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揺らぐ光輝 (4)

 男の口元には、この場にそぐわない笑みが浮かんでいる。


「素直な分、動きも単純だ。もう少し相手を惑わすような動きができねえと、強くはなれねえな」


 人懐っこささえ感じさせる柔らかな口調の一方で、男はねじり上げた小太郎の腕に体重をかけ、小柄な少年の体をきしませる。


「小太郎っ」


 胸の前で印を組んだ牡丹の両手は、男の飛ばした何かに弾き飛ばされた。


「痕になっていたら勘弁な、じょうちゃん」

「……石か」

「ご明察」


 兵介がつぶやくと、男は嬉しそうに肩を揺らした。

 湿った黒い土の上にたったひとつ転がる白い石。男がそれを指先で弾くのを、兵介の目は捉えていた。


「印地ってやつだ。俺はこれが得意で、他のやつらがきゃあきゃあと石を投げ合っている間、鳥だとか兎だとかを相手にしてた。そのおかげか知らねえが、動いていたってただ一点を当てられるんだぜ?」


 印地とは、言うなれば石合戦だ。


 庶民の遊びとして広がった印地は、次第次第にその技法も道具も進化し、戯れるものから人を傷つけるものへと変わっていくことになる。

 悪党と呼ばれる地方のならず者たちの武器になり、この時代では合戦でも用いられるようになっていた。


 とはいえ、ほとんど予備動作もなくこれほどの威力と速度を持つ投石技術は尋常ではない。男が印地の相手に鳥や兎を選んだのは正解だ。

 でなければ、男は幾人かの命を奪うことになっていただろう。


「あんたらが恐ろしく強いのは見りゃわかる。だが、俺も意外と強い。知らなかったろ?」


「ぐっ……」


 さらに力を込めてねじり上げられて、小太郎はうめき声を漏らした。腕が外れそうで外れない、そんなきわどいところを狙っているような気配があった。


「石って――馬鹿にしないでよ!」


 激昂して再び印を結びかける牡丹を押しとどめて、兵介は刀の鯉口を切った。


「俺がやる」


 短い言葉は淡々としていたが、腰の刀に負けないほどの鋭さがあった。普段は必要以上にやかましい牡丹も息をひそめるように口を閉じる。兵介を中心に、弦月の夜にも似た冴え冴えとした空気が広がっていく。

 牡丹の肌に鳥肌が浮かび、組み敷かれた小太郎の肌はぞわりと逆立った。


 兵介が“忍術”と呼称される居合をする直前の雰囲気である。


「いいのか? 俺の下のこのにいちゃんがどうなるか知らねえぞ?」


 兵介がすう、と目を細めた。


 視認することのできない速度で刀を抜き、斬りつける――

 普通に考えれば、忍術ではなく剣術の部類に入るだろう。だが、甲賀の里で腕に自信のある者がいくら修行を重ねても、いくら工夫を凝らしても、兵介の速度には到底追いつけなかった。中には、己の忍術と融合させてでも兵介の速度に並ぼうとした者さえいたが、その足元にさえ到達することはなかったのである。


 人の力ではたどりつけない域に達した居合抜き。

 それ故に、忍術【白閃】なのである。


「俺の石は、目玉にも、喉にも狙い通りのところに当てることができるぞ?」

「……かまわぬ」


 男の言葉は嘘ではないだろう。

 骨も傷つけず、皮膚も破らずの絶妙な力加減で、印を組んだ牡丹の手を正確に狙うことができたくらいだ。飛び道具ながら、自分の手足のように石を操ることができるに違いない。

 だが、相手が悪いと言わざるを得なかった。


「貴様が瞼を動かすよりも速く、その首落としてくれよう」


 兵介が右足をぐっと地面に踏み込んだ。

 斬る! と思ったそのごくごく直前――


「参った! いやあ、降参だ。さむれえのにいちゃん」


 あっけらかんと男は答えて右手を上げた。


「まっさかこんなに強いとは想像以上だ。すまんすまん、ちいっとばかり悪ふざけが過ぎた」


 言いながらも、小太郎を縛める左手を離そうとしないのは、どこか人を食っている。


「その子供を離せ」

「俺が離れたら、お前さんは俺を斬るつもりだろ?」


 実にさりげない子供扱い。一瞬遅れて、小太郎はむっと口元を歪めた。

【白閃】の気配は消えたものの、兵介の放つ空気は十分すぎるほどに鋭い。気づかないはずがないだろうに、六部姿の男は相変わらずの軽口をたたく。


「俺を斬らないって約束してくれねえ限り、その要求には従えねえ」


 言って、男は小太郎の腕をさらにぐい、とねじった。差し込むような鋭い痛みに、小太郎は思わず声を上げる。


「小太郎!」


 牡丹が燃えるような視線を男に注ぎながら、奥歯をぎりっと噛みしめた。


「なぜ、我らに関わりを持った?」

 殺意すら混ざる冷たい視線のまま、兵介は男に問う。

「我らは詮索されるのを好まない」


「言いふらそうなんてつもりはねえんだよ。あんたらから、ただ者じゃない匂いがして。単なる興味だ」

「好奇心は身を滅ぼすと知れ」

「誰にも言わねえよ。約束する」

「その約束が果たされると、どこに保証がある? 貴様は信用ならん」


 押し問答だ。

 男はふうっと息をついた。


「あんたらが正体を隠したがっている以上に、俺は正体を知られたらまずいんだ。だから、誰にも言わねえ」


 兵介の目が細く光った。


「貴様、何者だ?」

「赤松則繁」


 男は答えて、空いている右手で、頭をすっぽりと覆う編み笠を外した。


「えっ、赤松則繁って」

「貴様……先代将軍の」


 その答えに、兵介さえも若干の動揺を見せた。

 牡丹に至っては口をぽかんと開き、ただでさえ大きな目をさらに見開いている。

 体の自由を奪われてどうすることもない小太郎もまた、苦痛にうめく喉の奥を小さく鳴らした。


 男――赤松則繁は、固い髭に覆われた顔に、屈託のない笑顔を浮かべて兵介と牡丹を順に眺めた。


「俺が誰よりも正体を知られたくないって理由が分かったか? ここに不審者がござい、とお上に報告したが最後、取っ捕まるのは俺のほうだ」


 無言のまま兵介は身にまとっていた剣気を解いた。

 ひんやりと張り詰めた空気が霧散し、昼の生ぬるい陽気が薄暗い広場にも流れ込んでくる。


「分かってくれてよかった」

 小太郎の体から痛みと重みが不意に消えた。

「悪かったな、にいちゃん」


 飄々とした謝罪の言葉にも屈託のようなものは感じられない。あとわずかでもねじり上げる力を強めていたら、小太郎の腕は外れるか、折れるかしていただろう。

 そんなことをしているのにもかかわらず、目に浮かぶのはいたずらっ子のような光だけである。


「理由を聞かせてもらおうか」


 小太郎が則繁から十分に距離を取ったのを横目で確認したのち、兵介は口を開いた。


 赤松則繁といえば、天下の大逆者だ。

 

 そんな人間がなぜここにいるのか。

 なぜ自分たちに接触したのか。

 なぜ正体を明かしたのか。


 分からないことが多すぎる。

 いや、分からないことしかないといってもいいくらいだ。

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