闇を乞う水 (3)
「――全く、参ったな」
髪の先から水のしずくを滴らせながら、あくまでも冷静な口調で兵介は言った。全身に先ほどの化け物の血を浴びてしまった四人は、衣服ごと川に飛び込み、しみついた血を洗い落としてきたのである。さすがに牡丹は、男三人を先にやった後に、ゆっくりと体を洗い流している。
ぱしゃぱしゃと聞こえる水の音は、三人の若者たちをそわそわさせる。
「本当に、まさかあんなやつがいるなんて、思ってもいなかったな」
「でも、すげえ弱いぞ」
「喜平に言われるまで怯えていたのは誰だ?」
静かな最年長者の声は、小太郎をおとなしくさせる。
「……だって、あんな奴見たことねえし」
「動揺してはならぬのは、何よりの基礎だ。違うか?」
「まあまあ、小太郎は【風舞】を戦いに使うことは今までなかったし、覚悟を決めてからはちゃんと戦えていたんだからいいじゃないか」
冷たい水につかって、より一層肌の白さと透明度を増した喜平が、二人をとりなした。いつも困ったように下がった目をしているが、要人を暗殺する時でもその表情は困りっぱなしなのである。
「牡丹が戻る前に役割を決める」
咳ばらいを一つして、兵介は二人を見回した。迫力のある端整な顔立ちが、沈黙のままのうなずきを誘う。
「皆、互いの能力がどんなものかは十分に知っているだろう?」
兵介が冷静きわまりない口振りでたずねた。
「――であれば、誰がどんな役回りをすべきかも、あえて言うまでもないだろう」
二人の少年を見回して、兵介は断言するように言い放ち、だが、そのあとで頭をかいた。
「……と思ってはいるが、暴走しそうな奴が一人いる」
「ふふ」
喜平が声をもらした。
それが誰か、考えるまでもない。
兵介が三人だけの時に話を切り出したのは、理由あってのことなのだ。
「あいつは」
と、兵介はかすかに水音の方へ目を向けた。苦々しい表情がその端正な顔に浮かぶ。「危険だ」
「うん?」
喜平が蓬髪の下の目をわずかに光らせた。
「あいつの能力は強いーー里で至宝と呼ばれるのも当然の強さだ。だが、俺にはもろ刃に思えて仕方がないんだ。自分で制御できなくなり、いつか己自身を自らの能力で焼き尽くしてしまうのでは、と俺は危惧している」
「……」
喜平も小太郎も何も返さなかった。
それは牡丹の能力を一度だけでも目にしたことがあり、なおかつその苛烈な性格を知るものであれば、誰しもが感じることだろう。
――【赤花】
牡丹の持つ能力の名だ。
物心ついた頃から血を吐き、時には命さえも賭す修行に明け暮れ、人の限界に挑み続けてこそ手に入れることのできる、人を超越した能力をもつ甲賀の里――忍者の里においてさえ、牡丹の能力は群を抜いていた。
頭領の血をその身に流すゆえの強さ、と揶揄されることも確かにあったが、嫉妬まじりの陰口でさえもどこ吹く風と受け流す、いや、焼き尽くすほどに激烈な牡丹の力である。
炎である。
激しい修行の果てに牡丹が手に入れたのは、炎を自在に操る力。
【赤花】とは、全てを舐めとり灰塵に帰す炎を花に模した、忍びの者たちなりの諧謔の現れなのだ。
「俺はあいつを戦いに巻き込ませたくない。少なくとも、あいつに首枷をはめたまま戦わせたい」
「牡丹の自由にさせると、見境を無くしそうだからね」
「そう、あいつすぐ調子に乗るんだ!!」
兵介が言えば、喜平も小太郎もそれに同調する。
自分能力と同様、牡丹は激しく熱くなりやすい性質を持っていた。
逆をかえせば、その性質ゆえに【赤花】を獲得したと考えることもできるがーー
「牡丹に直接それを話したとて、聞く耳は持つまい」
「だから、俺たち三人で役回りを徹底させよう、と?」
「ああ」
兵介は言って、喜平と小太郎を順に見た。
「まず喜平、お前には偵察と突撃を頼みたい」
「当然だね」
喜平の能力【水鏡】は、表面が濡れてさえいれば、どんなものにも潜り込むことのできる稀有な力だ。その能力を存分に発揮するためには、周囲を水で濡らし、まるで鏡のように光を反射させる必要があることから、その名が付けられたという。
異能者たちが集まる甲賀の里でさえも珍しがられる能力を、他所の人間が想像できるわけもない。潜入し、あるいは先制を仕掛けるのに、喜平以上の適任は存在しなかった。
「俺は迎撃を担当する。喜平が討ち漏らした相手、一人では対処しきれないほどの数が現れたときは、俺が全てを引き受けた」
兵介は立てた親指を自らの胸に当てた。