシロはにゃあにゃあと話す。
「頭が冷えただろうと思って、戻ってみたら人っ子一人いにゃいから、一生懸命探したにゃ。まさか、細川の坊ちゃんの屋敷で寝ているとはおもわにゃかった」
「……どこから入ってきたのよ」
「頭さえ入れば、あたしはどこからでもはいれるのさ」
警戒心をむき出しにした牡丹の問いかけに、シロは飄々と嘯いてみせた。
確かに、シロが入ってきたと思われるふすまは三、四寸ほど開いているばかりで、とうてい人間の体が出入りできるような幅ではない。
とはいっても、水を媒介にして水たまりの向こうの世界に潜り込む【水鏡】を使う喜平の例もある。
新米とはいえ、甲賀の里の忍者である牡丹と小太郎を手玉にとれるようなシロだ。使役する管狐という奇妙な生き物のことといい、それなりの忍術を使っていても不思議ではない。
「あたしがここに来たのは、あんたたちに忠告をしにきたのさ」
「忠告? まだ何か言いたいことがあるのかよ」
「つれにゃい子だにゃ」
シロは大げさにため息をついた。
「ここで細川の坊ちゃんに拾われたのも縁だ。このまま、かくまってもらうのがいいんじゃにゃいか?」
「はあ!?」
「この若さで管領という地位を切り回すのは、並大抵のことではにゃい。あたしも色々とうわさには聞いていたが、かにゃり優秀にゃ男だそうだ。彼の親切に頼るのもひとつの手だと思うにゃ」
親切というよりは、下心といったほうが近いかもしれにゃいけど、とシロは小声で付け足たす。
「下心って何よ」
うにゃ? とシロは大げさに目を見開いて肩をすくめた。
「分からにゃいのか。彼は牡丹あんたに惚れているんだ」
「…………」
「男っぷりもにゃかにゃかのものだし、頭も切れる。にゃにより、金と地位にかけては申し分にゃい。世の女性があこがれる状況がここにあるにゃ」
牡丹は無言のまま、不機嫌そうにシロをにらみつけた。
「あたしはね、あたしより強いか、せめてあたしくらいに強くないと嫌なの」
色気の欠片もない牡丹の言葉に、シロはこれみよがしにため息をついた。
惚れたはれたを強い弱いの物差しで扱う幼さはもとより、一番の問題は牡丹が並の男たちよりもはるかに強いということだろう。灼熱の炎を放出する能力を持つ牡丹は、常人離れした者たちの集まる甲賀の里でも群を抜いていた。
死と隣り合わせの修行とは無縁の市井の男たちなど、牡丹にとっては路傍の石にも等しいに違いない。
「気のどくにゃ男だにゃ」
さして気持ちのこもっていない声でシロは言い、その場にどっかと腰を下ろした。
「にゃあにゃあ、休んで少しはましにゃ考えが浮かぶようににゃったか?」
「――あたしたちはいつまでもここにいるわけにはいかないわ」
シロの問いかけを無視し、牡丹は体を布団から起こした。シロの登場により、牡丹の闘争心に火がついてしまったようだ。
勝気な性格の少女は、気を使われること、指図されることを何よりも嫌う。
「じゃあ、これからどうする?」
「決まってるじゃない――」
牡丹は言い淀んだ。
使命を果たすのならば、当然次の行き先は吉野だ。
だが、その言葉を口にするのにためらいがあった。まだ精神的に幼く、純粋な二人だからなおさらにシロの警告が脳に刻み込まれていた。
吉野へ向かい、三つ目の珠――柘榴石の宝玉を手に入れて甲賀へ戻る。
それが忍者として取るべき最善でかつ唯一の行動だということは、頭で分かっている。理性はそう訴えているにもかかわらず、二人は二の句が継げなかった。
「――!?」
わずかな沈黙。
居心地の悪い空気をさらに、突如現れた奇妙な気配が覆いこんだ。
布団に突っこんでいた下半身を一瞬で抜き出して、二人は警戒態勢を取る。
「何、今の」
「……悲鳴も聞こえたな」
「うにゃあ。騒がしいにゃあ」
三人はその突然の出来事について、三者三様の感想を口にする。
すでに気配の段階は過ぎ去り、今はさざ波のようなざわつきが起こっていた。
凍り付いたような悲鳴が断片的に聞こえてくる。
「何が起こったんだ」
小太郎のつぶやきにかぶさるようにして、廊下を勢い任せに走る乱暴な足音が聞こえ、次いで三人のいる部屋の扉が大きな音を立てて開かれた。
現れたのは黒髪を振り乱した若い女性だった。
整った顔立ちに、身分の高さをうかがわせるいかにも上等な着物を身にまとっている。だが、その目は血走り、呼吸は荒いのになぜか蒼白な顔は般若を思わせた。
「お前たちが……お前たちさえいなければ!!」
シロはいつの間にか姿を消し、状況を理解できずにただ見つめるだけの二人に女は金切り声を上げる。ただでさえ高い女の声は裏返り、耳で聴きとるのが困難なほどだ。
「春様、気をお沈めください」
叫んだ女の後ろから、もう一人、さらに若い女が姿を現した。
春、と呼ばれたところを見ると、一人目の女が勝元の正室なのだろう。
「あの化け物は、外よりやってまいりました。この者たちが関係しているとは思えませぬ」
「――化け物!?」
二人の脳裏に浮かんだのは、赤松則繁だった。
小太郎の介錯でも死にきれず、皮一枚でつながった首を手に駆け去っていた哀れな男。あれが人の目に触れたならば、確かに化け物と呼ぶにふさわしい。
その凄絶な姿にも関わらず、どこか悲し気な則繁の表情が二人の脳裏をかすめる。
「千代、貴様は黙っておれ!! わたくしの夫が薄汚れた子供を拾ってきたその日に、このような惨事……わたくしの夫がさらわれるなど、この者たちが原因としか考えられないであろう」
疫病神め、という春の捨て台詞より先に、牡丹と小太郎は外へ飛び出していた。
その化け物が則繁かどうかはわからないが、いずれにしろ、春の言う通り二人が原因で起こっていることは間違いなかった。




