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揺らぐ光輝 (10)

 細い月が夜空を照らしている。


 新月へと移り行く月は弱々しく輝き、周囲をぼんやりと照らし出す。

 視界に光を与える月夜は、物陰に隠れて行動をするべく忍者にとって不利に働くと思いきや、彼らはむしろ、月光の下で活動することを好む。

 月光が作り出す影は夜の闇よりもさらに深く、光に慣らされた目では影の中を動く彼らの姿をとらえることはできないのである。


 細い月ではあるが、彼らにとってその影は頼りになる味方である。


『手筈は話した通りだ』


 忍者特有の波長で兵介が年少者二人に声をかけた。

 大きな屋敷一面にぐるりとめぐらされた高い塀――その一角に彼ら三人は潜んでいた。

 山名持豊の播磨での住居である。


 目的はただ一つ。

 山名持豊が肌身離さず持っているであろう宝玉を盗み出すためだ。


『……この時間でよかったの?』


 月を見上げながら牡丹が問う。

 手甲をつけた右手はさりげなく懐へと当てられている。


 そこにあるのは、昼間、牡丹が購入した赤い蝶のかんざした。

 いや、今はかんざし型の武器へと形を変えていた。


 牡丹の要請――というよりもわがまま――によって、兵介がかんざしの先端を苦無に変えたのである。

 普段は髪に埋もれて気づかれないが、いざというときに強力な攻撃力となりうる。見た目の可憐さとは裏腹の物騒さは、持ち主である牡丹と同質だった。


 兵介から改造したかんざしを受け取った牡丹は、まるで贈り物をもらったかのように歓喜した。

 今夜も髪につけたがっていたが、兵介に一蹴されて、おとなしく懐に忍ばせているにとどめたのだ。


 今は丑四つ。

 兵介は月の傾きを見上げて、表情を引きしめた。


 おそらく、牡丹が気にしているのは、昼間、シロが話していた「仕事をするなら、丑三つがいい」という助言らしきものだということは、小太郎にも分かった。


『あの女が……いや、あの化け物が俺たちを売らない保証はどこにもない。あいつの言葉にまんまと乗せられて、丑三つに捕縛されるのはごめんだ』


 牡丹も小太郎も沈黙した。

 兵介の話すことはもっともである。


 得体のしれない女のいうことを真に受けるよりも、己の慣れ親しんだ、里での実績のある丑四つから寅一つの時刻に行動をするほうが危険もない。


『いいか、繰り返すが、人を殺してはならぬ。決して、屋敷の者に姿を見られてはならぬ。万一、気づかれた際は気を失わせるだけにとどめろ』

『うん』『はい』


 年少者二人がうなずくのを確認してから、兵介は塀に軽い所作で飛び乗った。

 侵入を阻むための高い塀とはいえ、それはあくまでも一般人を相手にした場合に過ぎず、修行を積み重ねた忍者たちには障害にもなりえない。

 一切の物音を立てずに屋敷に忍び込んだ三人は、屋敷の奥――山名持豊がいるであろう部屋を目指して駆けていく。


 音もなく移動していくその姿は、まさに影だった。

 持ち主のいないまま、自在にうごめく影――それが彼ら忍者なのだ。


『……妙だな』

 しばらく進んだところで、兵介がつぶやいた。

『見張りの姿がない』


 牡丹と小太郎はその言葉にはっとしたようにあたりを見回した。

 警戒された屋敷に忍び込むのは、忍者にとって容易いとはいえ、あまりに容易すぎたことに今更になって気づいたのである。

 めったに戻ることのない主がいるにしては、警備体制はあまりにお粗末だった。

 そこいらの物取りでさえも侵入できるくらいに。


『罠?』

『分からん』


 忍者たちは全方位の気配を用心深く探るが、やはり何者の悪意、敵意を感じ取ることもできず、ただ空虚悩みが広がっているだけだった。


 兵介は首を振って、再び足を忍ばせて先へと進む。

 腑に落ちないところはあるにせよ、宝玉を手に入れることが至上命令である以上、彼らは進むしかないのだ。


 さらに屋敷の奥に進んだところで、兵介は眉をひそめた。

 同時に、今度こそ年少組二人も気づいた。


 一対の扉の前に人影があった。

 折り重なるように倒れる二つの体はすでにこと切れていた。

 年少組二人を手で制して、兵介は屍に近づき改める。


『絞め殺されている』

『――!?』


 二人の屈強な男の屍の首には、絞められた時にできたと思われるくびれがはっきりと作られていた。


『冗談じゃないわ』

『素手かよ』


 牡丹と小太郎は口々につぶやく。

 屍の首には、指の跡が黒々と残っていた。中身の人間の力で人を絞め殺すのは容易なことではない。まして、相手は警備のために雇われた腕に自信のある者たちだ。


『それだけではない』

 

 曲者の存在に顔をしかめる二人に、兵介は静かに加える。


『どうやら、同時に殺されたようだ。一人の相手に』

『は?』

『片手ずつで二人を絞めたっていうのかよ、まさか?』

『俺もまさかと思いたい』


 三人の間に一瞬、沈黙が落ちた。


『化け物ね……』


 自身の能力をよそに、牡丹がぽつりとつぶやいた。

 しかし、牡丹の言うとおり、そんなことのできるのは人間離れした怪力を持つもの以外にない。


『待てよ、そうなると山名持豊は――』


 小太郎が我に返って本来の目的を口にすると、兵介はうなずいた。


『お前たちはここで待っていろ』


 言い捨てるが早いか、兵介は音もなく扉を開き、室内へと入り込んでいった。部屋の中に危険の潜んでいないことを確認すると、兵介は覗き込む二人を手招いた。


『何者かに先を越されたようだ』


 持豊の胸元を指さして兵介が、怒気を含ませた声を漏らした。

 外の様子も、忍者たちの存在も知らず、屋敷の主はのんきないびきをかいている。


『別のところに隠しているんじゃなくて?』

『紐の先が千切られている』


 その言葉を聞いて、牡丹と小太郎ははっとしたように周囲を見回した。今もこの部屋に曲者が潜んでいるような、そんな不安に駆られたのである。

 もちろん、兵介の見分したあとの室内には忍者たちと持豊のほか、人の気配はない。


『外だ』


 しばしの沈黙ののち、兵介が決然と顔を上げた。

 兵介が外へと続く扉を開くと、そこにも幾人もの屍が転がっていた。

 そして――


「――!」


 大きな影が月光を背にたたずんでいた。

 忍者たちの姿を認めると、巨大な影はゆらりと揺れた。

 塀を乗り越えて街道のほうへと走っていく。


 真っ先に駆けだした兵介の後を、牡丹と小太郎も追う。


『あいつ、誘っているぞ』


 追いついてきた年少組を一瞥して、兵介は小さく舌打ちをした。なるほど、確かに先を行く影は時折こちらをちらちらと振り返っているように見える。

 ちゃんと追ってきているか、見失っていないか、追走をあきらめたりしていないかを、こまめに確認しているようだった。


『あの方向……まさかな』


 兵介が目を細めて、小さくつぶやくと同時に、再び前を行く影が振り返った。月を背にした真っ黒い影の中、きれいに並んだ白い大きな歯が月の光を反射した。それが笑みの形だということは、誰の目にも明らかだった。


『馬鹿にしてっ!』

『小太郎、行け』

『分かってる』


 憤懣、指示、返答――それぞれの対応をする三人の足が、特に、【風舞】の加速の体勢に入った小太郎の足がぴたりと止まった。


 三人の目の前に、もう一つ、細い影が姿を現したのである。

 兵介の再びの舌打ちと、鯉口を切る音が夜の空気に響いた。


『あいつ……』


 牡丹はあからさまな苛立ちをその声に込め、小太郎は体勢を低くして、腰に並べた短刀に両手を伸ばす。


 そこに現れたのは、忘れもしない不気味な美青年の姿だった。

 彼も月を背にしているはずなのに、その姿はぼんやりと闇に浮かび、秀麗で高貴な顔立ちも細身の体も、三人には昼間のように見て取れた。


 まるで、自ずから輝きを放っているように。


 忍者たちの殺気をぶつけられても、美青年は一切怯む様子もなく、それどころかより一層深い笑みをその整った顔に浮かべて、優雅な所作で右腕をまっすぐに伸ばした。


 異常なまでに伸びた長い爪が月光を受けて、貝殻のように虹色に光る。

 ぴんと伸ばした人差し指の先は、兵介に向けられていた。


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