千々に炎は (2)
「……一体?」
信じられない光景を前に、長い長い沈黙の後、彼はようやく声を出した。
枝にしがみついた枯れ葉が揺れる以外に動くもののない世界。
今まで彼のいた薄暗い世界と様相は異なるものの、荒涼とした世界であることに違いはない。
美青年は優美な動作で、裂け目の外へ足を出した。
「ついてこいよ」と、愕然と目を見開いた彼に手招きをして、山枯れの世界へと降り立った。慌てて彼も立ち上がり、美青年の後を追う。
根拠はないが、彼がわずかでも躊躇をしたなら、美青年の不思議な力で開けられた穴が消えていくような気がした。
地面には枯れ葉が深く積み重なる。
泣くような木枯らしの中を、美青年と彼は歩いていく。
足音はない。
幾重にも重なった落ち葉は、踏まれればはかない音とともに二人を飲み込んでしまいそうなものだが、二人ともまるで一寸ほど宙に浮いているように一切の物音を立てない。
美青年に至っては、強風にあおられているはずの狩衣がそよとも動かなかった。
「お前がどこまで知っているかは分からないけど」
愉快そうな色さえにじませながら、美青年がつぶやく。
「大切な大切な三種の神器はすべて取られたぞ」
「は――な、なぜ?」
三種の神器は、彼の主たる天皇家の正統性を示すためのものだ。
彼の主は北朝に屈したときも、決してそれを手放さなかった。
偽物を渡していたはずだ。
「南北朝の融和のためだとさ。北と南交代で天皇を擁立する約を交わしたんだ」
「ばかな……そんな口車に」
「全くな、僕もそう思う」
首を軽く捻じ曲げて、彼の方を見て美青年はにい、と笑った。。
後ろで無造作に束ねた髪は、伸び放題でぼさぼさなのに不思議と艶やかだ。
高貴な輝きに心を奪われた彼の目には入っていないかもしれないが、美青年の格好は、まるで長い長い幽閉生活の果ての人間のようだった。
髪も爪も伸び放題で、衣服は古めかしい狩衣。
だが、逆にそれがまた、頽廃的な魅力を出しているのも事実だった。
「結局のところ、約はどうなったのでしょうか?」
美青年は何も答えなかった。
つまり、彼の想像通り反故にされたのだ。そういう意味だ。
より一層勢いを増した心中の怨嗟をこね回しながら、彼は無言で美青年の背中を追う。
「ここだ」
足を止めた美青年の視線の先に、野ざらしになった烏の屍があった。
かなり大ぶりな烏だ。
小柄な女性ほどの大きさはあるだろうか。
死んですでにかなりの時間がたっているとみえ、漆黒の羽の大部分は抜け落ち、奥から変色した肉と骨が覗く。目玉は真っ先にほかの鳥たちに食べられ空洞となり、鋭いくちばしの一部もかけていた。
「これがお前の新しい肉体だ」
「私の……?」
「ああ、元々は僕の眷族だったんだが、死んでしまってはどうしようもない」
話を飲み込めない彼を前に、美青年は懐からひとつの珠を取りだした。
滑らかに磨き上げられた真っ赤な珠だ。
混じりけのない赤は、血を固めたようにも、炎を閉じ込めたようにも見える。
「これもお前にやる」
美青年は烏の屍の前にしゃがみこみ、空洞となった烏の左目部分に赤い珠を埋め込んだ。
「……!?……」
その瞬間、彼の視界は一転した。
目に映るのは妖艶な笑みを浮かべた美青年と、背後に広がる垂れこめた冬の雲。
慌てて飛び起きた彼の体の下で、落ち葉が耳障りな音を立てる。
「理解できるか? お前は新しい体を得た。なさねばならぬことを成せ。手足として、僕の従者も何人かお前につけてやろう。普通の人間よりも役に立つはずだ」
その言葉に合わせて、美青年の背後にいくつかの人影が現れた。
山伏だ。
高下駄を履き、頭にほら貝をつけたその影は全員が一寸たがわぬ格好で、どことなく記号めいても見える。この枯れ果てた山中で修行を重ねる者たちか、あるいはどこぞから呼び寄せられた者かはわからないが、いずれも人間離れした凄みを漂わせていた。
恨みと憎しみで構成されていた彼の頭に、ふいになさねばならぬことが何かというひらめきが現れた。
強い力――
すべてを叶えるためには、すべてを蹴散らすための力が必要なのだ。
それを手にするための方法も、彼は知っていた。誰に教えられるでもなく、本能とも言うべき感覚で。
「謹んで頂戴いたします」
彼は頭を地面に押し当てた。
「古風な奴だな、お前は。僕よりもずっと古くさいぞ」
美青年はくつくつと笑う。
――数年後、北朝より三種の神器の一部が奪われるという事件が起こった。
のちにこれを禁闕の変という。




