表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/72

千々に炎は (7)

「――なんなのよ、これ」


 さすがに戸惑いを隠しきれない様子で牡丹が小太郎に問いかけた。


「それは俺が聞きたいよ」


 答える小太郎も困惑しきりである。


 二人は大きな屋敷の一室に、柔らかな布団にくるまれて横になっていた。

 甲賀の里を出てからの石を枕にする日々はどころか、甲賀の住まいにいるときでさえ味わったことのない快適で豪奢な環境は、二人を戸惑わせこそすれ、ゆったりと落ち着く気分には到底なれない。


 香の焚かれた室内は言わずもがな、布団さえも香で焚き込められて、甘い香りを漂わせている。


「鼻がおかしくなっちゃうわ」と、牡丹がぼやいた。


 忍者は五感を最大限に活用して周囲の様子を察知する。

 だがこうまで香りが充満していては、嗅覚は全く役に立たない。

 これが上流貴族の日常だということは二人にも分かっているが、愚痴のひとつもこぼしたくなる。


 二人がいるのは、勝元の滞在先だ。

 勝元に半ば強引に牛車にのせられて、二人は連れてこられたのだった。


 全ては勝元の独断だった。

 渋る従者をよそに、勝元はいそいそと二人――特に牡丹を迎え入れるための準備を始めたのである。

 すなわち、二人の腹と体力を満たすための食事と、休息のための床の用意を。


 牡丹の怪我の状態を気遣っていた勝元だったが、女御に容体を見てもらい、特に外傷がないことを知るとあからさまに安堵の様子を見せた。

 まさか、四肢の蝶番を残らず外されたなどと夢にも思わない勝元は、足首をひねるか何かしたのだと解釈したのだろう。ほっとした様子で甘い菓子や干し(なつめ)などをしきりに勧めてきた。


 とにもかくにも、勝元の好意に嘘がないことだけは確かだった。


「いつまでもこうしているわけにもいかねえな」

「体は動くようになった?」

「ああ、だいぶな」

「あたしも」


 この場を立ち去る会話をぼそぼそと続けている二人の耳に、それよりも大きな会話が入ってきた。


「勝元殿は正気でいらっしゃるのか!?」


 感情的にまくしたてるのは若い女性だ。

 怒りと悲しみと悔しさがないまぜになった、複雑な女性の声である。


「黙っていずこかに行かれたと思ったら、どこの誰とも知れぬ子供を二人拾って帰ってくるとは。父君の屋敷が今、大変なことになっているのに、かような不用心なことをなさるなど!」

「だから連れてきたんだよ。どこに賊が潜んでいるかもわからないのに、怪我をした子たちを置いていくなんて危ないじゃないか」


 答える勝元の声には、倦んだ色があった。

 幾度も似たようなやり取りを繰り返してきたのかもしれない。勝元の口調はなだめるというよりも、嵐の過ぎ去るのを待っているような響きがあった。


「その者共が曲者でない証拠がどこにあるというのですか!! 私は勝元殿を困らせるために申しているのではない、夫である勝元殿の身の安全を何よりも案じておるのです。なぜ、それをご理解くださらないのか」


 布団の中で牡丹と小太郎は顔を見合わせた。


 なるほど、響いてくるこの声は勝元の妻のものか。

 山名持豊の娘である春林寺殿と細川勝元は祝言を済ませて間もない。しかし、この若い夫婦の間に愛情はなく、あるのは政治的な戦略のみでつながった細く、だが非常に強固な糸だけだというのがもっぱらの噂だった。しかし、妻の怒声を聞く限りでは、噂とはずいぶんと事情が違いそうだ。


 勝元の妻――春は明らかに嫉妬をしていた。


 小太郎はむすっと天井を見つめている牡丹の横顔を覗き見た。

 おそらく――と小太郎は思う。勝元の妻を激昂させたのは牡丹の存在だろう。


 何も言わずに出ていった夫が、ひなにもまれな美少女を拾って帰ってきた。

 しかも夫自らがかいがいしく世話までしているのだ。

 勝元の妻はそこに危機感を感じているに違いなかった。


「父上がお聞きになったらなんとおっしゃるか」


 吐き捨てるような妻の声は、勝元の癇に障ったようだ。

 しばしの沈黙ののち、大きなため息が聞こえた。


「かように父君が大切ならば、寄り添いに行けばよかろう」

「私を追い出そうとお考えか!?」

「父君のところへ行こうと言い出したのはそなたじゃ。儂はそれについてきたにすぎぬ。そなたが父君のところで親子の会話を楽しみたいと望むならば、儂は止めるつもりはないと言ったのじゃ」

「承知いたしました!! かように申し付けられるのならば、そういたしまする」


 まさに売り言葉に買い言葉だ。

 ふすま越しでもわかるほどに荒い鼻息を立てて、勝元の妻は会話を止めた。どすどすという、あからさまな怒りをはらんだ足音が次第に小さくなっていく。


「あたしたちのせいでもめていたみたいね」

「仕方ねえよ。俺たちをここに連れてくると決めたのは向こうだし、あの時の状態じゃあほかに選択肢もなかっただろ?」


 赤裸々すぎる夫婦の会話を耳した二人もまたため息をついた。

 自分たちが夫婦の確執を生んだのだとすると申し訳ない気持ちもするが、小太郎の言うところはまさに事実だった。


 ようやく体の関節を戻し終えて、疲労困憊の状態にある牡丹と小太郎は、逃げることさえもできなかっただろう。もちろん、勝元一人であれば十分に逃亡しえたのだが、その隣に侍る従者の実力を前にすると逃げることは、すなわち命を刃の前にさらすことだった。


 彼ら忍者は死ぬことを美徳とは考えていない。


 戦場で華々しく命を散らすことが武士の美徳だとすれば、忍者はたとえ讒言を駆使したとしても、任務を果たして戻ってくることが重要なのである。

 彼らにとって、なによりも優先すべきは任務の遂行で、成果を携えて帰国することがどんな苦痛よりも、どんな屈辱よりも大切なのだ。


 牡丹と小太郎がおとなしく勝元の勧めに従うがままに柔らかな布団に包まれているのもまた、彼らが忍者である故だった。おそらく、それが武士ならば命を懸けての抵抗をしていたのだろう。

 そして、十中八九、勝元の従者に斬られていた。


 だから、現状は致し方ないことで、最善の手を尽くしたのだ。

 圧倒的な経験不足を前に、二人の幼い忍者は自らにそう言い聞かせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ