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揺らぐ光輝 (16)

 必死に駆ける二人の目に、兵介とシロとのやり取りは影絵としか見えなかった。

 二つの影が重なり、シロの腕が飛び、そして、そして――


「兵介っ!!」


 地面に横たわる兵介の体を見下ろして、牡丹と小太郎は抱き起こすことも忘れて呆然と立ち尽くした。


 その体が魂の宿るべきものでなくなっていることは明らかだった。

 着物のいたるところに穴が開き、切り傷、刺し傷、噛み傷――おおよそ人の想像できる傷をすべてその体に負っていた。


 裂けた傷からは血が流れ、肉がのぞき、骨までもあらわになっているところがほとんどだった。

 腹からは赤黒い腸が零れ落ち、端正な顔に空いた穴からは口中が覗き込めた。


 ついばまれたというに相応しい無残な姿だった。


「ねえ、どうしよう小太郎っ。兵介がこんなになっちゃってるよ」


 目に涙をいっぱいにたたえた牡丹が小太郎を振り仰ぐが、小太郎にこたえるべき言葉はなかった。まるで悪夢の中にいるような、そんな思いだった。


 現実から目を背けるな。

 冷静に状況を把握し、最善を尽くせ。

 兵介ならばそう叱るだろう。それが忍びの生きるすべなのだから。


 言葉を失い、ただ木のように立っているだけの二人を、則繁は強い力で押しのけて兵介の屍の真正面に立った。


「……なんだよ。なんてことだよ」


 兵介の周りに山と積まれた山伏たちの屍を見回して、ぼんやりと言葉をこぼす。


「くそくそくそくそくそ」


 はじめはゆっくりと、次第に速く蓬髪の頭を振り始めた。彼の心に兆しているのが、怒りなのかそれとも悲しみなのかは二人に理解することはできない。だが、その心の中で何か強い感情がさざめいていることだけは見て取れた。

 ぐしゃりと崩れ落ちるように則繁は地面に膝をついた。


 兵介の体からあふれ、こぼれでた血潮と肉片の海が濁った音を立てる。


「ああああああああ」


 則繁はうなった。

 両手で兵介の血肉を掬い取り、その赤さを確かめるように見つめたが、一気に口元へと運んだ。


「なっ、何をするんだっ!?」


 くちゃくちゃと咀嚼音が聞こえて、二人は則繁の背中に取りすがるが、丸太のような強靭な腕にはね飛ばされて、地面にしりもちをついた。牡丹と小太郎は互いに視線をかわすこともなく、ただ呆然と目を見開いて則繁の異常な行動を見つめているだけである。


 一体何が起きている?


 小太郎の頭はぐるぐると目まぐるしく回るが、答えは出てこない。

 ただ分かるのは、兵介――牡丹と小太郎にとって兄のようであり、保護者でもあった青年の体が、則繁に喰われつつあることだけだった。


 血をすする音がする。

 肉を食む音がする。

 不気味としか言いようのない音に交じって聞こえてくるのは、則繁のすすり泣きの声。


「ああ、うまい、うまいなあ……」


 震える声で心底からの嘆声を上げながら、則繁は泣いていた。

 泣きながら、両手に持った兵介のはらわたを交互に口に運んでいる。


 もどかしくなったのか、則繁は四つ足をつき、兵介の体に直接口をつけてむさぼり始めた。

 ずるずるぐちゃぐちゃぴちゃぴちゃ――それは、人の出す音ではなく、獣の出す音だった。


「もうやめてよっ!!」


 牡丹が叫ぶ。その目からは涙が零れ落ち、泣き叫ぶ声はもはや絶叫だ。

 だが、則繁は止めようとしない。


「なあ、にいちゃん」


 咀嚼音の合間に、則繁が小太郎に声をかけた。

 小太郎がはっと我に返ると、血まみれの則繁の手に握られた小太刀が目の前に突き出されていた。兵介のものだろう。血のりで固まってはいるものの、丁寧に手入れのされた刀身には刃こぼれひとつない。


「俺の首を落としてくれねえか?」

「え――?」

「このままじゃあ、俺が俺でなくなってしまう。人である内に殺してくれ」


 哀願しながら咀嚼をする。


「さむれえのにいちゃんを初めて見たとき、やべえと思った。喰いてえと思ったんだ。宝玉をもらったときに、あのお方がおっしゃっていた強い力――さむれえのにいちゃんを食えばそれが手に入ると分かった」


 小太刀を小太郎に差し出したまま、則繁は話しつづける。鞘を握ったこぶしが則繁の意志を現しているように、強く固く小太郎の眼前に突き出されている。


「だが、俺が欲しいのは欲しかったのは、こんな力じゃねえ。人であることを放棄した力じゃねえ……頼むよ、頼む、にいちゃん、俺を殺してくれ」


 涙声で訴える則繁の背中がむくむくと大きくなっていく。

 化け物に、鬼になりかけているのだと小太郎も牡丹も気づいた。今はまだ、則繁の意志が止めているものの、いずれは完全に鬼になる。

 それは、彼が涙を流しながらも兵介の肉塊をむさぼるのを辞めようとしないことからも明らかだった。


「小太郎がやらないなら、あたしが焼くわ!」

「やめろ!!」


【赤花】のための印を結びかけた牡丹は、則繁の非常に強い制止の声で体を震わせて、動きを止めた。


「俺は武士だ。武士として死なせてくれ。男の手で、男の手による刀で首を落としてくれ」


 それはつまり、小太郎に首を斬り落として欲しいということだ。

 小太郎は牡丹の顔を見た。

 目が合った二人は小さくうなずきかわす。


 下唇をかみしめて小太郎は則繁から小太刀を受け取り、その背後に立った。


 甲賀の里をでるまで、小太郎には戦闘経験はなかったが、正体不明の山伏たちとの戦いにより人を斬ることに慣れはじめていた。

 肉を断つ感触。

 刃先が骨に当たる感覚。


 だが、首を落とすのははじめてだった。


「にいちゃんの速さを、刀にのせな。そしたら、簡単だ」


 絶え間なく兵介を貪りつづける則繁の声はくぐもっていた。肉体に合わせて声も変化しはじめていたのだろう。


「――【風舞】」


 小さく小太郎は唱えて、刀を握った両手と刀そのものに風をまとわせた。

 風のような一閃――

 鮮やかに則繁の首を落とすかと思われたその一刀は、しかし、その首の中ほどで止まった。


「があああっ!」


 則繁は叫び声をあげた。勢いよく立ち上がった時に、深く切り込みの入った首が体の前にぶらんと垂れ、食い込んだ小太刀が地面に落ちた。

 しびれと反動で再びしりもちをついた小太郎に背中を向けたまま、則繁はしばしたたずみ、それから取れかけた首を手に抱えて夜明けの近い街道をいずこかへ駆け去っていった。


 沈黙が牡丹と小太郎の間に流れた。

 全てが嵐のような出来事だった。


「…………小太郎の腕のせいじゃないわ」


 這うようにして兵介の元へ近寄りながら牡丹がつぶやいた。


「あいつ、最後笑っていたわ。首が千切れそうになりながら」


 則繁がしゃがみこんでいた場所に転がる丸い珠を拾い、牡丹は小太郎の眼前に差し出した。


「ふたつ目」


 こぶし大の巨大な真珠は、血にまみれてもなお、美しく輝いていた。



 ――歴史書によれば、赤松則繁は親族を頼って落ちた河内の地で討たれて死んだという。

 だが、おそらく河内についたとき、彼はすでに死んでいたのだろう。

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