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千々に炎は (6)

「あーもうっ、骨を入れなおすのだって大変だし、痛いんだからっ」


 牡丹が声を荒げている。


 話を終えたシロが二人の前から姿を消してからしばらく経ってのことだ。

 いつもの調子を取り戻したような牡丹の態度が、空元気にすぎないことは明らかだった。投げやりな口調に、乱暴な動作――

 牡丹とともに過ごすことの多い小太郎だからこそ気づく程度の変化かもしれないが。


 近くにシロの気配がないのは、関節を外された二人が自力で動くことはないと考えたのだろう。

 確かに、普通ならばその通りだ。だが、あくまでも二人の少年少女が忍者という特殊な存在でなければ、の話だ。


 忍者たちはいかなる窮地でも状況を打開するための修行を日々重ねている。

 それこそ、己の体を実験台へ上げるような鍛錬を。


 四肢の関節を外された程度の治療は、容易ではないにしろ、さほど困難でもない。

 筋肉の力のみで起こした上半身を地面にたたきつけて、肩の関節を戻す。

 片手さえ元に戻れば、あとは順にはめていくだけだ。


 見事ともいえるほどきれいに関節だけを外されて、骨自体への損傷がないのは、シロに二人を傷つける意思がない表れだろう。


 とはいえ、両手両足の蝶番を元に戻し終えても、二人はすぐに行動を起こすわけでもなく、静かにその場に腰を下ろしていた。

 未熟な二人にとって、治療それ自体が負荷となったのだ。


 じんわりとした四肢の痛みが体全体に広がり、甲賀を出てから駆け通しだった疲労に重なる。

 肉体的にも精神的にも限界に達した二人は、知らず知らず瞼を閉じていた。


 ――声が聞こえるほど近づくまで人の気配に気づかなかったのは、不覚というほかはない。


 まどろむ牡丹と小太郎の耳に入ってきたのは、二人の男の会話だ。

 いずれも若い男のようである。


「勝元様、お一人でそのようなところへ行かれては危のうございます」

「なんの、お前がいるだろう」


 聞き覚えのある名前と声――牡丹と小太郎の目が大きく開く。

 声の主の一人は、昨日の昼間、まさにこの場所から覗き見た細川勝元だった。

 山名持豊と語り合っていた時の慇懃な態度から一変し、ずいぶんと砕けた口調だ。


「お気持ちは分かりますが、今は持豊殿の見舞へ行かれるべきかと存じます」

「ふん、あの男は儂の顔を見たところで面白くもなかろう」


 言い合う声はどんどん二人に近づいてくる。


『とにかく、隠れねえと』


 まだ十分に回復しきれていなかったのだろうか、つぶやいた小太郎は立ち上がりかけた足をふらつかせて、その場に両手をついた。

 忍者らしくもなく、どん、と存外大きな音を立てる。


「……ばっ」


 牡丹が罵倒の声を途中で止めるのと、勝元ともう一人の会話が途切れるのは同時だった。

 奇妙な沈黙が下りる。


「何かいるようですね」

 ひそめた男の声が二人の耳に届いた。

「そのようだな、この場所は儂が一番に見つけたとばかり思っていたが」

「勝元様、私が先を行きます」


 きん、と澄んだ音が聞こえた。

 勝元に付き従う男が刀の鯉口を切ったのだろう。


『下手なことしたら殺されかねないわ。仕方ない、おとなしくしましょうよ』

『悪い』

『小太郎が足を引っ張るのはいつものことでしょ?』


 ため息交じりの牡丹の言葉には反論したいことが山ほどあったが、小太郎は黙ってうなずいた。

 自分が招いた窮地であることは弁明のしようもなく、また、逃げるにも時間がなさ過ぎた。


「賊の類かもしれません」

「ならばお前が斬ればよい」

「猪が襲って来るやも」

「ははっ、斬り殺した屍を持って帰って、あの取り澄ました顔の前に突き付けてやったらどういう顔をするかな」

「ご冗談もほどほどになされませ」

「儂は冗談は好かん」


 警戒を練りこんだ軽口は、二人のすぐ近くまでやってきて――

 木の陰から、一人の若い男が姿を現した。


 背丈こそないもののその全身は筋肉で覆われて、いかにも腕が立ちそうだ。張り巡らせた緊張が、二人の肌にぴりぴりと伝わってくる。


「なんと――」


 男の口から思わず声が漏れた。

 そこにいるのが子供といってもいいくらいの少年少女であるなど、想像の埒外だったに違いない。

 驚きに目を瞠るものの、男は決して警戒心を捨てない。その後ろから、もう一人の男が顔をのぞかせた。


 細川勝元だ。

 遠目で一度その顔を見たきりだが、人の顔を心に刻みつけるのは忍者の得意とするところである。まして、全身から生まれの良さを漂わせる目元涼やかな青年の印象は、二人の中にも強く残っていた。


「獣かと思えば、子供二人ではないか」


 勝元の上げた素っ頓狂な声は、従者らしき若い男の張り詰めた空気を吹き飛ばすほどだった。


「勝元様、その者たちの正体が知れるまではお近づきにならぬよう」

「子供に警戒することもなかろう?」


 従者の声をさらりとかわし、勝元は二人が並んでもたれかかる木のほうへと歩く。

 浅黄色の直垂が、利発そうな顔立ちによく似合う。

 先程、勝元は牡丹と小太郎のことを“子供”と表現したが、彼自身、二人とさほど年は離れていないだろう。


「こんなところで何をしておる?」


 勝元はしゃがみこむと、二人に問いかけた。

 目元口元にはにこやかな笑みが刻まれ、穏やかな表情には裏などないことが明らかだった。


「山名殿の屋敷に近いとはいえ、子供がそうそう出歩くものではないぞ。夜になれば、物の怪も姿を現すと言うしな」

「うるさいわねえ、あんたには関係ないでしょ」

「動けぬのか?」

「だからっ、あんたに答える義理はないの! さっさとどっかに行きなさいよ」


 牡丹が苛立ちもあらわに吠える。


 明らかに牡丹は冷静さを欠いていた。

 原因はシロにしてやられたという事実に違いない。

 いかな牡丹でも普段ならば、相手に警戒されないようにおとなしく、必要に応じてはか弱い少女さえも装うのだ。


「勝元様、お退きくだされ」

「よいよい。突然話しかけられて、驚いているのだろう」


 怒りをにじませた従者が間に割って入ろうとするのを押しとどめて、勝元は鷹揚に笑った。


 感情をそのまま相手にぶつけまくる牡丹だが、はたで見ている小太郎にとっては気が気ではない。

 従者の剣気は本物で、かなりの腕の持ち主であることは確かだ。

 万全の状態ならともかく、精根尽き果てた状態の二人で太刀打ちできるかどうかは五分五分以下だろう。


「もしや、腹が減っているのではないか? これだけで腹が満たされるとは思わぬが、少しは足しになるであろう」


 根底に流れる緊迫した空気にも気づかないまま、勝元は一人合点して、懐から蔓で結ばれた干し柿をいくつか取りだした。握らせようと軽く取ったその手が、まだ回復しきっていない牡丹の関節を刺激した。


「いたっ」と思わず声に出した牡丹を、勝元はぎょっとしたように見つめた。

「怪我をしておるのか?」


 勝元は慌てて手を離し、いつくしむように二、三度軽く牡丹の手首を撫でる。


「すまなかったな。事情は知らぬが、辛い目にあったのだろう? 親父殿の屋敷でさえ、あのようなことになって、全く物騒な世の中じゃ」


 言って目配せをした勝元に精いっぱいの渋面を見せて、従者は己の荷物の中から応急手当て用の道具一式を取りだした。



 「――して、そなたたちの名は何と申す?」


 手ずから牡丹の手首を、痛みが出にくいように固定をした後で勝元は尋ねた。

 そつない手当を見るに、おそらくは勝元も普段から怪我をして、自分自身で治療をすることが多いのだろうか。

 風雅を追求する貴族たちの中では珍しい存在に違いない。


「……」

「きさまらっ、勝元様が尋ねられているのだぞ」


 返答をしない二人に対して、端から警戒心と敵対心を抱える従者が吠える。

 許されるならば、今すぐに斬り捨てて、打ち捨てていこうと言わんばかりだ。


「少しは落ち着け。お前がそう怖い顔をするから、この子らが怯えているのではないか。すまぬのう、昨日の騒ぎもあって皆、気が立っておるのじゃ」


 そうして、押し黙ったままの二人ににこりと笑いかけた。


「儂の名は、細川勝元。怖いものではないぞ?」

「……小太郎」

「牡丹よ」


 さすがにずっと無視をするのも気がひけて――というよりも、従者の般若のような表情に負けて、小太郎と牡丹が順に名を告げると、勝元の表情がぱあっと明るくなった。


「ははっ、そなたは牡丹というのか」


 何が楽しいのか、従者を振り返り屈託のない笑顔を見せる。


「儂が冗談で言った猪が本当になったぞ」

「は――?」

「猪が牡丹になった」


 従者がふと頬を緩めた。


「猪肉あつかいでは女性に失礼でしょう」

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